56



冬の寒さが身に染みる季節。
キルアはいつものようにナマエの隣に座り、器用な指先でりんごの皮をするすると剥いていた。

白い果肉が、薄く長く、途切れることなくくるくるとほどけていく。
その手つきは、暗殺者だった頃の鋭さなんて少しも感じさせないくらい、静かで、綺麗で、見惚れてしまうほどだった。
刃先の動きには無駄がなく、けれど冷たさはない。
ただ慣れた手つきで、ナマエが食べやすいようにと自然に動いている。
その何気なさが、かえって胸にやさしく沁みた。

「ほら」

薄く切ったりんごを差し出されて、ナマエは素直に「あーん」と口を開ける。
しゃく、と甘い音がして、キルアは満足そうに目を細めた。

「……お前、ほんと何でも食わせてもらうの慣れたよな」
「だって、キルアがすぐやってくれるんだもん」
「危なっかしいからだろ」
「またそれ」

くすくす笑うナマエの髪を、キルアは空いた手でぐしゃりと撫でた。
乱暴なふりをしているくせに、指先だけはひどく優しい。
その温度に目を細めていたナマエは、やがて少しだけ真面目な顔になって、膝の上で指先をきゅっと重ねた。

「あのね、キルア」
「ん?」
「お願いがあるの」

その声音に、キルアの手がぴたりと止まる。
ナマエがこうして改まって何かを言う時は、大抵、彼にとって予想外のことを口にする。
少しだけ身構えるように、キルアは青色の瞳を細めて続きを促した。

「今度……一人で、おつかいに行ってみたい」
「……は?」

思わず、間の抜けた声が出た。
ナマエは少しだけ肩をすくめながら、それでもちゃんとキルアを見上げる。

「その、キルアに贈り物をしたくて」
「贈り物?」
「うん。いつもわたしばっかり、たくさんもらってるでしょ? だから今度は、私が自分で選びたいの」

一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

贈り物。
自分に。
ナマエが。

その言葉だけが、胸の奥に小さく落ちる。
自分のために何かを選びたいと思ってくれたことが、思いがけないほど嬉しくて、心臓がひとつ大きく鳴った。

けれど次の瞬間、そこに“ひとりで”という言葉が追いついてきて、その熱はすぐにざらついた不安に塗り替わる。
ナマエが自分のために動こうとしている。
その事実は甘いのに、その光景を自分のいない場所で想像した途端、胸の奥がひやりと冷えた。

知らない道。
知らない人。
自分の目の届かない場所。

その全部が、キルアの中の警戒心を一気に呼び起こす。

「……なんで、一人で?」

やっとそれだけを絞り出すと、ナマエは少し困ったように、でもどこか照れたように笑った。

「キルアが一緒だと、何を選ぶか分かっちゃうもん」
「いや、そういう問題じゃなくて」
キルアは眉を寄せる。

「なんでわざわざ一人で行く必要あんの。俺が一緒でいいだろ」
「でも、それじゃ意味がない」
「意味なくねーよ。危ないだろ。何かあったらどうすんだよ」

声が少しだけ強くなる。
ナマエはびくりと肩を揺らしたけれど、逃げなかった。
そのまま小さく息を吸って、静かに言う。

「キルアに守られるの、嫌じゃないよ」
「……」
「すごく嬉しいし、安心する。キルアがいてくれると、わたし、ほんとに何でも大丈夫な気がするの」

その言葉は、キルアの胸のいちばん柔らかいところへ、まっすぐ落ちた。
けれどナマエは、そこで終わらなかった。

「でもね」

ナマエは顔を上げて、まっすぐにキルアを見た。

「何もできないまま、ずっと甘えてるだけなのは、違う気がする」
「……違うって、何が」
「わたしは、キルアの……ちゃんと、隣に立てる人になりたい」

その一言で、キルアの喉が詰まった。
隣に立つ。
その言葉は、思っていたよりずっと重くて、眩しかった。

今まで自分は、ナマエを守ることばかり考えていた。
転ばないように、傷つかないように、怖がらないように。
そうして腕の中に囲って、あたためて、安心させて。
それが愛だと、半分本気で思っていた。
でもナマエは今、守られるだけではなく、自分の足で立って、そのうえで隣にいたいと言ったのだ。
それは拒絶じゃない。
むしろ、もっと深いところで一緒にいたいという願いのはずだった。

なのにキルアの胸に最初に広がったのは、理解よりも先に、置いていかれることへの恐怖だった。

「……俺じゃ、足りねーのかよ」

気づけば、そんな言葉が零れていた。

ナマエの目が大きく見開かれる。
キルアは自分でも、何を言っているんだと思った。
そんなの、本音に決まっている。
危ないからじゃない。
心配だからだけでもない。
ただ、自分が必要じゃなくなるのが怖いだけだ。

「キルア……」
「別に、いい」

ナマエが何か言う前に、キルアは立ち上がった。

「好きにすれば」

ぶっきらぼうにそう言い捨てて、その場を離れる。
背中にナマエの気配を感じたけれど、振り返れなかった。
振り返ったら、きっともっとみっともない顔をしてしまう。
引き止めたい。
行かないでほしい。
そんな子どもみたいな本音まで、全部見透かされてしまいそうだった。







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