18
少しずつ、けれど確実に。
二人の心は、互いの方へ向かってほどけはじめていた。
それは劇的な告白があったわけでも、何か大きな約束を交わしたわけでもない。
ただ、同じ時間を過ごすうちに、少しずつ。
夜に交わす言葉が増えて、触れた手のぬくもりを覚えて、相手の気配に安心するようになって。
そうやって、凍えていた場所へ静かに灯りがともるみたいに、二人の距離は縮まっていた。
その日の買い出しの帰り道も、そんな穏やかな時間の延長にあった。
夕暮れの街は、昼間より少しだけやわらかい色をしていた。
西に傾いた陽射しが石畳を金色に染め、店先のガラスや水たまりの表面に、きらきらと光を散らしている。
人通りはまだ多かったけれど、昼の喧騒ほどの鋭さはなく、どこか一日の終わりに向かうやさしい疲れが街全体を包んでいた。
キルアは、買った荷物を片手に持ちながら、もう片方の手で小さな包みをナマエへ差し出した。
「ほら」
「……え?」
「さっきお前、気にしてただろ。あの店のやつ」
ぶっきらぼうな言い方。
けれど、その視線はどこか落ち着かなくて、わざとらしいくらいナマエの方を見ない。
気づかれないようにしているつもりなのに、そういうところばかり妙に分かりやすい。
ナマエはその不器用さごと、胸の奥でそっと受け取るみたいに、目を丸くしたまま包みを見つめた。
中には、小さなお菓子が入っていた。
さっき店先で少しだけ足を止めて見ていたものだ。
欲しいとは言わなかった。
ただ、綺美味しそうだなと思って見ていただけだったのに、キルアはちゃんと気づいていたらしい。
「キルア、これ……」
「別に。大したもんじゃねーし」
「でも」
「うるさい。いらねーなら返せ」
「いる!」
慌てて胸元へ抱きしめると、キルアが小さく鼻を鳴らした。
その横顔は相変わらず素っ気ないのに、耳の先だけがほんの少し赤い。
それが可笑しくて、愛おしくて、ナマエは思わず笑ってしまう。
そして、そのままキルアを見上げた。
「……ありがとう」
咲いた笑顔は、今まででいちばん綺麗だった。
怯えも、遠慮も、どこかに残っていた影も、その瞬間だけは何ひとつなかった。
ただ嬉しくて、ただ幸せで、ただ目の前の相手へその気持ちをまっすぐ渡したい。
そんな、偽りのない“本物の笑顔”だった。
夕暮れの光の中で、その笑顔はひどく眩しかった。
彼女の感情に反応して、あたたかいオーラがキルアを包む。
ただ、意識が向いたのはそこではなく、その表情。
世界のどんな宝石よりも綺麗だと、キルアは一瞬、本気で思った。
息をするのも忘れるくらい、見惚れた。
だからこそ、次の瞬間に起きたことが、あまりにも無慈悲だった。
空気が、ぐにゃりと歪む。
何の前触れもなかった。
ただ、ナマエの足元から黒い波紋みたいなものが広がったかと思うと、空間そのものが裂けるように捻じれた。
夕暮れの光がそこだけ不自然に呑み込まれ、漆黒の闇が口を開ける。
「――っ」
ナマエの身体が、ぐらりと傾いた。
何が起きたのか理解するより先に、足場が消える。
胸に抱えたお菓子の包みが腕の中で揺れ、彼女の顔から血の気が引いた。
「キルア……ッ!」
その声は、悲鳴みたいだった。
助けを求める声。
信じて伸ばされた、たったひとつの名前。
鋭い痛みとともに、キルアの心臓が、凍りつく。
「っ、待て!!」
考えるより先に身体が動いていた。
電撃が弾ける。
神速――カンムル。
全身を走る雷が、反射も思考も置き去りにして、キルアの身体を電光石火で前へ弾き飛ばす。
伸ばされるナマエの手。
掴もうとするキルアの手。
その距離は、ほんの数センチだった。
あと少し。
あと少しで届く。
指先が、かすかに触れる。
ぬくもりの残滓だけが、一瞬だけ確かにあった。
「ナマエッ!」
けれど――
掴めなかった。
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