夜が終わる音がした
照明が弱々しく部屋を灯す中、寝ている名前を見つめる。一見落ち着いて静かに眠っているようには見えるけれど、いつも苦しんでいることを知っている。
「ねえ名前」
そっとその頬に手を伸ばした。あたたかい温度が手のひらいっぱいに感じる。安堵した。健康的な肌色をしている。御館様が、秘密裏に栄養剤を送ってくださるからだ。毎日それを注射しながら、僕は思う。今日も生きていてくれてありがとうと。
「今日も鬼を斬ったよ。名前を眠らせた鬼のこと、聞いてみた。でも、何にも分からなかった」
毎日毎日振り出しに戻るような気持ちだ。一歩も進展せず、かといって後退もしていない。何も変わらないまま、日は過ぎていくばかりだ。
「多分今、僕の方が背伸びたと思うんだよね。起きたら名前、ビックリするんじゃないかなぁ」
大きめの隊服を着ているからあまり自分では分からないけれど、3年前から僕は随分と変わった。まだ名前が隣にいた頃。気が弱くて、兄にひたすら着いていったあの頃とは違う。鬼殺隊に入って、ひたすら鍛練をして、柱になって。僕を慕ってくれる後輩もたくさんできた。新しい仲間もできた。こんな僕に感謝をしてくれる人が、いっぱいいる。ねえそれを、名前にも見てほしいんだ。
「記憶がなくなる前に、兄さんに言われたんだ。"無一郎"の"無"は、"無限"の"無"だって。すごい嬉しかったよ。だからちゃんとがんばっているの、見てほしいな」
僕は何もかもが変わった。けれど、目の前の名前は何も変わらない。それがどうしようもなく歯がゆかった。この3年間、ただ苦しむことしかできなかったんだ。そんなの、寂しすぎるじゃないか。だから、何があっても呪いを解きたい。でも、それが、中々叶わない。自分のやっていることが、本当に正しいのか分からない。名前を起こしたいと思うのに、それに先立って誰にも知られたくないと思ってしまう。全部俺のエゴだって、分かっていたんだ、ほんとうは。名前のことを思うのなら、本当にしないといけないことは、きっと。
「名前が一番早く起きたいって思っているよね。なのに、俺は………」
ぎゅっとその手を握りしめた。決して握り返させることはない。名前を見ていると、"無能"な僕が出てしまうように思えて、苦しかった。
決断ができない。任務だったら簡単に切り捨てられることが、ここではできない。大切なことは分かっているのに、踏み出せられない。それは、僕の弱さなんだろう。「ねえ、教えてよ名前………」部屋を灯す灯りは、ゆらゆらと揺れている。僕の心のように。
「ねえ時透くん、今度お屋敷に行く時、みんなを連れてきてもいいか?」
だから、僕は。もしかしたらその言葉をどこかで待ち望んでいたのかもしれない。
「え………」
縁側でいつものように炭治郎と刀の手入れをしていると、やけに真剣な表情をした炭治郎が僕を見つめてきた。打ち粉を振るう手が止まる。
「善逸や、伊之助とか」
「それって……」
「うん。二人とも聴覚とか触覚とかが優れているから……気づくと思う」
それが意味することを、炭治郎は分かっている。しばらくは僕の意思を受け止めて、その通りにしていてくれていた。それでも、炭治郎はそう言ってきたんだ。彼らしいと言ったら、そうなんだけど。「えっと……」言葉につまる。
「時透くんの言っていること、分からないことはないんだ。誰かに見せることで、名前さんが傷つくのが嫌なんだよな。でも、やっぱり、みんなで探した方がいいと思う」
純粋な瞳に、何も言えない。ほんとうは、そんな綺麗な理由だけじゃない。もちろんそれは絶対に言えないけれど。もっとドロドロした部分、僕の弱い部分。それが一番、邪魔をしてくる。
「時透くん、すごい苦しそうな匂いをしている。もちろん名前さんだって。助けてほしいって、二人とも心が叫んでいるんだ。俺は絶対、ほっとけない。ほっときたくない」
「炭治郎……」
「だって俺たち、仲間じゃないか。迷惑なんて、かけて当たり前だ! 一人でできることなんて少しだけだよ。だからみんなで助け合うんじゃないか。俺はそもそも時透くんより断然弱いから、迷惑しかかけたことないじゃないか……」
「…」
「善逸も伊之助も、みんな受け止めてくれるさ。だってアイツらも仲間だから。俺は絶対、時透くんを助けたい。ちょっと烏滸がましいけれど……って、」
「えっ、時透くん?! ごめん、俺、変なこと言った?!」炭治郎の反応で分かった。気がついたら僕は、泣いていたらしい。炭治郎の思いが、あまりにも温かかったから。
ああ、俺は、本当はずっと苦しかったんだ。
自分のことを考える余裕がなかった。ただひたすら過ぎていく時間の速さに焦っていて。炭治郎をお屋敷に招いたのも、きっと、苦しかったからだ。限界が来てて、どうしようもできなくて、それでも自分の勝手な気持ちはいつまでも居座り続ける。苦しかったんだ。自分自身が。だから、無意識に助けを呼んでいたんだ。
父さんが教えてくれたじゃないか。人のためにすることは、いつか自分に返ってくるって。きっと全部上手くいくって。人に頼ることも、頼られることも、間違ってないんだ。
「……ごめんね、炭治郎。あの日炭治郎のことを否定して。僕が弱かったんだ」
「違うよ。弱いんじゃない。時透くんは、ただ優しかっただけだ」
瞠目した。自分でも惨めだとしか思わなかった僕を、こんな風に。こんなことを言ってくれるんだ。どうしてそれを、拒否できるだろうか。「時透くん、」
「一緒に、探そうよ。みんなで」
炭治郎が笑う。禰豆子も俺の頭を慰めるかのようにゆっくりと撫でてくれた。ドロドロした気持ちが、晴れていくような感触がした。