55
ナマエは雑誌の端に載っていた店の名前を指でなぞる。
島の小さな衣料品店だった。
見覚えのある名前に、少しだけほっとする。
遠くまで行かなくてもいい。
今度、見に行ってみよう。
あるいは、買い物のついでにキルアに内緒でそっと寄ってみてもいい。
そう考えるだけで、胸の奥が少しずつあたたかくなっていく。
どんな色がいいだろう。
黒に近い紺なら、キルアに似合いそうだ。
でも灰色のやわらかいものも、あの手には優しい気がする。
ごわごわしていたら嫌がるかもしれない。
指先が動かしやすい方がいいだろうか。
そんなふうに考え始めると、ひとつの手袋を選ぶだけなのに、どうしてこんなに悩ましいのかと思う。
でも、その悩みさえ少し嬉しかった。
誰かのために迷うこと。
その人に似合うものを考えること。
その人の手に触れる未来を想像すること。
全部が、ナマエにとってはまだ新しくて、でもやさしい感情だった。
昔は、選ぶということ自体がこんなに自由で、こんなにあたたかいものだなんて知らなかった。
何を着るか、何を持つか、何を好きになるか。
そういう小さなことさえ、自分で決めていいのだと知ったのは、ほんの最近のことだ。
だから今、誰かのために選びたいと思えることが、ひどく尊く感じられる。
「……喜んでくれるかな」
ぽつりと零した声は、海風にまぎれて消える。
キルアはきっと、最初は少し驚く。
それから照れ隠しみたいに、別に寒くないとか、なくても平気だとか言うかもしれない。
でも、本当に嫌なら受け取らない人だ。
だから、もし受け取ってくれたら、それだけで十分嬉しい。
たぶん、ぶっきらぼうな顔をしながら、でもちゃんと使ってくれる。
そんな姿まで想像できてしまって、ナマエは少しだけ頬をゆるめた。
ナマエは雑誌を閉じずに、もう一度そのページを見た。
手袋の写真。
贈りもの、という文字。
その全部が、今の自分には少しだけ眩しい。
昔の自分は、誰かに何かを贈ることなんて考えなかった。
考えられなかった、の方が近い。
何を好きになればいいのかも、何を選べばいいのかも、自分で決める余地なんてなかった。
“役に立つかどうか”ばかりを見られてきたから、ただ誰かをあたためたいという気持ちが、こんなにも静かで、こんなにも満ち足りたものだなんて知らなかった。
見返りを求めるでもなく、評価されたいわけでもなく、ただその人が寒くないようにと願う。
そんな感情が、自分の中にちゃんと育っていることが、少し不思議で、でも嬉しかった。
ナマエはそっと雑誌を抱き寄せる。
胸の前に置くと、紙のぬくもりが少しだけ伝わる。
あの手を知っている。
守ってくれた手。
傷ついてきた手。
自分の涙を拭ってくれた手。
眠る時に繋いでくれる手。
その全部を思いながら、何かを選びたいと思えることが、ひどく嬉しかった。
あの手に触れるたび、自分はもうひとりじゃないのだと思える。
だから今度は、自分の方からその手を包みたい。
少しでも、同じぬくもりを返したい。
窓の外では、午後の光が少しずつ傾き始めていた。
もう少ししたら、キルアが戻ってくるかもしれない。
足音がして、扉が開いて、いつもの少しぶっきらぼうな声がする。
その時、ナマエはたぶん何も言わない。
まだ手袋は買っていないし、この気持ちも、今は胸の中にしまっておきたい。
でも、近いうちにきっと選びに行く。
ちゃんと自分の手で。
あの人の手をあたためるためのものを。
ナマエは雑誌のページをそっと撫でてから、静かに目を細めた。
誰かに何かをもらう幸せと同じくらい、誰かのために選びたいと思える幸せも、あたたかい。
そのことを知れたのは、きっと。
あの手が、自分の手を取ってくれたからだった。
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