赫灼の子はあの日、光を見た
※本編14話辺りのお話です。
時透くんがお屋敷を出てから、俺はある部屋の襖を背に向け、ずっと座っていた。部屋の中からは苦しそうな匂いがひたすらに漂ってくる。けれどしっかりと意思があるような匂いだ。禰豆子は自分が起きているときはひたすら名前さんを見つめていて、時折頭を撫でていた。病弱だった父さんと重ねていたのか、誰か弟妹と重ねていたのかは分からない。静かで、穏やかな時間がただひたすら流れていた。
時透くんは夜明けにはもう出発していた。目的地である町までは時透くんの足なら多分半日で着くだろう。じゃあ決着が着くのは今日の夜かな………。俺に名前さんをよろしくと言ってきた時透くんを思い出す。本当は一番にいてあげたいはずだ。もしもその瞬間――名前さんが目覚めた瞬間が訪れたとしたら、真っ先に寄り添いたかったに違いない。ずっと、ずっと心待ちにしているんだ。あんなに誰かを想い続けられるのって、奇跡のように思える。けれど、それでも時透くんは鬼狩りに行き、俺に名前さんを任せた。それが何だか時透くんらしいなと思った。本人にも伝えたけど、彼女は時透くんが何よりも大切に思っている人だ。俺が禰豆子に向ける感情と似ているのか………それとも少し違うのか、それははっきりと分からないけれど。でも、あんな顔をして頼まれたら、俺の命を賭けてでも見守るしかない。仲間がこんなにも大切にしている人だ。俺も大切に大切に守らないと。
そんな風に意気込んだ俺達とは裏腹に、名前さんはその夜には起きなかった。
次の日が終わっても、名前さんは起きなかった。まだ鬼を見つけていないのだろうか。それとも、空振りだったのだろうか。それだったらもう帰ってきているんはずなんだけどなあ。禰豆子と首を傾げる。時透くんが負けるとは考えづらかったけれど、鬼殺隊はいつ命を落とすかも分からない。今日の命が、明日も続くとは分からない。大切な人が明日も生きてくれていると思うのは、ただの願望でしかないことにはもう気づいている。
「でも信じるよ、俺は時透くんのこと」
「し、んじ、る」
「だからここからは動かない。時透くんが戻ってくるまで、俺はこの部屋を守る! 名前さんを守る!!」
「ま、もる。まもる!」
「禰豆子も一緒に守ってくれるから安心だなー!」
笑顔でグッと力こぶを作る禰豆子に笑いかける。と思った瞬間、禰豆子ははっと何かに気がついたようだった。俺も少し遅れて、匂いが変わったことに気がつく。もしかして。急に焦り出す心臓。襖を見つめた。禰豆子が躊躇なく、それを開け放つ。
スパーン!
「禰豆子、壊れるって…………っ! ああっ!!」
襖の向こう。ぽつんと1組敷かれた布団の中で、ずっと眠っていた女の子。その瞳が、弱々しくも、開いていた。
覚悟はしていたとは言え、俺自身もずっと待ちわびていたその瞬間。時透くん、やり遂げたんだ…………!! そう関心して名前さんが横たわる布団に駆け寄った。そしてその瞬間、ぎょっと俺は別の意味で目を見開くことになる。
「わわっ!! 泣かないでくださいー! すいません、驚きましたよね?!」
名前さんはただただ目を見開き、そこから大粒の涙を零していた。今までの苦しみから急に解放された反動もあるだろうけど、大部分は混乱しているのだろう。いきなり目が覚めたら、誰でもそうなってしまう。ただでさえ目の前には俺のような知らない男がいるんだから。「だれ?」と言いたげな戸惑いの匂いがする。声も何も出ないらしいけれど、俺には全部伝わってきた。
「俺は竈門炭治郎って言います。こっちは妹の禰豆子。ここは時透くん…………時透無一郎くんのお屋敷です。今は、用があって外に出ていますが」
初めて見た名前さんの瞳。少し茶色がかった瞳。今は涙で濡れてしまっているけれど、きっと優しい光をしているはずだ。言葉がなくても、目を見ればそんなのは分かる。この人が、時透くんが何よりも大切にしていた人なんだ。
時透無一郎という名前を耳にした瞬間、彼女は一層戸惑いを大きくしたようだった。「むいちろうくんの」と言葉にならない声が聞こえてくる。時透くんのことは当たり前だけど知っているんだ。けれど、記憶が3年前で止まってしまっているから、何でここで彼の名前が出てくるのか分からないとでも言いたげな様子だった。
「時透くんは今、鬼殺隊としてたくさんの人の命を守っています。その中でも最も偉大な柱と呼ばれる選ばれし剣士なんですよ! とってもすごい人なんです。14歳で俺より年下なのに」
涙を流しながらもゆっくり頷きながら聞く彼女。「14歳?」とその瞳が丸くなる。ああ、そうだ。彼女には俺たちと認識している時の流れが違うのだ。ちゃんと説明しないといけない。
「………戸惑うかもしれません。初めに謝ります。名前さんが最後に知っている時から、3年が経っています」
「…っ!」
「3年間、ずっと時透くんが名前さんを守り続けたんですよ。今だって、俺にしっかり守ってねって伝えて出かけているんです。すごく大事にされているんですね…………って、ああっ?!」
そう伝える瞬間、彼女はわあっと泣いた。声はないけれど、大きな嗚咽音が辺りに響く。な、な、何でいきなりこんなに泣いたんだ………?! 感情全てが分かるわけではないから、名前さんの気持ちを全部読み取れるわけではない。けれど溢れ出る匂いから「うれしい」という微かな思いが分かる。戸惑いと驚き、ほとんどがそれだろう。けれど確かにその感情があることに、時透くんの今までの苦労全てが報われたような気がした。時透くんが命をかけてまで守り抜いた証が、その結晶が、ここにあると感じた。
禰豆子があやす様に頭を撫でる。なかなか泣き止まなくてオロオロしているけれど、暫くは仕方ないよな、そう思った。
「め…………わ、く」
「え?」
「か、けちゃ、…………」
細々と伝えられる言葉に、目を丸くした。迷惑? かけた? 誰に? 時透くんにか?
嬉しいという感情を押し殺すように、次に現れたのは申し訳なさ。ごめんなさい、ごめんなさいとその心は訴えてくる。何で名前さんが謝るんだ。謝る必要なんて、どこにもないじゃないか。
「時透くんがそんなこと言う人だと思う?」
俺の言葉に少し時間を開けてフルフルと首を横に振る。そうだよ。今は後ろ向きな感情なんて必要ない。時透くんは絶対にそんなこと思わない。名前さんが起きてくれた、それだけで時透くんは飛ぶように喜んでくれるに違いないから。今は、ただただ祝福しようよ。名前さん自身も今だけは。
「時透くんならすごく喜ぶさ。俺が見てきた時透くんはそういう人だから。でも一番は、名前さんが知っているだろう?」
「…………ん、」
「だろ? だからなにも心配することはないよ。おはよう、名前さん」
「よくがんばったなあ」そう言うともっと泣くから申し訳なかった。時透くんに早く知ってもらいたい。「なんで泣かせたの」って俺は怒られるかもしれないけれど。俺だって、名前さんの立場に立って時透くんの思いを知ったら、泣いちゃうほど嬉しいと思うから。
「ああ、俺は馬鹿だ! 起きたことに夢中で鴉に伝えるのを忘れるなんて……!!」
あの後、禰豆子が鴉のほうを仕切りに指を指し、そのことに気がついた。時透くんは今帰っている途中のはずだ。鬼を倒してからすぐに急いで帰ってるに違いない。あとどれくらいで着くだろう。早く、早く着かないかな。お屋敷の前で禰豆子とひたすら時透くんの帰りを待った。しばらくしてから、時透くんの匂いが強くなってくるのが分かった。―――もうすぐ、その時がやってくる。
時透くんが鬼を倒したのは彼が出発した夜すぐだったこと、名前さんが目を覚ましたのは大分それから時間が経ってからということ、時透くんがわざと時間をかけて帰ってたことを知ったのは、もう暫くしてからだった。すごく苦悩したことを聞いたのもその時。けれど俺は確かに見ていたから。時透くんの思いが、その全てが、実を結んだあの瞬間を。俺も涙が出るほど嬉しかったから。「でもよかったなあ!」そう言うと、時透くんは安心したように、ちょっぴり泣きそうになりながら微笑むのだ。