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 承太郎に気絶したンドゥールを運んでもらい、わたしは承太郎の帽子とイギーを拾い上げ、迎えにきてくれた車に乗り込んだ。どうやら設置していった壁が消えて、向こうでは大騒ぎだったらしい。本当、ご心配おかけしてごめんなさい。たぶん手を貫通して集中力切れたときかな。謝りつつも荷台までも満員超過な車に揺られ、次の街を目指す。
 街に着くとSPW財団の二人はお礼を言って、早々に別れた。そりゃあんなに怖い目にあったのだから、早く別れたいだろうなあ、とぼんやり思った。手にがっつり穴が空いたわたしは、花京院、アヴドゥル、そしてンドゥールと共に病院組だ。金髪のお姉さんに何故か怒られながらも手当てを受け、入院が決まった花京院とアヴドゥルに軽く挨拶をして、わたしは気絶したままのンドゥールの個室にいた。ンドゥールは致命傷ではないものの、スタープラチナの威力は半端なものではなかったらしく、彼も入院することが決まっている。もしかして、スタープラチナさんつよすぎ? 知ってた。


「……痛い」


 あらかじめ承太郎からもらっていた煙草を吸いながら、ぼうっとする。右手に目を落とすと、白い包帯。今度は何針縫ったのだろうか。でも穴開いたのに縫うだけで済んだんだから、よかったんだよね、きっと。
 そういえばデーボの時も、ダンの時も右手だった。どうしてもとっさに出してしまうのは利き手の方だったから、とても女の子とは言えないような傷だらけの手になってしまったわけだけど、別に好きな男がいるわけでもないし、神経を傷つけて動きにくくなったわけでもないし、まあ、いいか。


「右手のライフはもうゼロよ! ……なんてね、誰もそんなネタ通じないってーの」


 左手で短くなった煙草を揉み消して、座ったままンドゥールのベッドに上半身だけダイブした。ちょっと眠くなってきたんだけど、あーでも皆が来るまではせめて起きてないとまずいよなあ。ふいに体重がかかってしまい、手の傷から壮絶な痛みが発せられた。あまりの痛みに声にも出せずに悶えていると、ベッドの方からも小さな声が漏れ始めた。顔をあげてみれば、ンドゥールが目覚めたらしい。


「ここ、は……?」

「ハロー、お早うございます。ここはアスワンの病院ですよ」

「ッ!」


 ンドゥールがわたしの声に反応し、思いきり身を引いた。それに思わず笑ってしまう。何故逃げたりなんかしたのだろうか、別に殺されてもいいはずなのに。それとも本当は死にたくないと言うことなのだろうか。わたしには彼の行動が理解できなかった。


「ハハ、そんなに驚かなくってもいいじゃないですか。死なせてくれないのはわかってたでしょうに」

「……確かにな」

「そういえば名乗ってませんでしたね。申し遅れました、ミョウジナマエです」


 先ほどの対応、というか、口汚く罵ったことを謝ろうかとも思ったが、それはやめておいた。ンドゥールに好感持っているから謝りたいような気もするんだけど、単純な話としてわたしは敵への煽りや罵倒はどんなものでもOKだと考えているところがあるし、別に間違ったことは言っていないと思うからだ。必要なら嘘もつくが、別にここで己の考えを曲げて謝らなければいけないほどの場面ではないだろう。
 ンドゥールは困惑している。さっきまで見えないところで死ねとか言っていた小娘が急に丁寧に話しかけてくるなんて、まあ、変な話ではある。何かを企んでいる、と思うのが普通だろうか。ンドゥールは嘲るように笑った。


「名乗りなど今更必要ないだろう。おれは、お前と仲良く対話をする気はない」

「礼儀として名乗っただけなのでお気になさらず。わたしも強いて仲良しこよしをしようとも思っていません」


 そりゃそうだ。あんなに口汚く罵っておいて、仲良くしたいですとか言ったら相当頭おかしいだろう。ただそれだけの意味で言ったつもりだったが、ンドゥールにとっては不愉快だったようで、彼はこちらを睨んでくる、ような表情をした。目は開いていないので、実際こちらを見ているわけではなく、そのように感じただけだ。彼は苛立っている。そう感じたけれど、ンドゥールの唇は笑みを形作っていた。


「なるほど。おれにその価値はないと言うことだな? おれのような外道とは、仲良くする価値はないと。けれど殺す気もない。なんとも自分勝手なものだ。正義と言うだけで、自意識を押し通そうとするとは。虫唾が走る」

「仲良くするか殺すかってどんな二極化ですか。世の中は残念ながら綺麗に二つの選択肢に分かれるわけではないですよ。そして、わたしたちが正義だとも思いません」


 今やっているのは、どちらも相手を排除しようという動きなだけだ。先手がDIOだったのは間違いないだろうが、それだけだ。DIOが目障りなジョースターの血を根絶やしにするため殺そうとして、ジョセフと承太郎もホリィさんの命を救うためにDIOを殺そうとしている。どちらも相手の命を狙っているのだから、心根がどうであれ、理由がどうであれ、それは悪だろう。……まだ子供の承太郎が、その立ち位置まで追いつめられているのは、とても苦しい。性根が優しいだけに、悲しいと思ってしまう。
 わたしの話が癪に障ったのか、彼の眉間に深いしわが寄った。なのに唇の形は変わらない。ンドゥールはずいぶん、笑顔を作ることに慣れているようだ。わたしの薄っぺらい笑顔とは違って、根深そうだ。


「あなたが殺されることを望んでいても、わたしたちはあなたを殺しませんよ。あなたが嫌がったように、あなたは空条くんたちにとって有用な情報をもたらすでしょうし、そうでなくても、わたしは人を殺しませんし、なるべくならわたしの目の前で人に死んでほしくないと思っています」


 だから助けた。デーボも、ンドゥールも。それに深い意味なんかない。死んでほしくない。別に、生きていてほしいわけではない。目の前で好きだったキャラクターが死んでも何も思わなかったら、嫌だから。それだけだ。人間らしい感性があると信じたい。縋っていたい。わたしは、少しでも普通の人間でいたいのだ。
 ンドゥールはわたしの言葉を、鼻で笑った。愚かだと、嘲るように。不快感をあらわにしている。道端の汚物を、見つめるように。


「それは、お前が自分はいい子ですとアピールするためのものか? それはいったい誰に向けたものだ。自ら悪だと理解している人間に、そのようなアピールをして意味があるとでも思っているのであれば、お前はずいぶんおめでたい頭をしているようだな。死んでほしくないという言葉も、面白い発言だ。そう思えるだけの甘ったれた生き方が出来てきたんだろうよ。DIO様の命を狙っているくせに、どの口がそれ言うんだ。この偽善者め」

「そうですね。おおよそあなたの言う通りです」


 基本的にンドゥールの言っていることは何も間違っていない。わたしたちはDIOを殺すだろう。わたしは必死に自分を保とうとしている。それがアピールだと言うのなら、それは自分に向けてだろう。わたしはいい子だと思い込むために、向けている。いい子でありたい。普通の感性の人間でありたい。異常だなんて思いたくない。わたしは。
 ……思考が乱れてきた。ゆっくりと深呼吸をして、落ち着こうと試みる。
 わたしが躊躇いもなく肯定したせいか、ンドゥールは困惑したようだ。まっすぐな人にはわたしのような人間の理解は難しいかもしれない。内情の理解もできないのであれば、余計に理解できないだろう。
 そして彼は、何故だ、と口を開いた。傍から見たらなんに対する問いなのかもわからないだろうその問いの意味を、わたしはきっと正しく理解できた。──何故、殺してくれない。答えは得ているはずなのに、会話の先でより不可解になってしまったのだろう。先ほどとはお互い違う感情で、それを言い、それを聞いた。だからわたしも今度こそいたって真面目に口を開く。


「死体を、見たくないからです」

mae ato

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