思いを伝え合ったあの夜。その後も日常は変わらず流れる。
無一郎くんにみっともなく泣きついてしまったあの日――わたしの本心を打ち明けた――から、頻繁に夢を見るようになっていた。
今までも朧気に見ていた夢。男の人と、女の人が一緒にいる夢だった。不思議だと感じたのは、その服装。歴史の授業で習ったような、いわばはるか昔の和服を着ているのだ。鮮やかな、とても美しい着物。それを着ている女の人は本当に綺麗で、なんだかキラキラしていて、見ている男の人がにっこり笑っているのが分かる。男の人の着物はそれとは正反対で黒色。まるで無一郎くんが着ている服のようだった。なんでこんな夢を見るんだろう?
『知っているからでしょう?』
ふと、声が聞こえた。フィルター越しに見ているような、霞みかかった向こう側からではない。透き通った声色。後ろを振り返ると、そこには綺麗な女の人がいた。あれ、さっきまであっちにいたんじゃ…。
『知っているはずよ。あなたは。だって、これは記憶だもの。あなたはこの幸せも、痛みも知っているはず』
凛とした表情。記憶…? 問いかけたいのに、声が出ない。喉の奥で、どうしても止まってしまう。戸惑ったわたしの顔を見たからか、困ったようにその人は笑う。『そうよね、困らせちゃっているよね』
『あなたに全て託すのは申し訳ないと思っている。でも、私は――私たちは、あなたなら変えられると信じてる』
『ただ、間違わないでほしいの』
『お願いだから…』
ポロリ。女の人は、1粒涙をこぼす。なんのことかさっぱり分からないのに、その悲痛な声に、胸が痛む。わたしの手にも魔法があればいいのに。無一郎くんが、わたしの頭を撫でてくれた時。わたしの涙を拭ってくれた時。あの時、確かにわたしは素敵な魔法にかかっていた。嬉しくて、ちょっぴり泣きそうで、腹の底から愛しいという気持ちが溢れる、あの感覚。それをわたしも与えられたらいいのに。命なんて、大層なものじゃなくていいから。伸ばそうとした手は、女の人にはちっとも届かない。涙を拭うことも出来ないなんて、苗字家の力はなんて虚しいんだろう。
(なんで泣いてるの?)
そう聞きたいのに、声はやっぱり出ない。
けれど、わたしの戸惑いなんてお見通しかのように、彼女は言う。
「いないの。もう、いないの」
―――
――
―
【もう一度、水族館に行きたいです】
名前から一通のメッセージが送られてきたのに気がついたのは、あの夜から既にひと月ほど経った頃。御館様に定期的な報告をするために、御屋敷に訪問している時。いいよ、と打ち送信する。既読がすぐに着き、少しコメディーな表情をしたウサギが飛び跳ねて喜んでいるスタンプが送られてくる。ゆるり、口角があがる。こんな些細なやり取りでさえ、心の奥がじんわりと熱を持つんだ。愛しいって、大切にしたいって、こういう気持ちを言うんだとすぐに分かった。ポケットの中に手を入れ、イルカのストラップを取り出す。結局もらってばかりの前回だった。次は僕が買おう。何がいいかな、何があの子に似合うだろう。ようやく見せてくれるようになった、花のような笑顔が脳裏に蘇る。そんなことを考えながら、死神らしかぬほくほく顔で歩いていた。
「お…………。よう、時透」
「…宇髄さん」
バッタリと出くわす。ここ数ヶ月、会話はもちろん、まともに顔を合わせていなかった。前回があの別れ方だったため、お互いどこか気まずそうにそっぽを向く。
「…ソイツ、あの娘からもらったのか」
「そうです。初めて一緒に水族館に行った時にくれたんですよ」
そのまま別れると思ったら、思いかけず宇髄さんが話してくる。会話らしい会話が続いたことが、なんだか無性にむず痒い。誤魔化すように、ずいっとストラップを宇隨さんに見せつける。
「は〜〜っ…。俺の心配とは裏腹に、お揃いなんて、まあイチャつきやがって。お熱いこった」
「どうも。また行く予定なので」
「けっ。あーーはいはい。人間様とリア充している死神は早くどっか行け。ついでに俺にもなんか買ってこいよな。心配してやったのにそれを踏みにじった代として」
「子供ですか…」
少し前までの僕らに戻ったやり取り。宇髄さんは、こういう気配りができる人なんだ。
お互いに軽くため息をつく。くるりと踵を返す宇隨さん。ヒラヒラと手を振りながら、「楽しめよー」と去っていった。
もう二度と分かり合えないと思っていた。自分の決意を変える気はさらさら無い。そのためにはどんな茨の道でも、たった1人で進んでいくと決めていた。その道半ばでこぼれ落ちる物は、仕方がないと思っていた。それも全て覚悟の上だ。だから、あの時、宇隨さんとの縁が完全に切れたと思っていた。それでも、もう一度このようなやり取りができるっていうのは、なんだか、本当にむず痒いんだ。
(……サメと戦ったら、どっちが勝つんだろう)
去っていく大きな背中を見ながらそんなくだらない考えをするほど、“嬉しい”という気持ちがあったんだろう。平然とした顔をしているが、本当は少しフワフワした気持ちなのだ。
そうして俺は、この日を死ぬほど後悔することとなる。