大学の講義が終わり家に帰ってから無一郎くんと一緒にスーパーに行って、帰路につく。あと1時間もしたら辺りは暗くなり始めるのだろう。夕焼けに染まり始めた道を、わたし達は並んで歩いていた。
「今日の夜ご飯はね〜、わたしのお得意料理にしようと思ってるの」
「もしかして鍋って言わないよね」
「えっ、なんで分かったの?!」
「いやわかるでしょ、カゴにいれるもの全部見てたし……」呆れたような目を向けられる。エヘへへ……と苦笑した。わたしが夜ご飯担当のときは、基本お鍋一つで済むものが多いのは事実だ。作るのが楽だし、今まで一人暮らしで見た目を気にしたこともなかったから。それは、無一郎くんと過ごす今でも、癖として残っていて変わらない。
「大学生は時間があるように見えて、実際はないんです」
「だから毎日僕が作るって言ったのに」
「それは嫌!」
「それかどこかに食べに行くとか。ちゃんとお金は僕もあるよ」
「それも嫌」
「ワガママだなあ」無一郎くんが笑う。そうやってありふれた会話をしながら、ふと近くにある河原のほうへ目を向けた。「あっ!」何気なく見えた夕日に照らされている川が、キラキラと輝いていて綺麗だったから、無一郎くんにお願いをして少し寄り道をすることにした。
「ねえ無一郎くん」
「なに?」
「あの川の向こうを目掛けて、紙飛行機飛ばして!」
これは最近知ったことだけど、無一郎くんは紙飛行機を作るのも、飛ばすのも、馬鹿みたいに上手いんだ。わたしが家事をしているときに、暇そうに近くにあるチラシを折った無一郎くんが初めてそれを投げた時、わたしは衝撃を受けた。
ここだったら、壁も何もない。完全に思いつきだったけれど、「お願い!」そう言って、さっきスーパーでもらった特売のチラシを彼に渡す。「ええ………」そう言いながらも、わたしのくだらないお願いを何だかんだ言って聞いてくれる無一郎くんは、本当に優しい。
無一郎くんがしゃがんで、紙を折り始める。わたしもその横に同じようにしゃがんだ。どんなにやり方を教わっても、わたしのは全然飛ばない。「え、なんでできないの」そう言いたそうにしている目を向けられた時は、無性に悔しかった。いつかその技盗んでやるんだから! 手際よく折られていくそれを、じーっと見つめる。「見すぎ」そう言われたけど、それはシカトした。
「では時透さんの一投です」
「なにそれ」
「いいんです、はい、飛ばして!」
無一郎くんはわたしの言葉に吹き出したように笑う。そして、そのまま紙飛行機を投げた。ゆらり、ゆらり。風に乗って、飛んでいく。相変わらず、よく飛ぶなあ。
「わあ、さすが! 無一郎くん、まるで魔法使いみたいだね」
「それは言い過ぎ。実際魔法なんて使えないし。まあ人でもないんだけど…」
「じゃあ神の手でも持っているのかもしれないね!」まっすぐ飛んでいく紙飛行機は、落ちる気配が全くない。わたしは冗談を言いながら、すごいすごい!と興奮してそれを見ていたけれど、当の本人に目を向けると、紙飛行機の方には目を向けず、自分の手のひらを見つめていた。
「こんな手、」
「うん?」
「こんな手、なんの意味もないよ」
ポツリ。呟いた声は、無機質なものだった。けれど、どことなく寂しそうで。思わず彼の表情を見つめてみてもわ無一郎くんの瞳からは、何も分からなかった。
意味がない。そうもう一度言って、隊服に隠れたそれを、無一郎くんはキュッと小さく握りしめた。無一郎くんがどのようにして命を刈り取るのかは分からないけれど、きっと彼は、自分が死神だからそう言っているんだと思った。わたしの手とは対照的。けれど、その感覚はよく分かった。
わたしも、自分の手がそんなに好きではなかった。何かを治しても、周りからは怖がられてしまう。みんな離れていってしまう。使うのをやめよう、そう思っても、それでも、何度も手を翳してしまう。ただ、それの繰り返しだった。何かを得ているようで、何も得ていないような気がしたから。それでもいい、そういって割り切ったら、存外気持ちは楽になった。
無一郎くんは、もちろんわたしとは違う理由でその言葉を言ったんだろう。本当の理由は、分からない。けれど。
「わたしは、」
「…ん?」
「わたしは好きだなあ。無一郎くんの手」
「…!」
川の方をもう一度見る。紙飛行機は、もうわたし達の見えないところに消えてしまった。目の前に流れる川を見ながら、わたしはそう言った。
無一郎くんは、初めて会った日、その手でわたしの頭を撫でてくれた。それが、とても優しかったんだ。あまりにも優しくて、わたしは柄にもなくホッとしちゃって。あの時、その手に救われたんだよ、わたしは。それだけは、本当のことだから。意味はあるよ。無一郎くんの手に、ちゃんと意味はある。無一郎くん自身が無意味だと思っても、わたしだけはちゃんと分かっているから。それを伝えると、無一郎くんはゆるりと目を見開いた。「……そんなことないよ」どこか納得していないような、複雑そうな声。ちいさい声だった。「ううん、優しいよ、無一郎くんの手は」まるでそれが震えているように聞こえたから、無一郎くんを見て、もう一度言った。辺りが茜色に色づいていく中で、無一郎くんの水色の瞳は、なんだか揺れているように見えた。まるで、泣いているように見えたのは気のせいかなあ。