跡は涙の池になった


―――誰にも、知られないように隠していたつもりだったんだ。屋敷で僕を世話してくれているお手伝いさんだけには言ってある。だって、僕は柱だから。御館様に仕える身であり、鬼狩りだから。いつも、傍にいてあげられる訳では無い。ずっと寝ているから床ずれを起こさないように体位を変えたり、体を拭いてもらったりしている。嫌な顔一つせずまるで娘を見るかのように世話してくれている彼女に、とても感謝している。でも、彼女だけ。どんなにお互いに柱同士として信頼していても、どれだけ剣士たちと仲良くなったとしても、誰にも言うつもりはなかったんだ。だって、もう二度と、この子があんな目に遭うのは嫌だから。苦しいことも、悲しいことも、何も起きて欲しくない。自分の手の届くところに、常にいてほしい。大事なんだ、ほんとうに。俺の命よりも、ずうっと。

彼女の名前は、名前という。杣人であった父と、名前の父は仲がよかった。名前の両親はよく木を買いに来てくれて、そんな2人の後ろにいつもちょこんとくっついて来ていた。歳は僕たちよりも一つだけ上。でもそんなの関係なかった。恥ずかしがり屋で、内気な名前は、僕たち双子の妹のようだった。年齢は名前のほうが歳上なんだけどね。名前の両親は商人をしていて、僕たちから買った木を加工して木工品を作っていた。いつも色んな所に売りに行っているようだったから、名前は1人の時が多かった。寂しい、そんな顔をしていたけれど、全部隠して、両親の前では気丈に振舞っていた。両親が心配しないように「わたしは大丈夫だよ」って笑うのが癖になっているようだった。その反動で、僕たちにはすごい甘えてくる子だった。貧乏人だったから、学を身につける場所がなく、本を読んでほしいとよく強請ってきた。兄さんも「面倒臭い」って言っときながら、ずっと読んであげていた。僕もよく彼女の手を引いて森の中で遊んだ。よく迷子になって、2人で泣いていると兄さんや父さんが迎えに来てくれた。一緒に怒られると後で照れたように笑ってくる。その笑顔を見ると、怒られたことなんてどうでもよくなった。うん、僕の家族みんな、名前のことをほんとうに大事にしていたんだよ。もちろん、名前の両親だって。いつも商売が終わるとすぐに迎えに来て、「がんばったね」って頭を撫でていた。

僕の両親が亡くなって、名前は家に来なくなった。今何をしているのだろう。気になるけれど、兄さんは常に厳しかったし、生活も楽ではなかった。「どうせ新しい杣人から木を買ってんだろ。俺たちの知ったこっちゃない」兄さんの言葉に何となく納得し、二人きりの窮屈な日々を送っていた。そして、全てを奪われたあの日。鬼に襲われ、兄さんが殺され、御館様に助けられたあの日。全ての記憶がなくなってしまった僕の横に、知らない女の子――名前が寝かされていた。情けないけど、名前のことを思い出したのもこの前だよ。けれど、ずっと彼女は僕のお屋敷内にいた。「無一郎、彼女は君の傍にいたほうがいいだろう。君にとっても、彼女にとっても。大丈夫、記憶が戻ったらきっと全てが分かるよ」そうやって御館様に言われたのもあったけれど、それだけじゃない。本能が、霞がかった脳の奥底から、僕に訴えかけてきた。もう、これ以上、失いたくない。寝ているその子の顔を見ると、何故だか分からないけれど涙が出る。何の衝動か分からないけれど、それだけは強く思っていた―――。


「血鬼術なんだ」
「え……」
「どこかの鬼に呪いみたいなものをかけられて、ずっと眠っている。もうそれが3年くらい続いている」

時透くんは俺に静かに話してくれた。禰豆子は寝ている少女――名前さんの傍に座り、やわやわと頭を撫でている。「こら」と咎めたが、時透くんは「いいよ」と許してくれた。刀を帯刀したまま、腰を下ろした彼の横に俺も座る。そんな血鬼術があっただなんて。何でそんな、酷いことを。

「御館様は、僕の家にあまね様を向かわせる時と同時に、屋敷の人を名前の家に向かわせた。そちらの方から何か嫌な予感がするって。多分、僕たちと名前の家が仲が良かったのは前々から知っていたんだと思う。そうしたら、名前の家に鬼がいたらしい」

眠らせて抵抗をさせなくしてから喰うつもりだったのだろうか。それか、どこかに連れ去って後々食べるつもりだったのか。鬼は十二鬼月ではなかったけれど、異能で強かったと言っていた。帯同していた隊士が、朝日が昇り、鬼が逃げるまで攻防し、名前を助けてくれた。しかしその鬼を仕留めることはできず、逃げていってしまい、術を解く術は分からないままになった。そうして時透くんは、淡々と俺にその時のことを教えてくれた。

「……柱の任務の傍らで、僕はその鬼の行方をずっと追っている。呪いを解くにはその鬼を倒すしかないと思っているから」
「時透くん……」
「炭治郎。僕は、いつ名前が本当に起きなくなってしまうか、ずっと怯えている。朝起きて、呼吸を確かめて、「ああ今日も生きている」って安心する。でも、じゃあ明日は? 明後日はどうなんだ? って。眠っている顔を毎日見続けるのって、本当に堪えるんだよね」

分かる、俺もそうだった。禰豆子が鬼になって2年間眠り続けた時、俺も毎日怖かった。呼吸を確かめて、肌に触れてみて体温を感じて。ああ今日も生きてた。明日もそうであってほしい。毎日そればっかり考えていた。
名前さんは禰豆子と違う。本当は起きたいのに、呪いのせいで起きれないんだ。苦しい匂いがする。助けて欲しい、そうやって訴えかけてくるんだ。なんて、残酷なのだろう。

「薬学に通じている胡蝶さんにもこのことは言っていないんだ。信頼していない訳じゃない。………でも、もしも名前に何かあったら、僕は耐えられない」
「時透くん……」
「鬼さえ倒したら、きっと名前は目覚めてくれる。だから……」
「俺もその鬼、探すよ!」

気がついたら俺は時透くんの手をガシッと握っていた。目をぱちくりさせて驚いている様子の時透くんにもう一度言う。「俺も、手伝う!」
涙が出た。時透くんがどれだけ名前さんのことが大切なのか、痛いくらい伝わったから。どれだけ大切にしているか、匂いだけじゃない、その表情を見ればすぐにわかる。時透くんの目は、とっても優しかった。傍らで、禰豆子が慈しむように名前さんを見つめている。力になりたい。時透くんが、毎日怯えることがないように。ぎゅうっと手を握る力を強めると、「炭治郎」と時透くんが小さい声で俺の名前を呼んだ。





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