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白く乾いた砂浜も、ゆるやかに揺れる水面も、さっきと何も変わっていないはずなのに、ナマエだけがそこから少し取り残されたみたいだった。

波は変わらず寄せては返している。
鳥の声も、風の匂いも、陽のあたたかさも、何ひとつ失われていない。

それなのに、隣にあるはずの気配が見えないというだけで、景色の輪郭が少し遠のく。

どうして、こんな。

自分でも理由がわからないまま、ナマエは岩陰を見つめた。
その向こうから、ふいに見慣れた銀髪がのぞくんじゃないかと、そんなことばかり待ってしまう。

呼べばいいのかもしれない、と一瞬だけ思う。
けれど、呼ぶほどのことじゃない気もした。
少し姿が見えなくなっただけで名前を呼ぶなんて、まるでひとりで不安になっているみたいで、なんとなくためらわれた。

不安。

その言葉を心の中でなぞって、ナマエは少しだけ戸惑う。
ほんの少し視界から消えただけで、胸の奥が冷えるなんて。
そんなふうに思う自分が、信じられなかった。

けれど、身体のほうは正直だった。
息を吸うたび、胸の奥に薄く冷たいものが入り込んでくるみたいで、うまく呼吸が落ち着かない。
指先には、まださっきの硝子片の感触が残っている。
それを握ったまま、ナマエはただ岩場のほうを見つめていた。

すると、少しして。

岩場の陰から、ひょいとキルアが顔を出した。

しゃがみ込んだ姿勢のまま、こちらを見つける。
その表情はどこか楽しそうで、年相応の無邪気さが少しだけ滲んでいた。
海辺の静けさの中で、その顔だけが妙に生き生きとして見える。

「カニ、いるぜ!」

弾んだ声が、静かな波音の上を軽く跳ねた。

その瞬間、ナマエは自分でも驚くくらいはっきりと息をついた。

胸の奥をざわつかせていたものが、姿を見ただけでふっとほどけていく。
さっきまで妙に広く感じていた海辺が、ちゃんと元の景色に戻っていくみたいだった。
波の音も、風の匂いも、陽のあたたかさも、急にまた近くなる。

何も変わっていなかったはずなのに。
キルアの姿が見えた途端、世界の輪郭だけが元に戻る。

キルアはそんなことには気づいていないのか、岩のそばを指さした。

「ほら、あそこ。ちっちゃいの動いてる」

少し身を乗り出すその様子に、隠れるつもりも、心配させるつもりも、たぶん最初からなかったのだとわかる。
ただ岩場の陰に何かを見つけて、夢中になって、それをナマエにも見せたくなっただけなのだろう。

ナマエはすぐには返事ができなかった。
ただ、そこにいる姿を見ているだけで、泣きそうなくらいほっとしてしまっていたから。

そんな自分に気づいて、少しだけ戸惑う。
こんなことで安心するなんて、思っていなかった。
ほんの少し見えなくなっただけだ。
どこかへ行ってしまったわけでもないし、戻ってこないはずもない。

それなのに、姿が見えなくなった途端、胸の奥があんなふうに冷えるなんて。

自分は、いつからこんなふうになったのだろう。

キルアが隣にいることに、慣れすぎてしまったのかもしれない。
隣にいるはずの気配が見えなくなるだけで、静かな景色の中にひとり置かれたみたいな気持ちになる。
そして、姿を見つけるだけで、こんなにも呼吸が楽になる。

それは少しだけ恥ずかしかった。
思っていたよりずっと、自分がキルアの存在に安心を預けてしまっているみたいで。

けれど、嫌ではなかった。
むしろ、その安堵に包まれていく感覚は、ひどくやさしかった。

ナマエは小さく息を整えてから、ようやく岩場のほうへ歩き出す。
足元を覗き込んでいる彼の近くまで行くと、不思議なくらい呼吸が静かになる。
さっきまで胸の奥に残っていた薄い冷たさは、もうどこにもなかった。

「……いた?」

そう聞くと、キルアはちらりとナマエを見上げた。

「いた。すげー小さいやつ。今、岩の下入ったけど」

ナマエはキルアの視線の先を追って、岩の隙間を覗き込む。

「もう隠れた?」
「たぶんな。さっきまでいたのに」

少し残念そうに言いながらも、キルアの声はどこか楽しげだった。
その横顔を見ていると、さっきまで自分の中にあったざわめきが嘘みたいに思える。

けれど、嘘ではなかった。
たしかにあの一瞬、ナマエの胸は冷えて、静かな海辺はひどく広く見えたのだ。

ナマエは岩陰に目を向けるふりをしながら、そっと自分の指先を握る。

どうしてこんなに安心するんだろう。

その答えは、まだわからない。
わからないけれど、キルアの姿が見えるだけで、こんなにも呼吸が楽になるのだと、ナマエはもう知ってしまっていた。

波の音が、またやわらかく耳に戻ってくる。
風が髪を揺らし、陽射しが岩肌を白く照らしていた。
静かな海辺は何も変わらないまま、ただそこにある。

その中で、キルアがすぐ隣にいる。

それだけで、さっきまで少し遠のいていた世界が、ちゃんと手の届く場所に戻ってきた気がした。

ナマエは小さく目を伏せる。
その感情に、まだ名前はつけられない。

けれど、姿が見えるだけでほどけていくこの安堵だけは、どうしようもなく本物だった。







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