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 わたしの車酔いがあまりにも酷いということで、後ろでぎゅうぎゅう詰めになる三人には悪いけれど、助手席に座らしてもらうことになった。皆、誰一人として文句ひとつ、言わなかった。本当にいい人だわ、と感激。しかし感激で車酔いは治らない。うめき声を漏らす気力さえなくヘバってしまい、どうにか眠れないかと試行錯誤することにした。酔い過ぎて眠れるかはわからないが、チャレンジすることに意味がある。
 そんなふうに決意をしてまぶたを閉じても、その間に何度も揺れた。舗装がしっかりしていない山道だから仕方ないのだろうが、本当に揺れる。寝ようとしても、ギャイイイーッとすごい音がして止まれば、衝撃で寝ていることなんて不可能だ。ゆっくりと目を開ける。う、気持ち……わるい……。


「どうした! ポルナレフッ、なんだ? いきなり急ブレーキを!?」

「よそ見してたのかッ!?」

「ち…ちがうぜ………み…見ろよ、あそこに立ってやがるッ! し…信じらんねえッ!」

「………………やれやれだぜ」


 ちらり、わたしも目線を上げれば、どこかで見た顔の子が立っていた。誰だろうか、と思ったのも一瞬のことで、すぐにこの後の展開を思い出して理解できた。このあとはホウイール・オブ・フォーチュンのはずだから、家出少女だ。名前も教えてくれない少女A。愛嬌のある少女は、にひ、と笑って帽子を取ると、肩より長い髪がばさあと広がった。
 彼女が車に無理矢理乗り込んで来たところで、皆が騒ぎ始める。わたしは話せるほどの気力はないため頭を押さえて俯くばかりだが、それでも話は聞こえてくる。ポルノがどうとか、言ってるし。女子だから男子だから、とうるさく言うような年代ではないし、わたし自身、下ネタは全然平気なタイプだけど、それでも今の状況はどうかと思うよ。異性の前での下ネタは、さすがにね……。
 もちろん、そういった口汚い下ネタで罵ったり煽っていく場面がこの世の中には存在するんだろうけど、今はそういう状況でもないしTPOはさすがに大事だと思う。というかさ、家出少女って承太郎のこと気になってんじゃないの? 気になっている相手の前でやるのはさすがにどうかと思うよぉ……。


「やかましいッ! うっとおしいぜッ!! おまえらッ!」


 ココは有名な誤植シーンで、うっおとしいって、なってるんだよね……。新しい増刷版だと普通に直ってるし、現実的に間違うような場面ではないから、まあ、現実ではないよね。うっおとしいなんて言えないもん、逆に。難しすぎるし。そんなことを内心で考えてどうにか意識を逸らそうとするが、吐き気は一向に治まる気配がなく、私は黙り込むことしかできない。
 周りも静かになっているので、どうやら承太郎の話を聞いて、話が纏まったらしい。そうこうしているうちに、少し吐き気がおさまってきた。車が動いてないからだな。間違いない。その隙に眠ることにして、目をそっと閉じる。そうしているうちにゆっくりと車は動き出したが、わたしはようやく眠りに落ちることができた。
 気が付くと、皆が騒ぎ始め、車が浮かびあがってようやく、目を覚ました。いったぁい……。ホウイール・オブ・フォーチュンくん、きみのことは許しませんので早々に出頭しなさい。マジめちゃゆるさんからなぁ? 脳内でしかキレられなかったが、よくよく考えたらわたしが寝てる間に結構やばい目に遭ってないか? あれだよね、対向車とぶつかりそうになるやつ。場合によっては普通に死んでたんだけど、それ知ってたはずなのに堂々と寝るとか正気か? さすがに馬鹿では? 存分に反省してほしいんですけど。


「街道の茶屋か……少し休んでいくか。ゆっくり行けばあの車にも会わんで済むかもしれん」


 口に出さずに自分にキレていると、ジョセフがそう提案した。あー、さとうきびジュースのお店があるとこ……じだったかな。皆がその案に賛同し、車が止まる。車からソッコーで降りると目一杯息を吸った。うえー、車やっぱり駄目だわぁ……ゲボいわぁ……。
 わたしのあとに出てきたポルナレフが、わざわざこっち側に回ってきてくれた。心配そうな顔がこちらを見下ろしている。


「ナマエ、お前大丈夫かよ?」

「うーん、……なんとか」

「顔色悪ィぜ、真っ青だ。茶屋にでも入って休んだ方がいいな、ほら、歩けるか?」

「……ありがと、一人で歩けるよ。大丈夫」


 差し出された手をやんわりと断って、軽く伸びをしながらポルナレフの横に立ち、前を歩く四人に置いていかれないように着いていく。ポルナレフもわたしもほとんど何もないという周りのもの珍しさに気をとられてはいるが、近くに敵がいるかもしれないという事態ゆえに気を抜いてはいない。視線を向けた先でサトウキビのジュースをジョセフが受け取っている。甘いんだろうなあ、きっと。


「なにッ!」


 突然振り返ったジョセフに皆がつられたようにして振り返ってみると、大きめの木の下におんぼろ車が止まっていた。皆で近寄ってみれば、本当に汚ならしい車だった。埃はともかくとしても、木の根のようなものまで絡まっていて、とても走って良いようなレベルではないと思う。日本なら走っていたら、即行で捕まりそうなものだ。


「どうします? とぼけて名のり出てきそうもないですね」


 花京院があたりを見渡し、茶屋に留まっている人々に視線を向ける。当然、誰かなんてことはわたしたちにはわからない。いや、正確に言えば、わたしにはいないということはわかっている。この中には敵という部類の人間は存在していないのだ。ポルナレフが苛立ちに声を上げた。


「フザケやがってッ!」

「しょうかない、この場合、やることはひとつしかないな? 承太郎…?」

「ああ、ひとつしかない………無関係な者はとばっちりだが、全員ブチのめすッ!」

「ストップ、ストップストーップ、待って、ほら、落ち着いてください」


 すぐさま殴りかかろうとしていた承太郎とジョセフの服を掴み、ポルナレフには蹴った石を当てておく。うまく当たった。何やらポルナレフは扱いに差があると怒っているが聞こえないふりをした。不満げ、あるいは困惑の視線の中、花京院だけはホッと一安心している。家出少女がちょっと嫌な顔をしていたので、承太郎からは手を離しておいた。要らない諍いは避けたい。女の嫉妬は怖いのだ。とばっちりの嫉妬は身を持って体験済みである。


「待ってください。どうしてそう、乱暴な発想なんですか」

「じゃあ何か良い案でもあんのか?」

「あります」


 聞いてきた承太郎に、にこりと笑ってやる。冷静さが売りの承太郎ではあるが、激情家な面もそれなりに強い。なんだろうな、意外に気が短い? キレやすい? 煽り耐性が低い? いや違うか、暴力で解決できることは暴力で解決しがちな面があるのだ。どうかと思う。たぶん、殴ったら勝てるし殴った方が早いっていう経験則から、殴るっていう選択肢ができちゃったタイプだな。今回に限っては別に間違ってるってほどじゃないんだけど、殴るって選択肢があるのは、日常生活ではやばい人なんだよなぁ……。
 違う。承太郎の性質について考察している場合ではない。ともかく、避けられる戦いは避けた方がいい。今回は無関係な家出少女もいるし、大して必要とも思えない戦いだし、何より車に乗ったまま崖から落ちそうになるイベントなんて受け付けておりません!
mae ato

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