桶とあなたの優しさと蒲公英と
「……………見た?」
「イエ、ミテナイデス」
「……………見たよね?」
「……………………ミテナイデスゥ………」
目の前には何故か正座をさせられている善逸くん。ブルブルと震えていて、顔が真っ青で、ボロボロ泣きながら、この世の終わりのような顔をしている。そして、対には。
「いや……見たよね。なんで嘘つく訳?」
般若のような顔をした、無一郎くんがそんな善逸くんを上から見下ろしていた。
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話はほんの少し前に遡る。
わたしはまだ起きたばっかりで、布団から体を起こすこともままならない。3年も眠っていたらこうなるのか……と余りの自分の体力の衰えにゾッとしたのを覚えている。腕を上げるのさえ、まるで鉛を持ち上げないといけないくらいの感覚だ。上半身を起こすのも、誰かに起こしてもらって常に背中を支えてもらわなければいけない。その役目は無一郎くんが率先してやってくれた。「ごめんね」と言うといつもキョトンとされる。「なんで? 恋人の世話をしてなんで謝られるの?」と純粋な目で言われたときは、顔が真っ赤になって破裂してしまうのではと思った。
無一郎くんとお、お、お付き合いさせていただいてから気がついたことがある。無一郎くんは、すっごい優しい。「体どう?」「しんどくない?」「背負ってあげるから外行ってみる?」色々とわたしを気にかけてくれて、何でもしようとしてくる。無一郎くんのお母様は体が弱かったから、僕もよく世話をしていたと言っていた。だから、こんなにも気配りができるんだろうなあと関心する。パッと見たらどこかぼーっとしているように見える無一郎くんは、意外と細かいところまで気がつく。わたしが困らないように、本当に何でもしてくれた。
そう、本当に何でも。
「む、む、無一郎くん……本当にしなきゃいけないの……?」
「当たり前じゃん。臭くなりたいわけじゃないでしょ?」
「う………」
目の前にはいつものように無一郎くんがいる。その手には清潔そうな、濡れた手ぬぐい。傍らには桶があり、ポカポカ温かそうなお湯がたっぷり入っている。
そう、無一郎くんは、わたしの体を拭くと言い出したのだ。
いつもは無一郎くんのお屋敷のお手伝いさんが体を拭いてくれていたが、どうやら腰を悪くしてしまったらしく、何日かのお暇を無一郎くんから頂いたらしい。それは全然構わないんだ。いつも世話ばっかりしてもらって申し訳なかったから。
けれど、今のわたしは1人でできることがほとんどない。食事を作る人は隊から派遣されて短期の人がいるらしいけれど、わたしの身の回りの世話をしていただけるかというと、そうではない。当たり前だ、職務外なのだから。どうしようかな、そう不安に思っていると、無一郎くんが部屋に来てくれたのだ。「名前の世話は僕がするから」と。ご飯を食べさせてくれたり、窓の開け閉めをしてくれたり、それはそれはとても丁寧な介護だった。改めて無一郎くんはすごいなあ、嬉しいなあ、なんて呑気に思っていたわたしだったけれど。
「じゃあ名前、体を拭こう。はい、着物脱いで」
ニッコリ笑顔でそう言われた瞬間、わたしは固まった。ぬ、ぬ、ぬ、脱ぐ………?「今なんと……?」恐る恐る聞き返す。「ん? 聞こえなかった? とりあえず服脱げる?」首を少し傾げる姿はかわいいけれど、言っていることはとんでもなかった。
「あ、あの、無一郎くん…」
「何?」
「本気でそれ言ってますか……?」
「今の発言に本気も糞もある? まあ言うけど、本気だよ」
「む、む、無理ですー!!」
本当は逃げ出したかったけれどもちろんできないので、モゾモゾと布団の中に潜り込んだ。何言ってるの無一郎くん?! 無一郎くんの前で服なんて脱げるわけないじゃん! 「出てきてよ」と声がする。何で分かってくれないんだ、と心の中で泣いた。そっと目から上だけ布団から出してみると、すごい近くに無一郎くんの顔があってビックリした。かっこいいけれど、何だか今は威圧感さえ感じてしまう。
そうして最初の台詞に戻る。わたしだって、臭くなりたいわけじゃない。無一郎くんが近くにいるのなら尚更。でも、それでも単純な話、恥ずかしいのだ。無一郎くんは多分善意で言ってくれている。とっても優しいから。だけど、わたしが違う方向に持っていっちゃってる。だって、相手は無一郎くんなんだもん……。
「名前、出てきてよ。拭いてあげるから」
「無理ですぅ……分かってください……」
だって今、筋肉もないし、見せられる体を絶対にしていない。自信があるならまだしも、もしも見られて嫌われちゃったら……そんなことばっかり考えてしまう。そんなこと、ないって分かっているのに。不安ですぐにいっぱいになってしまうわたしだ。じわり、と悲しくもないのに涙が出てくる。怖い、のだろうか。
「………名前」
無一郎くんが名前を呼んだ。穏やかな声だ。
「何を怖がっているか分からないけれど、僕を信じてほしい。名前に今までしてやれなかったこと、全部してあげたいんだ」
その言葉を聞いて、わたしは無一郎くんを見上げた。優しい目をしている。わたしが好きな、無一郎くんの綺麗な目。確信できる。無一郎くんは、わたしを傷つけない。絶対に、嫌いになったりしない。目を見たらすぐに分かった。嬉しくて、嬉しくて、別の涙が出そうになる。……そうだよ、大丈夫、無一郎くんなら。
「……………お願いします」
「はい、お願いされました」
それでもやっぱり恥ずかしさは残っているから、背中だけ、とお願いした。前は自分でがんばる、と。文句を言われたけれど、それだけは譲れなかった。渋々ながらも無一郎くんは了承してくれて、背中に腕を回し起こしてくれる。華奢だけど、逞しい腕。無一郎くんの腕、好きだなあ。着物をはだけさせるのは、すごく恥ずかしくて時間がかかった。無一郎くんに背中を向ける。背中を拭きやすいように、支えていた腕がわたしのお腹の方に回る。後ろから抱きしめられているようなその格好に、すごくドキドキする。
「……ひゃあ!」
背中に当てられた手ぬぐいの感触に、ビックリしてしまう。無一郎くんはわたしの声に驚いたようで、「……あ、ごめん」と気の抜けた声を出した。そのまま黙って優しく拭いてくれる。……何か言ってほしいなあ。
「あ、あの、無一郎くん………?」
「………ん?」
「えっと、あの………」
「名前、ごめん。早く終わらせた方がいいかも、色々と」
「え……?」
無一郎くんが言っていることがよく分からなくて振り向こうと思った。……あれ、無一郎くんの耳、ちょっと赤いような………。
「名前ちゃぁん!遊びに来たよー!!!」
次の瞬間、襖がバンっと開いて、善逸くんの声がした。……と思った瞬間、頭から布団をかけられてて、辺りには絶叫が響き渡った。
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「すいませんすいません本当にすいませんでした。遊びたかっただけなんです名前ちゃんと。すいませんすいません」
こうして、今の状況が成り立っているのだ。善逸くんはひたすらブルブル震えていて、無一郎くんはじーーっとそんな彼を見ている。
「ていうかさ、なんで名前と遊ぼうとしたわけ? ねえなんで? なんでこの部屋に入ろうと思ったわけ? ていうかなんで君産まれてきたの? ねえなんで?」
無一郎くんの止まらない口撃に、善逸くんはこの世の終わりのような顔をしていた。炭治郎くんやその同期のみんなとは、いつも仲良くしてもらっている。無一郎くんも普段は仲良しなんだろうけど………。今は、この部屋だけ、まるで氷河期のようだ。少しでも布団をどかそうとすると、無一郎くんにじろりと睨まれる。もう身なりも直したのに……。布団から目だけチラリと出してみると、善逸くんと一瞬目が合った。助けてくれ、そう言っている。「ねえ今名前の方見たよね? なんで?」「ミテナイデス……」ごめん、助けられないです。
無一郎くんが怒ってる時はあまり口出ししない方がいいかな。そう思って布団にもう一回潜り、さっきの無一郎くんを思い出す。なんか顔が赤くなっていたような気がする。何でなんだろう? わたしがそう不思議に思っていると、外から「ぎゃあああ!!!」と断末魔のようなものが聞こえた。