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「よぉ、ナマエも構ってやらねーとな?」


 しばらくの間、自己嫌悪に陥っていたわたしの元に、怪我をした承太郎とニヤニヤ顔で煙草を吸うダンがやってきた。鼻が通っているため臭いがわかる……多分、承太郎の煙草だろう。承太郎が吸っているときとは比べ物にならないくらい不快な臭いだった。鬱陶しいやつだ、と内心唾を吐きながら忌々しげに見上げてやる。八つ当たりにも近い感情だった。
 ダンが冷めた顔をして、わたしの腹に蹴りを入れる。内臓器官は驚いて悲鳴をあげた。だけど本物の悲鳴が出ることはない。猿轡をされていることも手伝って、せいぜい口から漏れるのはくぐもった嗚咽程度だ。間をあけず、二度、三度と蹴りを入れられ、痛みが徐々に広がっていく。今度は脇腹と腕に一撃。そのまま足で器用に引っ掛けられ、俯せにされ、踏み潰された。痛い。鈍く、だけど酷く響く痛み。何度も背中を蹴られ続け、広がる痛みに支配された頭が、思いきり踏みつけられた。ガツンと音がして、鼻が痛む。鼻の奥から何かが流れてきている。どろりとした熱を持った液体。鉄臭い。鼻血が奥から地面へと広がるように流れ出ていく。ぐりぐりと捻るように頭を潰しにかかられると、鼻の奥が詰まりそうで怖い上に、ざりざりと砂で擦れて痛い。足が頭の上から退くと、終わるのかと安心するよりも先に首の下に靴が容赦なく蹴りを入れ込んだ。喉を蹴りあげて起き上がらされる。今までで一番の衝撃。潰れたのではないかと思うほどの、痛みが襲う。噎せる前に今度は仰向けの喉に向かって、足が降り下ろされる。一度、二度、三度、四度。呼吸を強制的に止められる。猛攻が済んだあと、わたしはひたすらに噎せ続けた。息が上手く出来ない。喉からも鼻からも血液が溢れ出して、気分が悪い。頭も顔も背中も腰も首も痛い、ああ、どこもかしこも、痛い。首、折れてなくて、よかった。そう思える余裕が、なぜかあった。それでも、これと言った抵抗をするわけでもなく、ひたすらに蹴られ続けた。大丈夫。大丈夫。まっすぐにダンを見上げた、次の瞬間。またもどぎつい蹴りを入れられうつ伏せにされた。またか、そんな思考は一瞬で飛び散った。


「っ──、──ッ、──!!」


 じゅう、と焼ける音がした。わたしの皮膚だ。後ろで固められた右手が焼かれている。熱いだなんて意識はない。痛い。痛い、痛い痛い痛い痛い痛い!! まともに動けないはずの身体を捩って逃げようとしたが、わたしは芋虫のように這うばかりだ。理解の及ばない痛みで頭の中身が全て飛んでしまいそうになる。目の前がチカチカして、身体が冷えていく。カチ、とライターのような、音がして、ぞっとした。またやられる、また! まだ強烈に痛む手の甲が震えた。覚悟を決めることはできなかったけれどそれでも身体は反応して硬直する。奥歯まで噛まされている猿轡を思い切り噛み締める。は、は、と息が乱れる。力が否応なしにこもる。爪が食い込んだ。これより痛いのが来る。来る、くる。いたい、痛い、いたい、痛い、痛い、いた、い。


「やめろッ!」

「黙ってろ、承太郎ッ! てめーは黙って見てりゃあいいんだ!」


 承太郎の声が聞こえて、意識が目の前に戻ってきた。承太郎がダンに掴みかかってくれている。それだけで、視界がぼやけた。でも、泣いたりなんかしない。せっかく承太郎が庇ってくれたのに、弱みを見せてどうする。たぶん、わたし、覚悟たりなかったな。わたしは、原作を知っているからと怪我するなんて、殺されるなんて、微塵も思っていなかったんだ。馬鹿。アホ。甘ちゃん。ここまでいたぶられて、ようやくだ。大丈夫、今度こそ、覚悟が、決まった。
 ──馬鹿はてめーだクソ野郎。
 そんな感じのわたしの目線は通じたらしく、ダンが何かを叫びながら顔面めがけて靴の裏を降ろした。痛い。そりゃあ痛いよ。でもね、さっきより、ぜんっぜん痛くない。


「チッ。結構靴が汚れちまったなあ、次はきさまに靴を磨いてもらおーか。なあ、承太郎?」

「てめー…!」

「おいおい、まだナマエのやつを蹴られたいのか? それともジジイが殺されてーのか?」


 ちょっとした椅子に腰かけたダンの前に承太郎が膝をつき、靴を丁寧に磨くのをわたしは倒れたまま見つめる。気分がよくなってきたのか、笑い声をあげては承太郎に蹴りを噛ました。蹴られ転がった承太郎が、笑う。


「承太郎ッ! きさま何を笑っているッ、何がおかしいッ!」

「いや……楽しみの笑いさ。これですごーく楽しみが倍増したってワクワクした笑いさ。テメーへのお仕置きターイムがやってくる楽しみがな」

「やろォ!」


 激昂したダンが承太郎の背を踏みながら、ジョセフがもう死ぬと告げるのだが、どう見ても承太郎の方が余裕そうな表情だ。フフフ、楽しそうな笑い声の承太郎がダンを挑発していく。次の瞬間、ダンの頭から血が飛んだ。


「おやおやおやおや。そのダメージは花京院にやられているな……残るかな、おれのお仕置きの分がよ」

mae ato

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