軽蔑なんかするわけがない。
おれは、はっきりそう言えなかった。きっとおれは、すべて話してくれたであろうナマエちゃんに不信感や軽蔑、そんなものを抱いているに間違いなかった。騙された気分だった。良い子のふりしてただけかよ、なんて女だって言いそうだった。だけど、ナマエちゃんは一度だって自分のことを優しい、良い子でしょうだなんて主張したことはない。寧ろ否定していたはずだ。なのに優しいだのいい子だのと持ち上げたのはおれたちで、そんなふうに勝手におれたちが勘違いしていただけなのだ。
恥ずかしい。知った気になってただけで、人の過去をほじくり返させただけだ。ナマエちゃんはおれを納得させるために話してくれたのだ。辛い出来事を、あんなふうにパニックになるほどのことを思い出させて、話させたのだ。おれは馬鹿だ。おれはただの馬鹿で、弱虫なんだ。まるでナマエちゃんとは反対のダメな弱い人間。
「おれは、」
「はい」
「J・ガイルを殺した」
「そうですね」
「だけどそれが本当に良かったのかって、思ってるんだ」
俯いたまま目を合わすこともせず、ポツリポツリと言葉を漏らした。辱しめを受け凄惨に殺された妹の仇討ちだと信念の元で話しているはずなのに、J・ガイルの死体の映像がぶれることなく頭から離れない。殺したことは間違っていないはずだ。あんなクズ死んで当然だ。いない方が今後の被害者だって出ないはずなのだ。おれの行いは正統で、評価されるべきことで、否定されるべきことなんかではないはずなのだ。そう。そのはずで。ようやく殺せた仇で、なのに、どうしてJ・ガイルの死が焼き付いて離れないのだろうか。
「妹の、シェリーの仇なのに、おれはどこかで後悔してる、んだ……」
死体を見て一瞬の高揚のあとおれは怖くなったし、吐き気がした。直に殺したわけではないので、手に感触が残っていなかったのが幸いと言えるだろう。それでも怖くてたまらなかった。人を殺したという事実も、人間の死体の気持ち悪さも、想像をしていたよりも何倍も何倍も恐ろしかった。
おれは、もっと強いはずだったのに。信念があってやったことなのだ。間違ってなんかいないはずなのに、こんなことで挫けるような男だったのかと笑ってしまいたいのに、笑う気にもなれず、腹がぐじぐじと痛む。
「だけど後悔してることはシェリーへの裏切りのようで、なのにおれは、あいつに家族がいておれみたいに泣いてるんじゃないかとか、おれはJ・ガイルと同じ位置に立っちまったんじゃないかって」
怖くて、怖くて、仕方がない。吐き気がいつになっても一向に抜けやしない。頭がどうにかなってしまいそうだった。寧ろどうにかなってくれた方が、どれだけ楽だろうかと思った。
そしてそれは、ナマエちゃんに知られてしまったことも関係していた。ナマエちゃんが純粋で、優しくて、正しいものだと思い込んでいたから、断罪されたようで怖かったのだ。ナマエちゃんの綺麗な目に見つめられると、間違っていると突き付けられている気がした。
「なるほど。殺しはいけないってポルナレフさんは思ってらっしゃるんですね。普通ですよ、それは。いいんですよ、大丈夫です、たしかに殺しはいけません、だけどポルナレフさんは悪くないです、J・ガイルと同じなんてことはありませんよ、妹さんも喜んでらっしゃるでしょう、ポルナレフさんが許せないのならわたしが許します」
「ナマエちゃん、」
顔を上げると穏やかに笑うナマエちゃんの姿。目があった途端、救われたような気になって、それからナマエちゃんの唇が慈愛に満ちた笑みを象ったまま、声を発した。
「そうやって言ってほしかったんですよね、優しくて純真無垢でお綺麗なナマエちゃんに」
息が、止まるかと思った。ナマエちゃんは表情を変えていない。先ほどからまったくぶれていない。だから先ほどの言葉は、ナマエちゃんが思っている言葉ではなく、おれが言ってほしい言葉だと思って発せられたものなのだろう。
おれは、何も言えなかった。そんなことないと言いたかったはずなのに、喉の奥に引っ掛かったままだ。出てこない言葉。驚いた顔のひきつりを消せることなく、唇は固まって動いてくれない。そんなおれに追い討ちをかけるようにナマエちゃんの声は響いた。
「違うなら違うって言ってくださいね。だけどわたしは殺したらいけないだなんて思ってもいませんし、許す許さないを決めるのはわたしじゃないですし、兄が殺人犯して喜ぶ優しい妹がどこにいますか。そんなことわかってるでしょう、ねえ、ポルナレフさん」
息が詰まる。何も言えない。その通りだからだ。おれが人を殺して、シェリーが喜ぶわけがない。自分のために兄が殺人を犯したと知ったら、シェリーは間違いなく悲しむだろう。なのにおれは行った。自分の意志で、許せなくて。そんなことは始めからわかっていたはずだ。そういう覚悟で、始めた復讐だったはずだ。なのに。どうして、おれは。
「断罪されたいんでしょう、その上で許されたいんでしょう。それで慰めてほしい。そうしたら罪悪感ともうまく付き合えますもんね」
やめてくれ、そう叫びたかった。それもこれも、全て、事実だからだ。それは勘違いでも間違いでもなく、おれは断罪されたくて、許されたくて、慰めてもらいたかったに違いない。
ナマエちゃんの発した嘘は、寸分違わず、おれが欲しかった言葉なのだ。そうでなければ、自分が潰れると無意識的にわかっていたから。妹に似た誰かに、おれの行為を罪だと理解して、その上で大丈夫だよと慰めてほしかった。そうしたら救われるような気がしたから。誤魔化して生きているはずだったから。なんて卑怯な有様だろうか。
ごめんな、と呟いて、おれは泣いた。
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