心は常に求めていた ―蝶屋敷にて 陸―
次の日。わたしはいつもの起床時間よりも早い時間に起きた。あれからしばらく経った後、冷静になった頭に思い浮かんだのは、後悔の二文字。
(わたし、最悪だ。無一郎くんに何八つ当たりしてるの……)
無一郎くんはあの時、わたしが「隊士になれたらよかったのに」と呟いた瞬間、確かに顔を歪めていた。すごく、すごく悲しそうな顔。そんな顔をさせてしまったという事実に、どんどんと後悔が募る。思い出すと、じわり、涙が滲んでくるのをゴシゴシと強く擦った。
ゆっくり時間はかかってしまうけれど一人で居間へと移動する。まだお手伝いさんも来ないような時間。一人で全部用意するのは大変だから、朝餉は諦めよう。簡単な身支度だけして、玄関へと向かう。今日は一人で、蝶屋敷に向かうつもりだ。
昨日一方的にわたしが怒ってから、無一郎くんの顔を見ていない。いつもだったら寝る前にわたしの部屋に来てくれて他愛もない話をしているけれど、昨日は1度も来なかった。もしかしたら呆れているのかもしれない。いつもいつもわたしのお世話ばっかりしているのに、当のわたしに八つ当たりされたら、無一郎くんだって腹が立つに決まっている。いつも、あんなに優しくしてくれているのに。何も返せないのが嫌で始めた訓練だったのに、なんでこんな事になってしまったんだろう。
(これ以上迷惑、かけれない)
無一郎くんは初めから機能回復訓練にわたしが行くのもあまりよく思っていなかったのは知っている。それでもわたしの我儘を了承してくれて、送り迎えもしてくれていた。昨日の言葉は、無一郎くんの本心なのかもしれない。後悔させてしまっているのが、情けなかった。
「がんばっているつもりなのになあ……」
御屋敷を出て、壁に手を付きながら、ゆっくりと蝶屋敷に歩いていく。わたし一人で一体、どれだけ時間がかかるのだろう。無謀だとは分かっているけれど、もう後には引けない。もう、わたしの我儘で無一郎くんが悲しむ顔は、見たくない。わたしが隣にいることで、無一郎くんが少しでも嫌な気持ちになるなら、離れた方がマシだ。
(……蜜璃さんとかだったら、もっとお似合いだったのかな)
2人でお話しているのを、最近はよく見ていた。わたしに聞かれないように移動して、楽しそうにお話をしている。底抜けに明るい蜜璃さんといると、無一郎くんもよく笑っているように見えた。楽しそうな2人を遠くから見ているのは、苦しかった。蜜璃さんとお話した後、「お待たせ」と言ってわたしを抱き上げてくれる無一郎くんを見ていると、自分のちっぽけさを痛感した。わたしのお守りじゃなくて、蜜璃さんともっとお話してたいって思ってないかな。蜜璃さんほど強かったらよかったのかな。そんなことばっかり考えてしまった。
がんばってもがんばっても、空回りしてしまう。思いも、行動も。
それが、すごく、悔しい。
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「ハア、ハア………っ、」
道端で蹲る。かかった時間は長いけれど、決して大した距離は歩いていない。それでもわたしの身体は、悲鳴をあげ始めた。心臓がバクバクする。息切れが止まらない。足が、身体がガクガクして、これ以上立っていられないと崩れ落ちた。汗がポタポタと土の地面に吸い込まれていく。ギュッと拳を握った。蝶屋敷に一人で行くことも、できないのか。
「こんなんじゃ、ダメ、なのに……っ!!」
無一郎くんのお荷物になりたくない。負担になりたくない。わたしでもできるんだって、少しでもいいから思いたい。
筋肉が固まってしまったかのように動かなくなる足を、握った拳で叩いた。動け、動け。ズルズルと這うように進む。なんて滑稽なんだろう。涙がボロボロと溢れてくる。それでも、進むんだ。
「わたしだって、できる……」
苦しい。苦しいよ。身体だけじゃない。心が、痛い。
がんばって。がんばってよ、わたし。こんなんじゃないでしょ。だって、今まで蝶屋敷でがんばってきたじゃない。
着物が土で汚れる。汗で髪の毛も乱れている。這いつくばっているけれど、腕への負担に耐えられなくなっていく。動け、動け。
「なんで………っ」
次の瞬間、わたしの身体は電池が切れたように地面に倒れ込んでいた。身体のどこも、指先まで全部、動かなかった。限界だったのだろう。鉛を何個も何個も乗せたように、重たい。なんで、なんで、なんで!! こんなんじゃ、ダメなのに!
「動いて、動いて………」
起き上がろうと腕に力を込めるけれど、全く力が入らない。嘘でしょう。こんなの、嫌だ。こんなの、ただの、お荷物だ。
「動いてよ…!! この役立たず………!!!」
嗚咽が漏れる。苦しい、苦しいよ。肺が痛い。息が、できない。
……無一郎くん。
ごめんね。酷いこと、言ってごめん。勝手に焦って、勝手に怒って、勝手に行動して。このザマだ。本当に、情けないよね。ごめん。
……でも、一つだけ、お願いしてもいいかな。元々勝手なのに、もっと勝手になってるのは分かっている。でも、苦しいんだ。お願い、お願い。無一郎くん、
「………助けてっ…」
「何やってんの!!」
その瞬間。焦ったような怒号が辺りに響いたと思った瞬間、わたしの身体は暖かい温もりに包まれた。