01
くじら島にも、賑わう通りがある。
店先には小さな雑貨が並び、ガラス越しに見えるリボンやアクセサリーがきらきらしている。
甘い焼き菓子の匂いと、人の話し声。
賑やかすぎないその通りは、ナマエにとって少しだけ歩きやすい場所だった。
キルアは少し前を歩いている。
人混みではないけれど、完全に人が少ないわけでもない。
そのちょうど中間くらいの空気が、今日は少しだけ心地よかった。
「見てく?」
キルアが足を止めて、店先の小さな雑貨屋を顎で示す。
ナマエはガラスの向こうを見て、少しだけ目を丸くした。
淡い色のヘアピンや、小さな花の形の栞、細いリボンのついた小物入れ。
可愛いものが、きちんと可愛く並べられている。
「いいの?」
「別に、見たいなら」
「……見たい」
そう言うと、キルアは少しだけ口元を緩めた。
それから、当然みたいに扉を開ける。
店の中は外より少し涼しくて、静かだった。
棚に並んだ小物を見ているだけで、なんだか落ち着かないような、でも嬉しいような気持ちになる。
ナマエはそっと棚に近づく。
細い金の縁がついた手鏡、淡い青のリボン、白い花の飾りがついたヘアクリップ。
「かわいい」
思わず零れた声に、キルアが後ろから「ん」とだけ返す。
そのとき、隣の棚の向こうから明るい声がした。
「それ、似合いそう」
ナマエがはっとして顔を上げると、同じくらいの年頃の女の子がこちらを見ていた。
柔らかく巻いた髪に、明るい色の服。
にこっと笑う顔があまりにも自然で、ナマエは一瞬反応が遅れる。
「え……」
「その白いの。可愛いし、あなたみたいな雰囲気の子に合いそう」
自分みたいな、という言葉に少し戸惑う。
けれど嫌な感じはしなかった。
むしろ、まっすぐ褒められたことにどう返せばいいのか分からない。
「……ありがとう」
「やっぱり。声も可愛いね」
そんなふうに言われて、ナマエはますます困ってしまう。
褒められ慣れていないせいで、顔が少し熱くなるのが自分でも分かった。
女の子はくすっと笑って、棚のこちら側へ回ってくる。
「わたし、こういうお店好きなんだ。ひとりで見てると、たまに“これ似合いそう”って言いたくなっちゃって」
「そうなんだ」
「迷惑だった?」
「ううん、そんなことない!」
慌てて首を振ると、女の子はほっとしたように笑った。
名前を名乗られて、ナマエも少し遅れて自分の名前を返す。
それだけのことなのに、胸の奥が妙にそわそわした。
同年代くらいの女の子と、こんなふうに自然に話すことなんて、ほとんどなかったから。
「ナマエちゃんって、こういう淡い色似合いそうだよね」
「そうかな」
「うん。やさしい感じするし」
そんなふうに言われると、くすぐったい。でも少し嬉しい。
女の子は棚から細いリボンのついた栞を取って、「これも可愛いよ」と見せてくる。
ナマエもつられるように覗き込む。
「ほんとだ……」
「本読む?」
「少しだけなら……」
「じゃあちょうどいいかも」
会話は不思議なくらい自然だった。
何を話せばいいのか分からなくて困るかと思ったのに、相手がうまく拾ってくれる。
可愛いものの話、色の話、どんな小物が好きか。
そんな何でもないことを話しているだけなのに、ナマエは少しずつ肩の力が抜けていくのを感じた。
少し離れたところで、キルアが別の棚を見ている。
見ているふりをして、たぶんこっちの様子も気にしている。
その視線を感じて、ナマエは少しだけそちらを見る。
キルアと目が合う。
キルアは何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ眉を上げる。
“平気?”と聞くみたいに。
ナマエは小さく頷く。
するとキルアはそれ以上何も言わず、また視線を戻した。
女の子がそのやりとりに気づいたのか、少しだけ声をひそめる。
「彼氏?」
「え?」
あまりにもまっすぐ聞かれて、ナマエは目を瞬く。
「ち、ちが……」
と言いかけて、でも違わない、と言葉が喉のところで止まる。
女の子はその反応を見て、ふふっと笑った。
「やっぱり」
「そんな、すぐ分かる?」
「分かるよ。だって、見る目がやさしいもん」
そんなことを言われて、ナマエはまた顔が熱くなる。
どう返していいか分からなくて、ただ俯きそうになる。
「いいなあ。大事にされてる感じする」
「……やさしい、よ」
「ふふ、そうなんだ」
女の子はそれ以上踏み込まず、また小物の話に戻ってくれた。
その距離感がありがたかった。
しばらくして、店を出るころには、ナマエの手には小さな栞がひとつ増えていた。
淡い花の模様が入った、細いリボンつきのもの。
「それ、やっぱり似合うね」
店の前で女の子が笑う。
「……ありがとう」
「また会えたら、今度は向こうの通りのお店も見ようよ。可愛いお店、まだあるから」
「……え」
「嫌だった?」
「ううん、ちが……」
嫌なわけがない。むしろ、胸がどきっとした。
また会える。
また話せる。
そう思うだけで、信じられないくらい嬉しい。
「……行きたい」
「ほんと?よかった」
女の子は嬉しそうに笑って、軽く手を振った。
「じゃあまたね」と言って、人の流れの中へ消えていく。
その背中が見えなくなってからも、ナマエはしばらくその場に立っていた。
「そんなに嬉しい?」
隣から、少し呆れたような声がする。
振り向くと、キルアがこちらを見ていた。
表情はいつも通りに近い。
けれど、ほんの少しだけ探るみたいな目をしている。
ナマエは栞を胸の前でそっと握る。
「うれしい」
「ふうん」
「女の子の友達、みたいで」
「みたい、じゃなくてもう友達なんじゃねーの」
「……うん」
そう言われると、余計に実感が湧く。
友達。
その響きがくすぐったくて、でもあたたかい。
キルアは少しだけ黙ってから、歩き出す。
ナマエもその隣に並ぶ。
「変なやつじゃないといいけど」
「……え」
「いや、別に」
ぶっきらぼうに言って、キルアは前を向く。
ナマエは少しだけ目を瞬く。
その言い方に、ほんの少しだけ引っかかるものはあったけれど、それよりも今は嬉しさのほうが大きかった。
「今度、また会う約束したの。可愛いお店、ほかにもあるって」
「へえ」
「楽しみだなあ」
そう言うと、キルアはちらりとこちらを見る。
ナマエの顔が思っていたよりずっと嬉しそうだったから、キルアは一瞬だけ何か言いたげにして、結局何も言わなかった。
代わりに、歩く速さを少しだけ落とす。
ナマエが隣を歩きやすいように。
夕方の光が、通りの端に長く伸びていた。
手の中の小さな栞が、やけに大事なものみたいに思える。
――帰ったら、どこに挟もう。
――今度会うときは、何を着ていこう。
そんなことを考えるだけで、胸の奥がふわふわする。
その隣で、キルアだけが少し静かだった。
嬉しそうなナマエを見て、水を差す気にはなれない。
けれど、あの女子の笑い方のどこかが、少しだけ引っかかっていた。
ただ、それを今ここで言うのは違う気がした。
ナマエはこんなふうに嬉しそうなのに。
初めてできたかもしれない友達のことを、こんなに大事そうに抱えているのに。
キルアは小さく息を吐く。
「……まあ、いいけど」
「え?」
「なんでもない」
ナマエは首を傾げたけれど、すぐにまた栞へ視線を落とした。
その横顔は、少し照れていて、でも隠しきれないくらい嬉しそうで。
キルアはそれを見て、それ以上何も言わなかった。
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