はぐれた孤独な子羊 ―蝶屋敷にて 伍―
「わたしも隊士になれたらよかったのに」
ポツリと呟いた。目の前の彼が、その言葉を聞いてくしゃりと顔を歪める。そんな顔、させたかった訳じゃない。ただ、強くなりたいって思ったんだよ。けれど、そこでわたしは気がついたんだ。ああ、わたし、間違っていたんだなあって。
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名前が暗い表情をすることが増えた。本人は悟られないようにがんばっているようだったけれど、僕から見たら一目瞭然だった。名前の見えないところで、胡蝶さんや神崎さんから「随分と無理してますね……」と聞いていた。止めようとすると頑なに「大丈夫です」と答えるらしい。「他のみなさんも必死で頑張っているんですから、このくらいへっちゃらです」そう言われると、2人の立場からは何も言えなくなってしまうという。そりゃあ多少の無理をしないと、できないこともあるだろう。名前もそんなことは分かりきって訓練を受けている。けれど、さすがに最近のは度が過ぎているのではないだろうか。
「名前」
「………あっ」
「ご飯落ちそうだったよ。…大丈夫?」
「うん、ごめん。行儀悪いよね。ありがとう」
小さな手から落ちそうになっていたお茶碗を、慌てて受け止める。夕餉を食べているときに、ふと気がついたら船を漕いでいる。毎日毎日、早い時間から布団の中で泥のように眠っている。ふらふらと倒れそうなその身体を見ていると、とても気が気じゃなかった。何よりも、その表情。なにか思い詰めたようなその顔を見ていると、苦しかった。名前が望むなら。そう思って許可した訓練だったけれど、そんな顔をさせるくらいなら受けさせなかったほうが良かったのではないかと思ってしまう。甘いのだろうか。でも、相手は何より大切な名前なんだ。辛い顔を、させたくないのに。
「……訓練、どう?」
伺うようにその話題を振ってみた。「えっとね、」笑っているけれど、ギュッと一瞬唇を結んだのが見えた。僕に誤魔化そうとしても、無駄なのに。全部、分かってしまうんだよ。
「なかなかすぐにはできないよね。仕方ないことだけど」
「………」
「蝶屋敷、すごい人がいっぱいいるんだ。しのぶさんや、カナヲさん。アオイさんも。あとね、蜜璃さんも! すぐに元気になって任務に戻っていたから本当に強いんだね」
「……」
「みんな頼りにされているんだなあって、見てたらすぐ分かるの。同じ女性なのに、全然違うなあって。なんか歩くことも出来ないのちょっと恥ずかしくなっちゃった。………仕方ないことだって分かってるのに」
「……名前、」
「……無一郎くんの周りの人、すごい人、いっぱいいるんだね」
(………受けさせなければよかった)
自嘲気味に俯いて笑う。名前が、強烈な劣等感を感じていることに気がついた。そして、その真ん中にいるのが僕だってことも。想われていない自覚がないわけではない。僕が理由になっていることも、最初から分かっていた。目の前の愛しい子が、ここまで頑張る理由も、無茶してしまう理由も、元を辿れば、自分だってことを。酷い男だと思う。頑張っているのを応援したいのに、もう辞めてしまえばいいだなんて、無責任なことを願ってしまう。
だけど、俺は、そんな顔、してほしかったわけじゃないんだ。
「そういえば、蜜璃さんとよくお話しているよね。何のお話しているの?」
ふと話題を変えるように名前が呟く。「あー」と口を噤む。名前を迎えに行く時に甘露寺さんがいると、名前に待ってもらって2人で話すことが多いのは、事実だ。でも、その理由を言う訳にはいかないんだ。名前なら尚更。
「ごめん、言えない」
「………そっか」
「そうだよね、柱同士でしか話せないことなんてたくさんあるよね! 変なこと言ってごめんね」そう笑いながら名前は言うけれど、僕は何も返せなかった。いつもだったら心地良ささえ感じる沈黙が、今はひどく不快に感じる。
「…………わたしも隊士になれたらよかったのに」
ポツリと名前が呟いた。その言葉を聞いて、僕は顔を歪めてしまう。ああ、あの時の僕の選択は、間違っていたんだろうか?
「…………蝶屋敷、行かせなければよかったのかな」
音に鳴ってしまったことに気がついたのは、目の前の名前がハッとしたように顔をあげたからだ。
(……俺、今なんて言った?)
その顔がジワリと悲しみに染まっていくのが分かった。言ってはいけないことを言ってしまった。気がついたときにはもう遅い。「……なんで、」
「……なんで無一郎くん、そんなこと言うの……?」
「…ごめん」
「わたし…頑張っているんだよ」
うん、知っている。そんなの、痛いくらい知っているよ。けれど、何も言えない。
「………ごめん、わたしも頭冷やすね。もう寝ます。おやすみなさい」
名前がお茶碗を置き、立ち上がろうとする。立ち上がるのにグッと力をこめている姿をみて、手を差し伸べる。
「待って、寝室まで一緒に行くよ」
「いい。いらない。ごめん」
「無茶言わないでよ。今名前にできることは少ないんだから、もっと俺を、」
――"頼ってほしいんだ"
そう言おうと思った。けれど、目の前の名前の顔が急激に歪んでいくのに気がついて、思わず言葉を止めてしまった。
「どうせわたしにできることなんてほとんどないよ………!!」
ボロボロと、双眸から流れ落ちる涙。傷つけた、そう思った時にはもう遅い。
「そんなのわたしが1番分かってる。分かってるのに…。無一郎くんだけには、そんなこと言われたくないのにっ」
ぐっと握りしめられた拳。劣等感でいっぱいの彼女に追い打ちをかけてしまう言葉。きっと、俺が一番言ってはいけなかった言葉。
「無一郎くんのバカ……!!!」
名前が部屋から出ていく。すぐに追いつくはずの後ろ姿を、ただ見ることしか出来なかった。