32
くじら島の海は、思っていたよりずっと静かだった。
白い波が寄せては返す音だけが、絶えずやわらかく耳に触れている。
空は高く、陽射しは明るいのに、夏の盛りみたいな強さはもうない。
どこか少しだけ眠たげで、潮の匂いを含んだ風がゆっくり頬を撫でていく。
人の姿はほとんどなかった。
遠くで小さく鳥が鳴く。
波打ち際では、細かな泡がほどけるたび、さらさらと砂の鳴る音がした。
浜辺全体が、ひどく穏やかな呼吸をしているみたいだった。
ナマエはそんな海辺を、キルアと並んで歩いていた。
並んでいる、といっても、ぴたりと肩を揃えているわけではない。
キルアは少し前を歩いたり、ふと思いついたみたいに立ち止まったり、また何でもない顔で先へ行ったりする。
ナマエはその少し後ろを、波に濡れないぎりぎりのところを選びながら歩いていた。
足元の砂はところどころ湿っていて、踏むたびにわずかに沈む。
その感触がくすぐったくて、でも嫌ではなくて、ナマエはときどき足先を見下ろした。
濡れた砂の上には、小さな貝殻や丸く削れた石が点々と散っている。
白いもの。
薄桃色のもの。
半分だけ欠けたもの。
波に洗われるたび、少しだけ位置を変えながら、どれも静かにそこにあった。
ナマエはそういうものを眺めるのが嫌いではなかった。
何か特別に珍しいものがあるわけじゃなくても、ひとつひとつ形が違っていて、見ていると時間がゆっくりになる気がする。
ふと、光を受けて白く光る欠片が目に入った。
ナマエは足を止め、少しだけ屈み込む。
拾い上げたそれは、貝殻というより薄い硝子片みたいだった。
角はすっかり取れていて、海に磨かれたせいか、指先に触れてもやさしい。
半透明の白は、陽に透かすと少しだけ青く見えた。
きれい、と思って、ナマエはしばらくそれを眺めていた。
波の音が近くでほどける。
風が髪を揺らし、袖口をかすめていく。
その静けさに馴染むみたいに、意識もゆるやかにほどけていた。
それから、なんとなく顔を上げて隣を見る。
けれど、そこにいるはずの姿がなかった。
一瞬、ナマエは目を瞬いた。
ついさっきまで、少し先を歩いていたはずだった。
白い波の際を器用に避けながら、退屈そうなのか楽しんでいるのかわからない顔で歩いていた、その背中が見当たらない。
視線を巡らせても、銀色の髪も、追いかけていた背中も、どこにもなかった。
少し遅れて、浜辺の端にいくつか大きな岩が重なっているのが目に入る。
黒っぽい岩肌は陽を受けてまだらに光っていて、その向こう側はちょうど死角になっていた。
たぶん、あっちへ行ったのだろう。
そう思えば理由はすぐにつく。
置いていかれたわけじゃない。
少し目を離した隙に、岩場の向こうへ回っただけだ。
そんなこと、ちゃんとわかっている。
頭では。
それなのに、胸の奥がひやりとした。
ほんのわずかなことだった。
名前を呼ぶほどでもない。
少し待てば、何でもない顔で戻ってくるに決まっている。
それなのに、さっきまでやわらかく耳に馴染んでいた波の音が、急にひどく大きく聞こえた。
風も変わっていないはずなのに、どこか遠いところを吹いているみたいだった。
ナマエは無意識に立ち上がって、岩場のほうへ目を凝らす。
別に、どうということはない。
そう思おうとする。
少し先へ行っただけ。
岩陰に隠れて見えなくなっただけ。
それだけのことだ。
けれど、静かな海辺が急に広く見えた。
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