16



その日の夜。

キルアは自室のベッドに寝転がったまま、ぼんやりと天井を見上げていた。
昼間の騒ぎはもうとっくに終わっている。
部屋の中は静かで、窓の外から夜風がかすかに入り込んでくる。
けれど、頭の中だけが妙に騒がしかった。

ゴンの言葉が、何度も何度も反芻される。

――すっごく甘くて、あったかい感じに変わったんだよね。

「……待てよ」

キルアは眉を寄せる。

彼女の能力は、周囲に狂信的な庇護欲を植えつけるもの。
脳をバグらせて、理性を歪める呪いみたいな力。
少なくとも、ずっとそう聞かされてきたし、自分もそう思っていた。

なのに、どうしてゴンは“甘くてあったかい”なんて言ったのか。

キルアは目を閉じる。
すると、昨日の人混みの中でナマエの手を握った瞬間の感覚が、驚くほど鮮明に蘇った。

脳を刺すようだった拒絶反応。
神経を逆撫でされるみたいな不快感。
それが、彼女の手を握り返した瞬間、まるで嘘みたいに消えた。
代わりに胸の奥へ流れ込んできたのは、じんわりとやさしく広がる、言葉にできないぬくもりだった。

あれは、洗脳なんかじゃない。

無理やり植えつけられた不自然な感情なら、あんなふうに静かで、やわらかくて、胸の奥へ染み込むような温度にはならない。
もっと濁っていて、もっと気味が悪いはずだ。
あの時、自分の中へ流れ込んできたものは、そんなものじゃなかった。
もっとずっと、純粋だった。

ナマエが、自分に手を握られて嬉しかった。
安心した。
怖くなくなった。
ただ、それだけの、ひどくまっすぐな幸福。

「……そういうことかよ」

キルアは小さく呟く。
胸の奥で、ばらばらだった欠片がひとつに繋がっていく。

彼女の能力の本質は、周囲を無理やり従わせる洗脳なんかじゃない。
自分の強い感情を、そのまま周囲のオーラへ同調させてしまう。
ただそれだけの、あまりにも純粋な力だったのだ。

今までナマエがいた場所が最悪だった。
監禁され、怯えさせられ、痛めつけられ、恐怖と苦痛しか与えられなかった。
だから彼女の中から漏れ出すものも、悲鳴みたいな感情ばかりだった。
それに触れた人間たちが、歪んで、狂って、壊れていっただけだ。

もし彼女が幸せなら。
もし彼女が安心して、あたたかく笑えるなら。
そのオーラは、誰かを壊すどころか、きっと周りまであたためる。

それは呪いなんかじゃない。
兵器なんかでもない。
むしろ、奇跡みたいにやさしい力だ。

その事実に辿り着いた瞬間、キルアはもうじっとしていられなかった。



夜風に当たりに出ていたナマエを見つけたのは、ベランダだった。
月明かりの下で、彼女は手すりにそっと指先を添えながら、静かな夜空を見上げている。
その横顔はどこか遠くて、まだ少しだけ、自分のことを信じきれていない人の顔だった。

キルアはその隣まで歩いていくと、ぶっきらぼうに口を開いた。

「お前さ」

ナマエが振り向く。

「自分の能力、呪いとか兵器だと思ってんだろ」

その言葉に、ナマエの肩が小さく揺れた。
図星だったのだろう。
キルアは視線を逸らさないまま、続ける。

「お前のそれ、そんなんじゃない」
「……え」
「昨日ので分かった。周りが狂ってたんじゃなくて……お前の感じてるもんが、そのまま漏れてただけ」

月の光が、キルアの横顔を白く照らす。
その表情は真剣で、少しも冗談を言っている顔じゃなかった。

「昨日、あったかかったのは、お前がそうだったからだろ」

確信めいた表情で、そう言った。







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