窒息するくらいの思いは君だからこそ


「蝶屋敷に行くのを許してもらえない?」

炭治郎がパチリと目を瞬きさせる。こくりと頷くのは最近ようやく上半身を起こし座る時間が長くなってきた名前だ。炭治郎と善逸と伊之助。いつも通りの面子が揃った庭の縁側で、お菓子を頬張っていた。禰豆子は炭治郎の膝の上で気持ちよさそうに眠っている。この屋敷の主、時透が用事で出はからっているときのことであった。

「うん。この前炭治郎くん達もお世話になったんでしょう。怪我とか治療してくれるって聞いたの。薬学に通じている女の柱の方がいるって」
「ああ、しのぶさんのことね」
「炭治郎くん、わたしが目覚めたばっかりのときに教えてくれたよね。その人にもお世話になったって。だからお礼とか挨拶とか言いに行きたくて………」
「そういうことかあ」

しのぶは、自分たちから鬼の情報を聞き、町を調べ、隠を派遣し、鬼の居場所を特定してくれたと時透から聞いていた。今こうして、名前が座っていること、話していること。大きく貢献しているのが、蟲柱・胡蝶しのぶなのだ。もちろん炭治郎たちや時透には何度も「ありがとう」と伝えてきた名前だったが、未だにしのぶには感謝を伝えるどころか会って話すことも出来ていない。そう思い、時透にお願いをしてみたのだ。「その人がいる蝶屋敷に連れて行ってほしい」と。

「ダメだったのか?」
「うん……。まだ早い、の一点張りで」
「ああ……体のことか……」

炭治郎はふむふむと頷く。確かに、名前が起きてからもうだいぶ時は流れた。けれど3年の間に根こそぎ持ってかれた体力を取り戻すのには、想像以上に時間がかかるのだ。最近になってようやく介抱なしでも長い時間座っていられるようになったし体を起こすこともできるようになったけれど、未だに名前は1人では歩けない。ご飯を食べるのはできるようになったけれど、食べに行くことはできない。お風呂も介抱なしには厳しい。一日中ずっと時透のお屋敷にいる毎日だった。その状態を考えると、時透が開口一番にダメだというのも分からないことはないけど……。炭治郎は首を傾げる。善逸は黙ってその様子を見ていて、伊之助はひたすらお菓子を食べていた。どうやらあまり興味がないらしい。

「けど、蝶屋敷からね、少し前にお手紙をもらったの。ええっと何だったかな、機能回復訓練……っていうものを受けませんか、って書いてあって。ほら、わたしまだ歩けないでしょ。いつまでも無一郎くんの手を煩わせたくなかったし、早く一人でできることを増やしたいなあって思って」
「へえ、そうなのか!」

機能回復訓練。全員受けたことがあるそれを思い出し、善逸と伊之助は顔を一気に真っ青にさせた。みんながやつれるほど、逃げ出すほどの訓練の日々。地獄のような日々だった。「え、あれ受けるの本気なの」「こんな弱っちいやつほんとに死ぬんじゃねえの」思い思いに彼らが言う中、炭治郎だけは「いいじゃないか!」と褒めてくれる。蝶屋敷からそう提案されているのなら言うことはない。療養させてもらえるのなら、体の心配はないし、本人の意気込みもちゃんとあるのが分かるから。「それでもダメなのか?」そう聞くと名前は再び頷き、困ったような顔をする。

「それだけじゃなくて。「僕も任務があって忙しいから、ずっと一緒にいてあげられない」、って言われたの。行き帰りだけ送ってくれたら大丈夫だよって言っても、「ダメ」の一点張りで。蝶屋敷で無一郎くんがいないときに、新しく怪我したらどうするの、怖い思いしたらどうするの、誰かに無闇に話しかけられたらどうするの、って……」
「………………」
「………………」
「心配してくれてるのはすごく嬉しいんだよ。でもなんかそこまで心配されると、わたし信用されていないのかなあって寂しくて……」
「いやそれ心配とかじゃねえよ」

ピシャリと善逸が言う。過保護すぎんだろ、相手は生まれたての赤ん坊かよ、正直そう思った。時透が名前に対してのみ発動する「俺の名前に無闇に近づいたら殺す」とでも言いたげな絶対零度表情攻撃に何度もやられている身としては、ただただ呆れるばかりだった。正直名前が寝ている時から思っていたことだけど、時透は独占欲が非常に強いのだ。本人は気がついていないようだったけれど。この3人だって、起きてからこうやって交流させることも、本当はすごい渋々だったに違いない。伊之助も「お前と喋るとアイツクソ不機嫌になるからめんどくせえもんな」と言う。名前はそれを「心配してくれて無一郎くんは優しいなあ」と好意的に捉えていたけれど、同じ男の立場からだと、厄介なものでしかない。
けれどまさか、それを蝶屋敷に対しても発動するとは。善逸は、はあ、と内心でため息をついた。いいじゃん別に。あそこは基本女の子しかいないし。大体霞柱の女だと分かった上で無闇矢鱈に話しかけようとする隊士などいない。本人から頼まれているのになんでそんなに意地っ張りなんだよ。彼女だろ。バカかよ。面と向かっては死んでも言えないから、今のうちに心の中でたっぷりと毒をついておいた。「時透くんはなんて優しいんだ」お門違いなことを言って何故か感動している炭治郎はとりあえず放っておく。

「もちろんお礼も言いたい。けれど、本当は早く無一郎くんの隣で歩きたいの」
「……」
「無一郎くんと手を繋いで、町に買い物に行きたい。美味しいものも食べたい。ちょっとでいいから隣に並びたいなあって思うんだ」

「けれど今のままじゃできないから……機能回復訓練を受けたら、早く叶うかなって思って」照れたように笑う名前だけど、善逸には寂しい音が聞こえる。こんなこと言ってくれるなんて、なんて健気なのだろう。なんて可愛いんだろう。なんていい彼女なんだろう。死ね。贅沢者め。意地っ張りになってる場合じゃねえぞ。変に独占欲発揮してんじゃねえぞコラ。そう言ってやりたい。無理だけど。
「それアイツにそのまま言えばいいんじゃねえの」伊之助がサラリと言う。

「確かに。名前ちゃん、ちょっと泣きそうな顔作って、それ言ってみなよ。多分一発でいけるから!」

こういうことは善逸が一番詳しい。あの名前大好き霞柱のことだ。こんな思いを知っておきながら、無下になんてできないはずだ。炭治郎もうんうんと頷く。彼の場合は純粋に、名前の思いを時透なら分かってくれる、と信じているからだけど。

「でもなあ善逸、その泣き顔作ってっていうのは、なんて言うか、ちょっと………」
「けど一番確実なのは確実だよ、確かに」
「炭治郎くん的にどう思うの?」
「卑怯だと思う」

どうやら卑怯なことらしい。「男だからね! 嫌な意味じゃなくて! 仕方ないことなの! そういうのにグッと来てしまうものなの!」善逸の言葉に名前は首を傾げる。そういうものなのか……。よく分からないなあ。

「…うん、言ってみようかな、わたしの思いちゃんと」
「泣きながら?」
「……それは、無理だけど。でも無一郎くんだったら分かってくれそうって信じてるから」

「それがいいと思うよ」

炭治郎が優しく頷いてみた。2人には幸せになってもらいたいから。名前の小さな願いが叶うといいな、そう思った。



数日後。

名前は嬉しそうに3人に「聞いて! 機能回復訓練受けていいことになったの!」と報告をしてきた。どうやら上手くいったらしい。よかったなあ、そう言って無邪気に笑う名前の頭を撫でた炭治郎が、後日時透に、「ねえいらないこと言ったの炭治郎たちなんでしょう。承知するしかなかったんだけど。責任取ってよね。だからちゃんと見ててね。僕がいない時にちゃんと名前のこと見ててね、よろしくね」と迫力満点な笑顔で言われたのを、彼女は知らない。





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