04



店を出ると、夕方の空気が少しひんやりしていた。
人通りも、音も、さっきと何も変わらないはずなのに、世界だけが少し遠く感じる。

キルアはナマエの手を引いたまま、すぐには何も言わなかった。
歩幅だけを少しゆるめて、ナマエがついて来やすい速さに合わせる。
人の流れから外れるようにして、少し奥まった、人通りの少ない路地まで連れていく。
そこでようやく足を止めた。

振り返ったキルアは、すぐに何かを言う代わりに、まずナマエの顔を見た。
ちゃんと立てているか、息ができているか、泣きそうなのを無理に堪えていないか。
そんなふうに確かめるみたいな目だった。

「……座るか?」

低い声が落ちる。
路地の端には、小さな段差と、店先に置かれた木箱があった。
ナマエは一瞬だけ迷ってから、小さく首を振る。

「だいじょ……」
「大丈夫じゃないだろ」

強くはないけれど、すぐに返ってくる。
責める言い方ではなくて、無理を見逃さない声だった。
キルアは少しだけ眉を寄せて、それからナマエの手を引く力をやわらげる。

「立ったままでいい。けど、無理すんな」

その言い方がやさしくて、ナマエは余計に喉が詰まる。

「……っ」

うまく息が吸えない。
泣きたくないのに、目の奥が熱い。
唇を噛んでも、こぼれそうになるものが止まらない。

キルアはそれを見て、少しだけ視線を落とした。
それから、繋いでいた手を離さないまま、親指でナマエの手の甲を一度だけゆっくり撫でる。

「……泣いていい」

あまりにも静かな声だった。
その一言で、張っていたものが切れる。

「……っ、ぅ……」

声にならない息が漏れて、涙がひとつ落ちた。
それをきっかけにしたみたいに、次から次へと滲んでくる。
ナマエは慌てて顔を伏せる。
こんなところを見せたくない、と思うのに、もう止められなかった。

「わたし、全然……気づかなくて」
「うん」
「すごく、嬉しくて……」
「うん」
「友達、できたって……思って……」

言いながら、自分でまた苦しくなる。
嬉しかったことを口にするのが、こんなに痛いなんて思わなかった。

キルアは急かさなかった。
途中で言葉を取ることも、すぐに否定することもしない。
ただ、泣き声が少し落ち着くまで待ってから、低く言う。

「知ってる」
「……」
「お前、あいつの話するとき、ずっと嬉しそうだった」

その言葉で、また涙が落ちる。

恥ずかしい。
でも、その嬉しさまで馬鹿にされなかったことが、少しだけ救いだった。

「それ、悪くねーから」
「……でも」
「悪くない」

今度ははっきり遮る。
けれど声はきつくなかった。

キルアは少しだけ身体を屈めて、ナマエが顔を背けたままでも圧にならない位置まで目線を下げる。

「嬉しかったのも」
「……」
「信じたのも」
「……」
「友達だと思ったのも、悪くねーよ」

ナマエは唇を噛む。
涙を拭こうとして、うまく拭えなくて、余計にみじめになる。
するとキルアが、少しだけためらってからポケットに手を入れた。
取り出したハンカチを、無言でナマエの手に押しつける。

「貸す」

ぶっきらぼうな言い方なのに、受け取った布はあたたかかった。
ナマエは震える指でそれを握る。

「悪いのは、そこにつけこんだやつ」
「……うん」
「お前じゃねーから」

ひとつひとつ、言い聞かせるみたいな声だった。

ナマエはハンカチを目元に当てる。
少し落ち着いたと思ったのに、また涙が滲む。

「……恥ずかしい」
「何が」
「こんなふうに泣くの……」
「別に」
「だって、みっともな……」
「思わない」

間を置かずに返ってくる。
ナマエが目を上げると、キルアは少しだけ眉を寄せていた。
怒っているのではなく、そんなことを本気で言っているのかとでも思ったみたいな顔だった。

「オレの前でまで取り繕わなくていい」
「……」
「つらいなら、つらい顔してろ」

その言い方があまりにもまっすぐで、ナマエはまた泣きそうになる。

キルアは一瞬だけ迷うみたいに視線を揺らしたあと、そっと手を伸ばした。
目元に触れるか触れないかのところで止まって、確認するみたいにナマエを見る。
嫌がられないと分かってから、ようやく指先で涙をひとすじ拭った。

「……今日は、無理に平気なふりすんな」

低い声が、やわらかく落ちる。
ナマエは何も言えずに頷く。
その頷き方まで頼りなく見えたのか、キルアは小さく息をついた。

「こっち」

短く言って、今度は腕を少し開く。
前よりずっと静かな誘い方だった。

ナマエはためらってから、一歩だけ近づく。
するとキルアの手が背中に回って、ゆっくり引き寄せられる。
強すぎない。
でも、ちゃんと包まれていると分かる抱き方だった。

ナマエの額がキルアの肩口に触れる。
その瞬間、ひとりで立っていた時よりずっと息がしやすくなって、また涙がこぼれた。
キルアは何も急かさない。
背中を一定のリズムでゆっくり撫でる。
子ども扱いするみたいな雑さはなくて、ただ落ち着くまでここにいていいと伝えるような手つきだった。

「……ごめんね」
「謝んな」

すぐに返ってくる。

「お前が謝ることじゃねーだろ」
「……でも」
「でもじゃない」

言葉は短いのに、声はさっきよりずっとやわらかい。

「傷ついたなら、それで終わりでいい。無理にきれいに片づけなくていいから」

ナマエはキルアの服をそっと掴む。
泣いているのを見られるのはまだ恥ずかしいのに、離れたくはなかった。

キルアはその手に気づいて、背中を撫でる手を一度だけ止める。
それから、安心させるみたいに後頭部へ手を移して、やさしく髪を撫でた。

「もう会わなくていい」
「……うん」
「会いたくないなら、オレが断る」
「うん」
「お前が言えなくても、オレが言う」

迷いのない声だった。
守ると決めた時のキルアの声。
でも、さっき店の中で見せた冷たさより、今はずっとあたたかい。

「……こわかった」
「うん」
「急に、知らないみたいになって」
「うん」
「わたしだけ、嬉しかったみたいで……」

最後の言葉は、ほとんど息みたいに小さかった。
キルアは少し黙ってから、抱きしめる腕にほんの少しだけ力を込める。

「それを踏みにじったのはあいつ」
「……」
「だから、お前が嬉しかったことまで恥ずかしがる必要ない」

その言葉は、思っていたよりずっと深く胸に落ちた。

ナマエは目を閉じる。
涙はまだ止まりきらない。
でも、さっきまで胸の中をいっぱいにしていた“恥ずかしさ”が、少しずつほどけていくのが分かった。

キルアはしばらくそのまま、何も言わずに抱いていてくれた。
人通りの少ない路地に、遠くの音楽と人の話し声だけがかすかに流れてくる。

「……落ち着いたら帰るぞ」

しばらくしてから、キルアが低く言う。

「今日は甘いもん買って帰る」
「……え」
「なんか食ったほうがマシだろ」
「ふふ……なにそれ」

ナマエは涙の残る目元をハンカチで押さえながら、小さく息をつく。

まだ痛い。まだ苦しい。
でも、ひとりで抱えていた時より、ずっと軽くなっていた。

キルアの服を掴んだまま、ナマエはもう少しだけそのぬくもりに寄りかかる。
キルアは何も言わず、それをそのまま受け止めていた。







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