はじめて、涙を流した。胸の中がぐちゃぐちゃで、気がついたら溢れていて。本当は、怖かったんだ。自分の運命を、死をはっきりと感じた途端に、身が凍るような恐怖に襲われた。あんなに苦しくて、痛くて、寂しくて。あれの先に待っているのが、「無」だなんて、そんなの恐ろしいと思った。けれど、それも仕方ないって。だって、これが苗字家の宿命なら、どう頑張っても無駄だよなあって。足掻いてみても、虚しいだけだよなあって。ここまで来ても、諦めの感情が大きかった。ちょっと後悔したからって、変わるもんじゃないよね。そう思っていた。
けれど、無一郎くんがあんなことを言うから。あんなに優しい目で、わたしを見て言ってくれるから。「伝えなくてもいいと思っていた」。無一郎くんはあの後そう言ってくれたけど、わたしだってそうだった。伝えなくても、分かると思っていた。だけど、言葉にして、音にして、どうしようもない愛おしさを感じた。死ぬほど嬉しいのに、死ぬほど切なくて。苦しくて、仕方なくて。止まらなくなった思いが、形として流れていった。ああ、涙って、こうやって流すものなんだって分かった。無一郎くんが泣きそうになっていた時も、こんな感情だったのかな。あの時は、流し方なんてさっぱり分からなかったから。
初めての恋だった。他の人とはまるで違うわたしと、人間じゃない無一郎くん。世の理からはみ出て、世界の端っこにいるようなわたしたちが、恋に落ちてしまった。許されないこと、決してハッピーエンドは迎えられないってこと、そんなの分かっているけれど、想いが止まることはない。
「無一郎くん」
「………ん?」
「好き」
「……うん」
「無一郎くんは?」
「さっき言ったじゃん」
「やだ。もう1回聞かせて!」
「えー、ワガママだなあ」
「だって嬉しかったんだもん。そこをなんとか、お願いします!」
「ハア…………」
朝が来るまでの、ほんの少しの時間。ソファに横並びで座りながら、ただ寄り添う。隣にある温もりが、匂いが、たまらなく愛おしかった。「…好きだよ」観念したように耳元で言ってくれるけれど、ちょっと刺激が強すぎだ。ぼうっと顔が真っ赤になっていくのが分かった。そんなわたしを見ながら、無一郎くんが笑う。「なんで、耳元!」「名前が言えって言ってきたんじゃん」イタズラが成功したような、ちょっと悪い笑い方。むぅっとしながらも、幸せでいっぱいになってしまうから、本当はちっとも怒っていないこと、バレバレなんだろうなあ。
「あのね、無一郎くん」
「…ん」
「家族になってほしいってわたし言ったじゃん」
「そうだね」
「家族だったら、こんなの、おかしいよね」
「……まあ、そりゃあね」
「だから、お願い、変えてもいい?」
「…なに?」
ぎゅうって、隣にいる無一郎くんに抱きつく。目を閉じて、その存在を体の芯まで感じる。
どうか、許してください。最期の最期に、こんな想いを、知ってしまったから。少し、ワガママになることを。本当のお願いは、決して叶うことはないって分かっている。だから、せめて。せめて、お願いします。
「わたし、最期は、これがいい」
「え……?」
ゆるりと背中に回った温度に心地良さを感じて口元が緩む。幸せって、こういうことを言うのだろう。
「……最期は、無一郎くんにぎゅうってされながら、」
"死にたい"。
さいごの4文字を、無一郎くんは分かっていたのだろうか。わたしには、分からなかった。まるで「言わせない」って言うかのようなタイミングで、唇を奪われたから。
「ん………っ」
2回目のキスだった。まるで縋るような、熱いもの。わたしの顎をすくう華奢な指先が、どことなく震えていたのに気がついて、やっぱり、分かっていたんだろうなあって思った。「そんなこと言わないで」キスの合間に、苦しそうに無一郎くんが言う。何度も何度も繰り返されるそれ。気がついたら、もう一度涙を流していた。「どうか生きようとして」。そう言いながら、無一郎くんも、泣いていた。わたしのお願いを、きっと彼は叶えてくれないだろう。だって、違う。叶うことはないって分かっているけれど、わたしの、ほんとうのお願いは、それじゃないから。どうしようもないくらい、ワガママになってしまったから。
わたし、無一郎くんとずっと一緒にいたいの。だから、生きたいよ。