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「そ、それは悪くねーよッ!!」


 ポルナレフがわたしの行為を肯定する。ヴィトがやったことだから。正当防衛だから。色々考えはあるだろう。実際にわたしは法律上は罰せられることはない。悪いことをしたという判定にはならない。それは事実だ。
 だけど、この話の本題はここからで、本質はもっと別の話なのだ。


「たしかに法律上罰せられることはありません。ただ、これはそういう話ではありませんし、本来、ほめられた行為でもないというのも事実です。そうでしょう? 相手を傷つけていることには変わりないんですから」


 いかなる場合でも傷害を犯せば、殺人を犯せば、それは既に加害者だ。ただ周りに許されるか、あるいは許されないかの違い。世間が大変だったね、かわいそうにね、なんて言いながら助けてくれるだけのことなのだ。やった人間はどっちにしたって人を殺したり傷つけた人間になってしまう。
 ポルナレフは苦しそうに顔をゆがめた。間接的にわたしが彼を非難したように感じたのだろう。被害者遺族であるポルナレフが、加害者であるJ・ガイルに仇討ちしたことは現代の常識ではただの人殺しだと言っているのだ。それは紛れもない事実だ。でもわたしのそれはただの宣言であって、非難ではない。非難では、あり得ないのだ。


「わたし、何も思いませんでしたよ」


 ポルナレフは目を見開いた。驚いて、驚いて、とてもじゃないが信じられないと言った表情をしていた。それはそうだろう。今まで優しい良い子なナマエちゃんが、とんでもないことを言い出した。悪いことだと言った口で、何も思わなかったと言ったのだ。きっと意味がわからないだろう。驚愕して動揺して茫然自失になったっておかしいことではない。


「あの人が向けたから仕方ないと逃げる気持ちも、あんな酷いことをしてしまったと自分を責めることも、何かしらあっていいと思うんです。だけど、」


 ──血しぶきも、絶叫も、あの目も。


「わたしは何も思わなかったんです。思わなかった。ひとつも、少しもちょっともそっとも、なーんにも」


 目の前で人の手が吹き飛んで、それが自分がやったことなのにも関わらず、わたしは何も感じなかった。スタンドだから、実感がなかったから。そんな言い訳は通らない。だって、わたしにはちゃんと彼の腕を弾き飛ばしたという実感がしっかりあったから。


「悪いことだとわかっていても、やったことを悪いとも思いませんでした。だからね、自分を責めることも逃げようとすることもなくて普通なんですよ。そりゃあ悪いことしたなんて思ってないんですから。本当に何にも思いませんでした。悪いことをしたとも、とんでもないことをしたとも、そして、怖いとも思いませんでした。人の手が弾け飛んだって言うのに、いつもより冷静で至って普通でしたよ」


 目を見開いているポルナレフをよく見て、笑う。


「これって、異常でしょう?」


 わたしは殺し屋やその類いの暴力に生きる人間ではない。これまでに殴り合いの経験もすらなければ、あんなに大量の血だって見たこともなく、どこまでもそこらへんにいる一般人にしか過ぎなかったと言うのに、あのときのわたしはあまりに平静過ぎた。見下ろした名も知らぬ被害者に成り下がった彼に対して、わたしの感想と言ったら何もなかった。ただ、よかった、と思ったのだ。目の前の惨状を嘆くよりも、自分が無傷であることに安堵し、そして気付いてしまった。


「わたしが怖かったのはあくまでも自分が死ぬかもしれないからであって、他人なんて腕が吹き飛ぼうが死のうがどうでもよかったんです」


 ポルナレフが表情に、嫌悪感が混ざる。信じたくないという気持ちと、先ほど彼が口にした軽蔑。そうだよね、普通ならそうあるべきだとわたしも思う。彼の反応は良識的で、常識的で、どこまでも倫理的だった。そうそう、善性ってそういうものだよね。わたしもそう思う。わたしも知ってるんだよ。そういうふうに、感情が向かないだけで。
 困ったものだよね。なまじ普通の常識があるから、自分が異常だとわかってしまうのだ。それが、わたしの傷だ。一生消えないであろう、深まっていくだろう、傷痕だ。


「気づいたら、急に自分が恐ろしくなりました。吐きたくなった。ショックでした。もっと、自分は普通で優しいはずなんです。罪悪感とか吐き気とか、もっと何か、色々あるべきじゃないですか。だけど今でさえ、彼に対して何も思えないんですよ、わたし」


 そんな女のどこが純粋で、どこが優しいといえるのか。それは普通では、絶対にあり得なくて。わたしは泣きたくなるのに、けれども少しだって泣きたくならなかった。
mae ato

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