19
キルアの指は、虚空を切る。
ナマエの身体は、漆黒の歪みの中へ呑み込まれていく。
夕暮れの光も、声も、ぬくもりも、全部まとめて闇に攫われるみたいに。
「……あ」
その音は、自分でも信じられないくらい空っぽだった。
次の瞬間、空間の歪みは何事もなかったみたいに閉じた。
そこに残っていたのは、ただ静かな夕暮れの道と、ぽつんと地面に転がるお菓子の袋だけだった。
風が吹く。
軽い包み紙が、かさりと乾いた音を立てる。
キルアはその場に立ち尽くしたまま、動けなかった。
さっきまで、そこにいた。
笑っていた。
自分を見上げて、ありがとうと言った。
胸にお菓子を抱いて、あんなふうに嬉しそうに笑っていたのに。
それが、たった一瞬で消えた。
夜中に、あの寝顔のそばで誓ったはずだった。
もう二度と、あんな場所へ戻させないと。
怖い思いなんてさせないと。
また笑わせると。
守ると。
なのに。
守れなかった。
自分の手は届かなかった。
神速ですら間に合わなかった。
あと数センチ。
たったそれだけの距離を埋められずに、自分はまたナマエを地獄へ落とした。
胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
悔しい、なんて言葉じゃ足りない。
怒り、なんて生ぬるい。
自分の無力さが、喉の奥を焼くみたいに苦しかった。
息をするたび、肺の中へ黒い泥が流れ込んでくるみたいだった。
キルアはゆっくりと、お菓子の袋へ視線を落とす。
ナマエが大事そうに抱えていた、小さな包み。
さっきまでそこにあった幸福の名残。
それが今は、地面の上に無残に転がっている。
その瞬間、キルアの目から、完全に光が消えた。
青色の瞳は、底なしの深い闇みたいに冷えきっていく。
そこにいたのは、彼女の前で少しずつやわらかくなっていた少年じゃない。
甘いものを食べて赤くなったり、ぶっきらぼうに手を差し出したりする少年でもない。
人を殺すために育てられた、冷酷な暗殺者の目だった。
空気が、ひどく静かになる。
夕暮れの街のざわめきさえ、遠くへ引いていく。
残ったのは、胸の奥で煮えたぎる、真っ黒な殺意だけだった。
「……殺す」
低く落ちたその一言は、呪いみたいに冷たかった。
誰に向けたものかなんて、言うまでもない。
ナマエを奪った奴ら。
ナマエをまた地獄へ引きずり戻した奴ら。
そして、守れなかった自分自身さえも、まとめて噛み砕いてしまいそうなほどの、昏い怒り。
キルアは地面に落ちたお菓子の袋を拾い上げる。
その手つきだけが、ひどく静かで、ひどく丁寧だった。
まるで、彼女がそこに残した最後のぬくもりを、壊さないように掬い上げるみたいに。
けれど、その指先には、もう迷いはなかった。
ナマエを取り戻す。
今度こそ。
何を壊してでも。
誰を殺してでも。
夕暮れの光はまだ街を染めているのに、キルアの中だけは、もう完全に夜だった。
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