75
少女を見つけたのは、街外れの小さな公園だった。
公園といっても、遊具がいくつか置かれているだけの、ひどく静かな場所だ。
朝の早い時間だからか、人の気配はほとんどない。
風に揺れる木の葉の音と、遠くの通りを走る荷車の音が、かすかに届くくらいだった。
こういう場所を選ぶと思った。
人が少なくて、でも完全に閉じた場所ではない。
ひとりになれるけれど、ひとりきりになりすぎない場所。
キルアは公園の入口で足を止めた。
――いた。
古びた木のベンチに、少女がひとりで座っている。
膝の上で手を重ね少しだけ俯いて、遠目にも、眠れていないのが分かる。
肩の線が細く、どこか頼りない。朝の光の中にいるのに、まだ夜の続きを引きずっているみたいだった。
見つけた瞬間、胸の奥で何かが強く鳴った。
無事だった。
それだけで、まず息が少し戻る。
でも次の瞬間には、別の感情が押し寄せる。
勝手にいなくなったことへの苛立ち。
置き手紙だけ残して離れたことへの焦り。
探しているあいだ中、頭の中を埋めていた最悪の想像。
それらが一気に胸の内側へ戻ってきて、キルアの呼吸を浅くした。
今すぐ駆け寄って、何してんだよと言いたかった。
無事ならそれでいいだろうと、自分に言い聞かせても、張りつめたものは簡単にはほどけない。
けれど、責めるのは違う。
それくらいは分かっていた。
キルアは一度だけ目を閉じ、短く息を吐いた。
それから、できるだけ足音を荒げないように歩き出す。
少女は、近づく気配に気づいたのか、ゆっくり顔を上げた。
その目がキルアを捉えた瞬間、わずかに揺れる。
驚いたのか、来ると思っていたのか。
そのどちらもあるような顔だった。
キルアはベンチのすぐ前までは行かず、少し距離を空けたところで止まった。
近づきすぎれば、逃げ場を塞ぐ。
でも遠すぎれば、探しに来た意味がなくなる。
その曖昧な距離のまま、しばらく何も言えなかった。
言いたいことは山ほどある。
無事でよかった。
勝手にいなくなるな。
心配した。
戻れ。
でも、そのどれもが今の正解ではない気がした。
少女のほうも、すぐには口を開かなかった。
膝の上で重ねた手に、少しだけ力が入っている。
その指先の白さが、彼女の緊張をそのまま表していた。
風が吹く。
木の葉が揺れて、細い影が地面に揺らめく。
ようやく、キルアが口を開いた。
「……探した」
低い声だった。
責める響きは抑えたつもりだった。
でも、完全には抑えきれていない。
張りつめたものが、そのまま声に滲んでいた。
少女は小さく目を伏せる。
「……ごめん」
予想していた返事。
でも、その謝罪を聞いた瞬間、キルアの胸の奥で別の苛立ちが跳ねる。
謝ってほしいわけじゃない。
そうじゃなくて――
けれど、その先を言葉にする前に、キルアは奥歯を噛んだ。
今ここで感情のまま言えば、きっと全部が“責める”になる。
少女はベンチの端を見つめたまま、細い声で続けた。
「少しだけ、考えたくて」
「……置き手紙は見た」
それだけ返すと、少女の肩がわずかに揺れる。
たぶん、あの短い文だけで伝わってしまったことが、今さら重くなったのだろう。
キルアは少女を見た。
朝の光の中でも、顔色はあまりよくない。
ちゃんと休めていないのが分かる。
それでもここに来たのは、昨夜のまま家にいるほうが苦しかったからだろう。
そう思うと、責める気持ちは少しだけ鈍る。
でも、張りつめたものは消えない。
「……で」
キルアの声は、自分でも分かるくらい硬かった。
「考えて、どうすんの」
問い詰めるつもりではなかった。
でも、言葉は思ったより鋭く落ちた。
少女は一瞬だけ息を止めた。
それから、ゆっくりと顔を上げる。
その目には、昨夜と同じ痛みがまだ残っていた。
「やっぱり」
声が掠れる。
「やっぱり、わたし……離れたほうがいいのかなって」
その一言で、キルアの中の何かが強く軋んだ。
離れたほうがいい――その言葉は、置き手紙よりずっと直接的だった。
頭では予想していたはずなのに、実際に聞くと、胸の奥に冷たいものが走る。
少女は視線を落としたまま続ける。
「ここにいても、わたし何もできないし……」
膝の上の手が、ぎゅっと握られる。
「記憶もないし、力もないし、前のわたしの代わりにもなれない」
昨夜の言葉の続きだった。
夜の中で吐き出した自己否定が、朝になっても消えていない。
むしろ、ひとりで考えたぶんだけ、もっと固くなっている。
キルアは何も言えない。
言い返したい。
違うと否定したい。
でも、昨夜すぐに言えなかった自分がいる以上、軽々しく被せることもできなかった。
少女は唇を噛み、少しだけ声を震わせる。
「もし、やっぱり迷惑だったら」
その言葉に、キルアの眉がぴくりと動く。
――迷惑。
そんなふうに思ったことは一度もない。
ないのに、今の彼女にはそう見えているのが事実で。
「離れたほうが……」
そこまで言いかけて、少女の声が止まる。
最後まで言い切るのが怖いのかもしれない。
でも、言葉の意味は十分すぎるほど伝わった。
キルアの中で、“行くな”がせり上がる。
離れるな。
勝手に決めるな。
戻れ。
ここにいろ。
喉まで来る。
今すぐ言えば、たぶん声になる。
一歩近づいて、腕を掴んでしまえば、それで終わるのかもしれない。
でも、それは違う。
今ここで必要なのは、責めることでも、縛ることでもない。
分かっている。
分かっているのに、簡単じゃない。
公園の空気は静かだった。
風が木々を揺らし、遠くで鳥が鳴く。
その穏やかさとは裏腹に、二人のあいだだけがひどく張りつめていた。
キルアは少女から目を逸らさず、低く言う。
「……迷惑とか、そういう話じゃねーから」
それは本音だった。
でも、それだけでは足りないことも分かっている。
少女の目が揺れる。
まだ、何も安心していない目だった。
キルアは拳を握る。
“行くな”はまだ喉にある。
今にも零れそうなまま、そこに引っかかっている。
それでも、ここで選び直さなければならない。
そのぎりぎりのところで、キルアは立っていた。
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