109
「死体を見たくないから、ね」


 だから勝手に死んでくれ、か。ある種、一番納得のいく答えだった。死んでほしくないわけでも、DIO様の情報がほしいわけでもなく、死体を見たくないだなんて。やはりこの女、小娘なのだ。結果はどうあれ、理由は至極自分勝手なもので、情報──他人の命よりも自分の感情を優先しているのだから。けれどナマエは意外なことを口にした。


「正確に言うならば、わたしも見たくないですし、何より、空条くんに見せたくないんです」

「なんだと……?」


 女の言う空条くん、と言うのは紛れもなくあの空条承太郎のことだろう。誰よりも意思が強く冷静沈着で機転の回り、行動力もあれば思考力もあり、身体能力だけでなくスタンド能力も高いとんでもない男。そんなことは戦っただけでもわかることだというのに。あの男がおれの死体を見たくらいで、リタイアしてくれるような可愛い性格はしていないはずだ。動揺するかさえ怪しい。あいつは揺るぎなどしないのだから。しかしナマエの悲観的な息づかいが聞こえた。


「彼はまだ子供なんですよ。たった十七歳で、友達と遊んだり親を大切に思っていたり、普通に生活してきた高校生なんです」


 ……ナマエの言葉は、やけに衝撃的だった。もちろん、その事実を知らなかったわけではなく、寧ろよく知った事実だ。甘ったるい日常を生きていたはずなのに、そんなことを感じさせない男でもある。だからこそ、幾多の戦いを乗り越え、いつだって冷静に確実に勝ちとってきた男を、普通の高校生だなんて思っているのは、多分、この部屋にいるナマエと、離れている両親くらいのものだろう。祖父のジョセフ・ジョースターでさえ、きっとそんなことは忘れてしまっているに違いない。


「彼にあなたの命を背負わせたくないと思っています。命は、とても重いのですから」


 そんな言葉に、思わず笑い出してしまった。口からは漏れ続ける笑い。今、おれは侮辱されたのだ、悔しさが溢れてくる。それともこれは怒りだろうか。言葉として形容するのが難しい感情が内から次々に湧き出てくる。それが負の感情であることだけは確かだった。


「おれの命を重いもの、だと? 思ってもいないことを、よくもまあ口にできるものだな。勝手に死ねと言ったのは、どの口だ。偽善者め……!」

「今の話には善悪も食い違いもありませんよ」

「何を」

「いいですか、わたしは勝手に死ねと言いました。だけど、わたしが言ったことと、あなたの命が重いかどうかはまったく別の話で、そこには悪も善も関係ありません」


 その言葉は屁理屈のように感じた。けれど訳のわからぬ負の感情は一時的になりを潜め、頭が冷静になっていく。こいつにはおれには理解し得ない何かが存在する。きっとわかりあうことはないのだろう。そう思うと、一気にどうでもよくなって、次に感情的になった先ほどの自分がひどく馬鹿らしいものに感じた。たかが生ぬるい世界に生きている小娘の言うこと。今すべきことは怒りに任せて本心をぶつけることではなく、取り入って情報を得られないようにするか、あるいはどうにかして自分を殺させるように仕向けるかだ。
 そう考えたとき、ナマエが先ほどの言葉の続きを紡ぐ。ずっと押し黙っていたのは、まるでおれの思考が通常に戻るまで待っていたかのように。


「空条くんには、重いんです。たとえ直接殺さなくとも、彼はこれから一生死ぬまで背負っていかなければならない。この旅で傷ついた相手を、きっと彼は誰一人として忘れないでしょう」

「まるでその言い方だと、お前にとっては軽いみたいだな」

「あは、気づいちゃいました? なんちゃって。殺すまではきっととても重いですよ」


 ナマエはふざけた声で笑った。そこに本心は見えない。そう呟いた声はひどく無感情だった。するりと手が首へと伸びてくる。片方には布、いや、包帯が巻かれており、そのどちらもが自分よりも大分小さい手であることがわかる。力を入れられればそのままおれは死ぬだろうか? ナマエの力ではいまいち不安が残るのが本音だ。どちらにしても一切力を込めてこないこの手は、結局おれを殺す気なんてないのだろう。


「それとも、わたしを殺してみます? すぐ届くところにわたしの首もありますよ」


 そうしておれの右手を掴んだ手が、首まで案内して、ほら、と言った。声は変わらず無感情だ。ナマエにとって喉は生命線のはずだった。言葉を発せなければスタンドを発動できないという面倒な条件がこいつには存在している。それにもかかわらず、おれの手を首へ誘導する意味は? ナマエの右手はとっくにおれの首から離れていると言うのに。ナマエが不可解で仕方なかった。


「何がしたいんだ、お前は」

「……わたしは、運命を、変えたい」


 ナマエの呟いた理解できない声と共に、おれの右手には温かい液が伝っていた。
mae ato

modoru top