04



朝、食卓には湯気が立っていた。

焼いたパンの匂い。
スープをよそう音。
まだ眠たそうなゴンの声に、レオリオの大きな声が重なる。
クラピカは呆れたような顔をしながらも、結局は誰より手際よく皿を並べていた。
キルアだけが少し離れた椅子に座って、頬杖をついたままその様子を眺めている。

そんな朝が、何度もあった。

昼には窓辺にやわらかな光が落ちて、他愛もない言葉が部屋の中を行き交った。
くだらないことで笑う声がして、呆れた声が返って、最後にはレオリオの怒鳴り声が落ちる。
その輪の端にいるだけだったはずなのに、いつの間にか、自分の前にも当たり前みたいにコップが置かれている。

夜は静かだった。
同じ屋根の下に人の気配があるだけで、眠れない夜の冷たさが少しだけ遠のく。
廊下の向こうで閉まる扉の音。
誰かの足音。
小さな物音が、ここに自分ひとりではないのだと教えてくる。

そういう時間の中で、凍りついていたものが、少しずつほどけていった。



ある夜、ナマエは一人でベランダに出ていた。

隠れ家の外気は思ったより冷たく、薄い夜着の裾を風がさらっていく。
見上げた夜空には、星が遠く、静かに瞬いていた。
あまりにも綺麗で、あまりにも遠い。
手を伸ばしても届かないものばかりが、空にはあるのだと思った。

自分の宿命も、きっとそうだ。

生まれつき身体に咲いてしまったこの白い花の呪いは、どこへ行っても自分についてくる。
誰かに優しくされるたび、その優しさの根元を疑わなくてはならない。
誰かが笑ってくれるたび、その笑顔が本物なのか、能力に歪められたものなのか分からなくなる。
そうやって、何度も足を止めてきた。
信じたいと思うたびに、胸の奥で別の声が囁く。
それはお前のせいだ、と。
近づけば壊す、と。

夜風が頬を撫でる。
冷たいはずなのに、胸の奥にあるものだけが、うまく冷えてくれなかった。

「おい」

不意に背後から声がして、ナマエは小さく肩を揺らした。

振り返ると、そこにはキルアが立っていた。
片手には炭酸ジュースの缶。
銀色の髪が月明かりを受けて、夜の中で淡く光って見える。

「監視の目を盗んで逃げる気かよ」

ぶっきらぼうな声。
けれどその言い方は、責めるというより、いつもの調子でからかっているだけだった。

ナマエは夜空を見上げたまま、小さく首を振る。

「逃げないよ」

それから少しだけ間を置いて、消え入りそうな声で続けた。

「……キルアは本当に、わたしの能力が効かないんだね」
「まあな」
「わたしのこと、怖くない?」

その問いは、夜の静けさの中へ落ちるように小さかった。
けれど、そこに滲んでいた不安は深かった。
近くにいるたび頭痛がして、鬱陶しくて、それでも義務感だけでここにいてくれているのではないか。
そんな考えは、口に出さないままでも、胸の奥でじわじわと広がっていく。
キルアの視線が鋭いほど、彼の沈黙が長いほど、自分はやはり厄介なものなのだと思い知らされる気がしていた。

キルアは少しだけ目を細めると、手にしていたジュースの缶を彼女の頬へひやりと押し当てた。

「ひゃっ」

思わず肩をすくめるナマエを見て、キルアが悪戯っぽく笑う。

「別に」

月明かりの下で、その笑みは少しだけ子どもっぽく見えた。

「多少うざいけど、それだけ。お前に怯えるほどヤワじゃないし」

あまりにもあっさりした言い方だった。
慰めるでもなく、深刻ぶるでもなく、ただ事実みたいに言う。
そのぶっきらぼうさが、かえって嘘のなさを際立たせていた。

ナマエは目を瞬かせる。
いつも怒ったような顔をしていて、自分のことなんて嫌いなんだと思っていた。
近くにいるたび眉を顰めるのも、冷たい声で言い返してくるのも、全部、自分を疎ましく思っているからだと。
けれど違った。
キルアは、自分のためにその痛みを我慢して、あえて近くにいてくれていたのだ。

その事実が胸に落ちた瞬間、冷えきっていた心の奥を、細い熱が走り抜けた。
やわらかなぬくもりではない。
もっと鋭くて、眩しくて、でも確かに胸を焦がすようなあたたかさだった。

「……そっか」

ナマエがそう呟くと、キルアは缶を自分の頬に当て直しながら、ふいと視線を逸らした。

「そ。分かったなら、そんな顔すんな」
「そんな顔?」

「今にも消えそうな顔」

言われて、ナマエは少しだけ困ったように笑った。
その笑みを見たキルアは、何も言わなかったけれど、ほんの少しだけ肩の力を抜いたように見えた。







戻る


top