23



装置のコックピットの中で、ナマエの意識はもうほとんど残っていなかった。

全身の生命力を極限まで搾り取られ、身体の内側が空っぽになっていく。
指先から急速に体温が奪われ、感覚が薄れていく。
冷たい。
暗い。
痛みすら、もう遠い。
それは楽になるというより、命そのものが静かにほどけていく感覚だった。
視界はぼやけ、耳に届く音も水の底みたいに遠い。
ただ、頭の奥でだけ、妙に鮮明な音が響いていた。

カチ。
カチ。
カチ。

自分の命の灯火が、ひとつずつ消えていく音。
もう長くはもたないと、身体の全部が知っていた。

男がモニターの数値を見つめながら、冷酷に笑う。
その笑みは、死にかけた獲物を前にした獣よりもずっと醜かった。

「ククク……」

愉悦に濁った声が、薄暗いコックピットに響く。

「お前の“同調能力”、しかと世界へ繋がったぞ!」

男の目が、狂気にぎらつく。

「あとはお前が死に絶え、その絶望の念が世界を包めば――我らの完全なる勝利だ!」

その言葉すら、もう遠かった。
ナマエの意識は、冷たい闇の底へゆっくり沈んでいく。
身体は重く、瞼は鉛みたいに落ちてくる。
もう、頑張れない。
そう思った。

――キルア。

心の中で、その名前だけを呼ぶ。
最後に浮かんだのは、月明かりの下で笑った横顔だった。
ぶっきらぼうで、優しくて、あたたかかった。
手を握ってくれた時の熱。
「怖くない」と言ってくれた声。
「お前の力は呪いなんかじゃない」と、まっすぐに信じてくれた瞳。

――ごめんね。

唇はもう動かなかったけれど、心だけがかすかに呟く。
――わたし、もう……がんばれない、よ……。

冷たい闇が、ナマエを完全に包み込もうとする。
意識の輪郭がほどけ、世界の音が遠ざかる。
このまま目を閉じれば、きっともう二度と開かない。

その、まさに瞬間だった。


――ズ、グンッッッ!!!!!!


世界そのものが殴りつけられたみたいな轟音が、アジト全体を貫いた。

次の瞬間、厚さ数メートルはある鋼鉄製の防壁が、内側からではありえない衝撃で跡形もなく吹き飛ぶ。
鉄が悲鳴を上げ、コンクリートが砕け、爆風が空気を根こそぎ攫っていく。
コックピットのガラスがびりびりと震え、部屋中に白煙と火花が荒れ狂った。

「なっ、なんだと……!?」

男の声が裏返る。
その眼前に広がったのは、もうもうと立ち込める白煙と、その奥で空間そのものをずたずたに引き裂くように明滅する、見たこともないほど禍々しく、そして眩い青白い雷光だった。

それは雷だった。
けれど、ただの自然現象じゃない。
怒りと殺意と祈りが、無理やりひとつの形を取ったみたいな、異形の雷。

白煙を切り裂いて、一人の少年が歩いてくる。

その姿は、いつもの飄々としたキルアではなかった。
髪は激しい電撃で逆立ち、全身から青白い火花が絶え間なく弾けている。
青色の瞳からは完全に光が消え、そこにあるのは“人殺し”として育てられた者だけが持つ、昏い闇。
けれど、その闇のさらに奥底では、絶対に敵を逃がさない、八つ裂きにしても足りないという地獄みたいな怒りが、狂おしいほど激しく燃え盛っていた。

衣服はボロボロに裂け、限界を超えた負荷のせいで全身の皮膚から血が滲んでいる。
腕も、肩も、頬も、赤く裂けていた。
それでもキルアは、そんな痛みを一ミリも感じていないみたいだった。

ただ、まっすぐに。
鎖に繋がれたナマエだけを見ていた。

その視線に触れた瞬間、薄れかけていた彼女の意識が、かすかに揺れる。
暗闇の底へ沈みかけていた心に、雷みたいな光が差し込んだ。

キルア。

その名前が、今度は祈りじゃなく、確かな現実として胸に灯る。
助けは来ないと諦めかけていた心の奥で、消えかけていた最後の火が、もう一度だけ小さく燃えた。
遠のいていた世界が、ほんの少しだけ輪郭を取り戻す。
痛みも、寒さも、死の気配もまだそこにあるのに、それでもたったひとつ、確かなものがあった。
キルアが来た。
本当に、来てくれた。
その事実だけで、沈みきっていた意識がかろうじて繋ぎ止められる。

キルアはゆっくりと口を開いた。
その声は低く、冷たく、地を這うみたいだった。

「……てめぇか」

たったそれだけで、部屋の空気が一瞬で凍りつく。
魂の芯まで冷やされるような、あまりにも冷徹な声だった。

「てめぇが、アイツを泣かせて」

一歩。
床に雷が走る。

「オレの目の前で、奪ったゴミか」

その一言一言に、殺意が凝縮されていた。
怒鳴っているわけでもない。
むしろ静かすぎるくらい静かだ。
だからこそ、余計に恐ろしい。
その場にいる誰もが、本能で理解する。

この少年は、もう止まらない。







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