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 ふたりで床に座り飲み直しを再開して、特に何を話すわけでもなく、だからといって強いて気まずいということもなく、今日あったダンのことなんて、まるで何もなかったかのように平穏な時間だった。旅の間に今みたいな時間は、もう来ないかもしれない。そう思うと、少しだけ落ち込んだ。殴り合いも殴られるのも、殺し合いも、いいことなんてないのに。……そう思うのは、当事者でないわたしだから、かな。
 こん、と空いた瓶を置いた音がした。承太郎はもう一瓶あけたらしい。結構大きめの瓶が中身を失ってテーブルの上で置物と化している。わたしもあともう少しで一つ目が飲み終わるが、如何せんサイズが違う。うーん、承太郎ハイペース。さすが不良。


「ナマエ」


 突然名前を呼ばれて振り向いた。承太郎は相変わらずの表情で、わたしには何を考えているかわからない。顔色が悪いだなんてこともなく、酔っているようには見えない承太郎は、やはり酒に強いのだろう。ハーフだから、当然と言えば当然なのかもしれないけれど、高校生としては全然当たり前ではない。


「はい、どうしました?」

「どうしてお前、隠してんだ」


 わたしの平々凡々、まさに平和な脳内を侵すような、唐突な言葉。それに目を見開かずにはいられなかった。……隠している? わたしが? まさか、ホル・ホースのことがバレたとでも言うのか、と考えて、しかしそんなことはないと否定する。バレる要素がどこにもなく、バレていたのならもっと早く断罪されるはずなのだから、ホル・ホースのことではないのだ。ひっかけ、という可能性もある。わざわざ喋ることはない。
 だからこそ、心臓を鷲掴みされたような気分になっている。わたしはもしかして今、核心を突かれているのでは、ないか? 承太郎は、聡いのだから。どくり、心臓の音が聞こえたような、気がした。


「なんの……こと?」


 敬語を使うことを忘れるほど、わたしは動揺しているようだった。誤魔化されてほしい、と思っているのにわたしが動揺してどうする。小さく右手が震えた。火傷が今になって熱さを持って痛む。アルコールが入っているから麻痺しているはずなのに。どうして、なんて思わない。理由は明らか、わたしが動揺しているからだ。
 承太郎は綺麗で強い瞳で、わたしをじい、と見つめる。逃れられないとわかっていても、その視線から目を逸らさずにはいられなかった。


「お前は、いつもそうだろ。感情圧し殺してる気がしてならねぇ、違うか。普通の顔してるふうで、おれたちから一歩も二歩も引き下がってんじゃねーか、なあ」


 酔っているのか、なんなのかはわからないけれど、普段よりも言葉から強い感情が滲んでいる。いつも冷静な承太郎が、怒っているようにも悲しんでいるようにも感じる。勿論、それはわたしの勘違いかもしれないけれど……。勘違いでも、本当だとしても、承太郎はわたしが隠していることをしっかりと捉えているわけでないのにそれを感じ取っていることには違いない。ほんと、末恐ろしい十七歳だ。次の言葉を待つ間、息がうまくできなくてひゅ、と音を立てた。


「痛えときには、泣けよ」

「……え、そんな、わたしだって泣くよ、だいじょうぶだって」

「お前は、辛いときも苦しいときも笑ってんじゃねえか。なんで笑うんだ。お前の笑顔は、次に進もうって顔じゃねー。大丈夫です、そんなところは見せません、隠すために笑ってます、って顔してるようにしか見えねえ。どうしてお前は……隠したいって、見ないでくれ、どうせお前にはわからねえって、顔、してんだ」


 ぽたり、と視界の端に何かが映って、承太郎の方を向いた。どうして。なんで。それはわたしの台詞だ。どうして、泣けと言った承太郎の方が泣いてるのだろうか。ぽたぽたと落ちる涙は、わたしを切なくさせるほどに、きれいだった。泣かないで。そう思わずにはいられない。


「仲間だろう、おれたち」


 仲間──その言葉は妙に衝撃的だった。わたしも勿論、仲間だと思って、承太郎や皆と接してきたし、これからもそのつもりだけれど、どうしてか承太郎の言葉はずしんと重みがある。わたしの考えてる仲間って、もしかして軽いんじゃ、ないか。そんなふうに思わされる。
 承太郎は静かに涙を流し続けながら、俯き、手で顔を隠すように覆って、とても空条承太郎とは思えないようなか細い声を、ようやく絞り出した。


「情けねえよ……頼ってもらえず、助けられもしねえ自分が」


 承太郎の吐露した感情に、何も返してやることが出来ない。だって多分、それはほとんど事実で。たとえ支えられているとあなたはすごい人だと言っても、それはまるで伝わらないだろう。わたしは空っぽで、掛ける言葉が見つからないのだ。わたしは軽薄な生き方しかしてこなかったのか、どうしたらいいかわからなくなってしまった。いつもなら簡単に流せるはずの言葉なのに、真剣な承太郎を、わたしはいったいどうしたらいいのか混乱して。息もしづらいほどだった。
 ……しかしまあ、そんなわたしを更に混乱させる出来事が起きたのだけれど。何も言えず、反応も取れずにいたら、承太郎がこちらに覆い被さるようにして倒れてきたのだ。


「く、空条さん!?」


 赤面して慌てふためくわたし。そりゃあそうでしょう、多分間違いだとは思うけど、びっくりするようなイケメンに形だけでも押し倒されてるんだから。しかも漫画越しとは言え、憧れの人。二次元でも三次元でも格好いい、とんでもない人。
 意識の飛びかけたわたしの脳内に、間違いだと告げる寝息が聞こえてきた。よかったのか残念なのかと聞かれると少し返答に困るなあ、と軽い気持ちで考える程度には回復した脳内に、はっと浮かんだこと…………動けないぞこれ。
mae ato

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