05



また別の夜。
渇いた喉を潤そうと、ナマエはそっと部屋を抜け出した。

廊下は静かで、みんなもう眠っているらしい。
足音を忍ばせてリビングへ向かうと、窓から差し込む月明かりが床に白く広がっていた。

その光の中に、一人の影があった。

ソファに座ったキルアが、こっそりとチョコロボを食べていた。
しかも、ものすごく幸せそうな顔で。

いつもはクールで、冷たくて、どこか人を寄せつけない空気を纏っているのに。
今の彼は、ただ大好きなお菓子を独り占めしている年相応の男の子でしかなかった。
頬が少し緩んでいて、目元までやわらかい。
その無防備さがあまりにも意外で、ナマエは思わず立ち尽くしてしまう。
こんな顔もするのだと、少し驚いて、少しだけ見入ってしまった。

すると、気配に気づいたキルアが顔を上げた。
目が合う。
数秒の沈黙。
それから、キルアの顔がみるみるうちに赤くなった。

「あ……」

その声には、普段の余裕なんてひとかけらもなかった。
次の瞬間、彼は耳まで真っ赤にして立ち上がる。

「おい! 見たな!?」
「え、あ、うん……」
「ゴンたちには絶対言うなよ!」

必死に威嚇しているのに、ちっとも怖くない。
むしろ焦れば焦るほど、年相応の可愛げみたいなものが滲んでしまっていて、ナマエの口元から思わず小さな笑みがこぼれた。
それは堪えようとしても堪えきれない、やわらかな笑いだった。

「……ふふ」

その笑い声は、自分でも驚くほど自然だった。
作ったものでも、気を遣ったものでもない。
胸の底からふわりと浮かんできた、本物の笑みだった。
笑ったあとで、少し遅れて、自分が本当に笑っていたのだと気づく。
こんなふうに肩の力を抜いて笑えたのは、いつぶりだろうと思った。

その笑顔を見た瞬間、キルアは一瞬だけ息を呑んだ。
まるで不意打ちで光を見せられたみたいに、ほんのわずかに目を見開く。
それからすぐにバツが悪そうに銀髪をくしゃくしゃと掻き回し、手元のチョコを一粒つまんだ。

「……口止め料」

そう言って、ナマエの口へぽいっと放り込む。

「美味いだろ」

甘いチョコが舌の上でゆっくり溶けていく。
濃くて、やわらかくて、少しだけ苦みのある甘さ。
その味に目を丸くすると、キルアはどこか得意げに鼻を鳴らした。

「……ほんとだ。美味しい」
「だろ」
「こんなに好きなんだ」
「悪いかよ」
「ううん。ちょっと可愛いなって思っただけ」
「は!?」

また耳まで赤くなる。
その反応が可笑しくて、ナマエはもう一度笑った。
するとキルアは露骨に顔をしかめながらも、さっきみたいに本気で怒ったりはしなかった。
怒る代わりに、どう返せばいいのか分からないみたいに視線を泳がせている。
その不器用さが、なんだか少しだけ愛おしく思えた。

窓の外では、夜が静かに更けていく。
月明かりは白く、床の上に淡い光を落としていた。
その光の中で、二人のあいだに落ちた沈黙は、不思議なくらいやわらかかった。
気まずさではなく、言葉にしなくても壊れないものが、そこに少しずつ生まれている気がした。

ナマエは口の中に残る甘さを、そっと確かめる。
それはただのチョコの味なのに、胸の奥までじんわりとほどけていくようだった。

凍りついたままだと思っていた心が、知らないうちに少しずつほどけていく。
その音はあまりにも小さくて、自分でも気づかないくらいだったけれど。
それでも確かに、ナマエの世界は変わり始めていた。







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