02
次に会ったのは、三日後だった。
待ち合わせの場所へ向かうあいだ、ナマエは何度も自分の袖口を気にしていた。
変じゃないだろうか。この色でよかっただろうか。
考えても仕方ないのに、落ち着かない。
隣を歩くキルアが、その様子を横目で見ている。
「さっきから気にしすぎ」
「そうかな?でも、久しぶりだし」
「三日ぶりで?」
「……わたしには、ちょっと久しぶりなの」
ちょっとむくれたようにそう返すと、キルアは一瞬だけ黙った。
それから、少しだけ呆れたように息をつく。
「ふうん」
待ち合わせ場所には、もう彼女が来ていた。
こちらに気づくと、ぱっと顔を明るくする。
「ナマエちゃん!」
その声だけで、ナマエの胸が少し跳ねる。
自分を見つけて、嬉しそうに名前を呼んでくれる。
それだけのことが、まだ少し信じられない。
「こんにちは」
「今日の服、すごく似合ってる。やっぱり淡い色似合うね」
「……ありがとう」
すぐにそう言ってくれるのが、くすぐったくて、でも嬉しい。
彼女は自然な動きでナマエの隣に並ぶ。
そのまま少しだけ身を寄せて、通りの先を指さした。
「向こうのお店、前に言ってたとこ。リボンとか小物とか、すごく可愛いの」
「うん」
「行こ?」
その言い方があまりにも自然で、ナマエもつられるように頷く。
キルアは少し後ろからついてくる形になった。
彼女は最初こそキルアにも軽く挨拶したけれど、それ以上は特に話しかけない。
その距離感に、ナマエは少し安心する。
店に入ると、彼女は前よりもっと気さくだった。
「これ、ナマエちゃん好きそう」
「ほんとだ……かわいい」
「でしょ? あ、こっちも見て」
棚から棚へ、軽やかに移っていく。ナマエもそのあとを追う。
可愛いものを見て、似合いそうだと言われて、笑って。そんな時間が本当にあることが、まだ少し不思議だった。
「ナマエちゃんって、髪留めあんまりつけないの?」
「あんまり、慣れてなくて……」
「もったいない。絶対似合うのに」
そう言って、彼女は小さなヘアクリップを手に取る。
白い花の飾りがついた、控えめなものだった。
「これとか」
「かわいい」
「つけてみたら?」
言われるままに受け取って、鏡の前で少しだけ当ててみる。
自分には少し可愛すぎる気がして、落ち着かない。
「どうかな……?」
「似合うよ」
即答だった。
そのあと、少し離れたところから別の声がする。
「うん、似合う」
振り向くと、キルアが棚にもたれながらこちらを見ていた。
ナマエは一瞬だけ目を丸くする。
キルアがこういうことを、わざわざ口にするのは珍しい。
「ほんと?」
「嘘つく意味ある?」
「……ない」
「じゃあそういうことだろ」
ぶっきらぼうな言い方なのに、胸の奥が少しあたたかくなる。
彼女はそのやりとりを見て、ふふっと笑った。
「やっぱり仲いいね」
「……」
「いいなあ、そういうの」
その言い方は軽くて、からかうほどでもない。
だからナマエも、少し照れながら俯くだけで済んだ。
その日は、帰り際に少しだけお茶もした。
小さなカフェの窓際。
甘い飲み物と、小さな焼き菓子。
彼女は話題を次々に出してくれるから、沈黙に困ることがない。
好きな色。好きなお店。最近見た可愛いもの。
そんな話をしているうちに、ナマエも少しずつ自分から話せるようになっていた。
「ナマエちゃんって、もっと自信持っていいのに」
「え」
「だって可愛いし、雰囲気やわらかいし。男の子とか放っとかないでしょ」
「そ、そんなこと……」
「彼氏さんも、すごい大事にしてる感じだし」
その言葉に、ナマエはカップを持つ手に少しだけ力を入れる。
「……やさしいよ」
「うん、見てたら分かる」
彼女はストローをくるくる回しながら、何気ない調子で続けた。
「キルアくんって、甘いもの好きなの?」
「……え?」
あまりに自然な流れで出てきた名前に、ナマエは少しだけ瞬く。
「ほら、この前も飲んでたし。何が好きなのかなって」
「……甘いのは、好きだと思う」
「へえ。ケーキとかも?」
「どうだろ……でも、嫌いではないかも」
「そっか」
彼女はそれ以上深く聞かなかった。
ただ「参考になった」とでも言いたげに、小さく笑うだけだった。
そのときは、特に何も思わなかった。
恋人の話題が出るのは、別に不自然じゃない。
そう思ったから。
でも、その次に会ったときも。
「キルアくんって、こういう色好きそうじゃない?」
「え……どうかな」
「黒とか白とか、シンプルなの似合いそう」
「……うん、似合うと思う」
「だよね」
また、その次も。
「今度、三人でどこか行けたら楽しそうだよね」
「三人で?」
「うん。だってナマエちゃんといると、キルアくんも来るでしょ?」
その言い方に、ナマエはほんの少しだけ引っかかった。
でも彼女はすぐに笑って、「ほら、彼氏さんとも仲良くなれたらいいなって」と軽く付け足した。
それなら、変ではないのかもしれない。そう思おうとした。
帰り道、ナマエはその話をキルアにした。
「今度、三人でって言ってた」
「ふうん」
「仲良くなれたらいいなって」
「へえ」
返事が短い。
ナマエは少しだけ横目でキルアを見る。
「やだ?」
「別に」
「でも、なんか」
「なんか?」
「……あんまり嬉しそうじゃない」
そう言うと、キルアは少しだけ眉を寄せた。
「嬉しいとか嬉しくないとかじゃなくて」
「うん」
「あいつ、お前と仲良くしたいのか、オレに興味あるのか、たまに分かりにくい」
「……」
その言葉に、ナマエは少し黙る。
分かりにくい。
そう言われると、たしかに少しだけ思い当たることはあった。
会話の途中でキルアの話題が出ること。
好きなものを聞かれること。
三人で、という言い方。
でも、それだけで疑うのは悪い気もした。
「考えすぎだよ」
「うん」
「わたし、あんまりそういうの分からないし」
「それは知ってる」
「……」
「だから余計に言ってんだけど」
ナマエは少しだけ俯く。
責められているわけじゃない。むしろ心配されているのは分かる。
けれど、胸の奥が少しだけざわつく。
「……でも、いい子だよ」
「お前にはな」
「……」
「オレには、なんか違う」
その言い方が、少しだけ冷たく聞こえてしまって、ナマエは返事に困る。
キルアもそれ以上は言わなかった。
たぶん、これ以上言えば水を差すと分かっているから。
しばらく沈黙のまま歩いて、やがてキルアが小さく息をつく。
「まあ、会うなとは言わない」
「うん」
「でも、変だと思ったらすぐ言え」
「うん」
「ひとりで抱えんな」
「……うん」
その声は、最後だけ少しやわらかかった。
分かっている。キルアは意地悪で言っているわけじゃない。
ただ、少しだけ引っかかっているだけだ。
それでも、胸のどこかで思ってしまう。
せっかくできた友達なのに。
やっと、女の子同士で笑って話せる相手ができたのに。
疑いたくない。
その気持ちのほうが、まだ強かった。
だから次に会ったときも、ナマエはいつも通り笑おうとした。
彼女は相変わらず感じがよかった。
服を褒めてくれて、髪を見てくれて、可愛いお店を教えてくれる。
でも、ときどき。
「キルアくんって、普段どんな感じなの?」
「……どんな、って」
「二人きりのときとか。やっぱり今みたいにちょっとぶっきらぼう?」
そういう聞き方をされると、少しだけ答えに困る。
「……ううん、やさしい」
「へえ。ナマエちゃんにだけ?」
「……たぶん」
「いいなあ」
笑っている。
けれど、その“いいなあ”が、前より少しだけ引っかかる。
また別の日には、店先で小さな包みを見つけて、彼女が言った。
「こういうの、男の子ってもらったら嬉しいのかな」
「……どうだろ」
「キルアくん、こういうの好きそう?」
「え……」
また、キルア。
ナマエは包みを見つめたまま、少しだけ黙る。
彼女はすぐに「あ、ごめん」と笑った。
「なんか、ナマエちゃんの彼氏さんって、分かりやすく好みありそうだから」
「……そうかな」
「うん。でも、ナマエちゃんが選んだら何でも嬉しそう」
その言い方はやわらかい。
だから、違和感を持つ自分のほうが悪い気がしてしまう。
その夜、ナマエはベッドの端に座ったまま、小さな栞を指でなぞっていた。
最初に会った日に買ったもの。淡い花の模様が入った、小さな栞。
扉の向こうで足音が止まる。控えめに、二回。
「起きてる?」
キルアの声だった。
「起きてるよ」と返すと、扉が開いて、キルアが顔を覗かせる。
いつものように自然に入ってきて、机の端に寄りかかる。
「何してんの」
「これ見てたの」
「栞?」
「うん」
キルアは少しだけ目を細める。
「気に入ってんだ」
「うん。最初に、一緒に見たから」
その言い方に、自分でも少しだけ照れる。けれど、キルアは何も茶化さなかった。
ただ、少しだけ黙ってから言う。
「……そんなに大事なら、余計に変なやつじゃないといいけど」
「まだ言うの?」
「言う」
即答だった。
ナマエは思わず少しだけ口を尖らせる。
「キルア、あの子のことあんまり好きじゃないよね」
「好きじゃない」
「はっきり言う」
「聞いたのお前だろ」
「……そうだけど」
キルアは視線を逸らさないまま続ける。
「お前が嬉しそうなのは分かる」
「……うん」
「だから黙ってる」
「でも、なんかあったらすぐ言え」
その声は低くて、ぶっきらぼうで、でも思っていたよりずっと真剣だった。
ナマエは栞を握ったまま、小さく頷く。
「……うん」
「約束」
「うん」
キルアはそれで少しだけ満足したみたいに息をつく。
それから、ベッドの端に座るナマエの頭を、軽くひと撫でする。
「……考えすぎなら、それでいいし」
「……」
「でも違ったら、オレが嫌だから」
その言い方が少しだけ恋人らしくて、ナマエは胸の奥があたたかくなるのを感じた。
「ちゃんと頼れよ」
「……うん」
返事をすると、キルアはもう一度だけ髪に触れてから立ち上がる。
その背中を見送りながら、ナマエは栞を胸の前でそっと握った。
違和感は、まだ小さい。
言葉にするには曖昧で、自分の考えすぎかもしれないと思える程度のもの。
だからこのときは、まだ知らなかった。
その小さな引っかかりが、もうすぐはっきりした痛みに変わることを。
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