目の前の光景をただひたすら眺めていた。この蒼色を、わたしは生涯忘れないと思う。もうすぐこの命が果ててしまうのなら。せめて、この光景だけは、忘れたくないと思った。魚が、ゆらゆらと水槽を泳いでいる。流れに沿って泳ぐ魚。少し止まって下の方で休む魚。流れとは逆に泳ぐ魚。そこはまるで、自由な空間だった。大きい魚に、小さな魚が寄り添うように、泳いでいる。遥か遠い記憶の中で、既視感を感じた。わたしも、こんな時が、あったのかな。それとも、わたしより遥か前の記憶なのかな。ここにいる魚は、みんな家族のようなものなのだろうか。分からない。分からないけれど、なぜか、目が離せなかったのだ。
「名前」
無一郎くんが、わたしの名前を呼んだ。少し遠くに行っていた心が、現実に引き戻される。随分とここにいた。他の場所を見る時間は、残念ながらなくなってしまったけれど、どうしても目が離せなくて。この蒼色に、できればずっと包まれていたかった。
「無一郎くん、ありがとう」
「……え」
優しいやさしい死神さん。本当は、分かっていたんだ。彼は優しいからわたしのお願いごとを聞いてくれているってこと。わたしとずっと一緒にいてくれているってこと。わたしの、「家族ごっこ」にどこまでも付き合ってくれる。けれど、それは仕事であって。わたしが望んでいるものは、何だったんだろう。運命なんだから、望むのも可笑しいんだけど。けれど。
「一緒に来てくれて、本当にありがとう」
けれど、無一郎くんとここに来たこと、忘れたくないと思った。ちゃんと覚えておきたい。誰かが隣にいること。それが、こんなにも温かいことだったなんて。初めて知ったから。
「あのね。わたしのお願いごと。家族になって、って言ったじゃない。それね――」
――破棄してもいいよ。
そう言おうと思っていた。だって、わたしは、ほんとうに家族がほしかったのではない。ただ、誰かが隣にいてくれるだけで十分だったんだ。一緒に水族館に来てくれて、一緒に水槽を眺めてくれる。そんな人がいるだけで、もう、本当に幸せなんだよ。それだけで、もういいんだ。だから、家族ごっこは終わりでいい。そう言おうと思った。けれど、その先は、言えなかった。
「…………」
「無一郎くん……?」
気がついたら、わたしの体は、彼の腕の中にあった。ちゃんと人間のような、温かさがある。何も言わず、無一郎くんはただわたしをギュッと抱きしめる。何を考えているかは、残念ながら分からなかった。無一郎くんの優しい匂いが、わたしの全てを満たしていく。ビックリして言葉が出なかったのとは別に、その匂いに、なにかが込み上げてきてしまいそうで。でも、泣くなんて可笑しいんだろう。わたしは、苗字家の末裔であって、定まった運命があって。もう、全部決まっているんだから。ああ、そういえば今まで泣いたことがなかったなあ。だから、こんなの初めてだった。けれど、この込み上げてくるものを、どうすることもできない。流してしまえば楽になるのかな。でも、そのやり方が、分からない。ただただ困惑したまま、彼の腕の中にいた。このまま、離れたくないなあ。そう思った。
・
・
・
名前が何を言おうとしたか、すぐに分かった。分かった途端、気がついたら、体は勝手に動いていた。
可笑しいだろう。ただ隣にいるだけなのに、そんな、人生最高です、とでも言いたげな顔をしないでほしい。水族館に行くことも、誰かと歩くことも、こんなの、普通のことなんだよ。もっと、もっと、望んでも罰なんか当たらないんだよ。そう言いたかったけれど、言えなかった。罰がなかったのなら、誰も、彼女に死を与えないはずだ。
ここで彼女の言うことを聞いてしまったら、きっと、名前は本当に生きる未練がなくなってしまうのだろう。それでいいはずなのに、それが目的なはずなのに。でも、そんなこと、思ってほしくなかった。諦めたような顔を、しないでくれ。全部、そんな簡単に受け止めようとしなくても、いいんだよ。目をパッと開いて驚いたり、プクッと頬を膨らまして怒ったり。目を細めて、笑いジワを作って、いつまでも子どものように、笑っていてほしい。僕が思うのは、いけないと分かっていた。けれど、どうしても、思ってしまう。もう、誤魔化しが効かなかった。ねえ、俺の願い、聞いてもらってもいい?
俺は、君と、もっと一緒にいたい。
伝えたら、それこそもう一緒にいられない。だから、ただただその体を抱きしめた。温かいんだ、名前の体は。どうかこの熱が奪われてほしくない、だなんて。到底不可能なことを、願ってしまうんだ。誰かが生きているのが、こんなに、嬉しいことだなんて。初めて知った。こんな