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 彼女の血がついたネイルハンマーを隠して、部屋へ戻る前に承太郎と合流した。マライヤが窓から逃げ出したことを伝えれば、目を大きく広げジョセフたちがいた部屋まで走っていく。わたしはゆっくりそのあとを追った。もう走れるような体力はない。あと肩が痛い。完全に血が染みている。ジョセフたちのことは心配だったが、仮にマライヤが能力を使えたとしても、最悪ケガ程度だと思われるので、これ以上肩の傷口を悪化させてまで走ると言う選択をしなかった。
 開け放たれたドアの先に、頭を押さえるジョセフとポルナレフが見えた。アヴドゥルと承太郎の姿は見えない。部屋に入ってきたわたしに気付くと、ジョセフがこちらを向いた。


「ナマエちゃん! 大丈夫か?」

「わたしは大丈夫です。ジョースターさんたちは……」

「怪我は大したことはない。が、あの女、マライヤを逃してしまった……!」

「油断してたつもりはなかったんだけどよ……、いや、ヴィトの能力が効いてたから、油断してたんだろうな。一瞬の隙を突かれちまった」


 あーいてえ、だなんて言いながらポルナレフは額を押さえている。青紫になっているから、どうやら鈍器かなにかで殴られたようだった。ジョセフが押し当てていたタオルを外すと、血がついているのが見えた。しかし少しばかり額が切れてはいるが、大した怪我ではなさそうだった。ふう、とため息をついてからジョセフは立ち上がる。


「マライヤが逃げてしまった以上、ここのホテルにはいられん。気休めにしかならんだろうが違うホテルを用意してもらってくる」


 わたしたちの返答も聞かず、ジョセフは部屋を走って出ていった。ぽかんとしているわたしに、ポルナレフは承太郎とアヴドゥルが一応マライヤを追ったことを話してくれた。わたしはその話を聞きながらも、ポルナレフの手が微かに震えているのに気付いて、戸惑った。別に低血糖を起こしているだとか、貧乏揺すりのような癖であるだとか、そういうこではないだろう。ならば怖かったと言うのだろうか、マライヤに襲われたことくらいが? まさか、そんなわけはないだろう。ポルナレフは普段はふざけていたり、時には突然の攻撃にびびっていたりもするが、襲撃に対し怖がるような精神の持ち主ではない。


「……ポルナレフ?」

「ん? どうした?」


 普段通りの反応に思えたが、どこかその笑顔が作り物のようにも思えた。無理しているのではないか。ポルナレフの震えていた手は、反対の手できゅっと握り締められていて今は確認のしようがない。


「どうか、した?」


 大丈夫? そう尋ねようとしたわたしの唇は、少し開いたままの形で止まる。ポルナレフの目が一瞬動きをなくし、そのあと不自然なほどに大きく揺れていたからだ。触れてはいけないものに触れてしまったと、思った。震える指先、唇を噛んだまま、わたしの方を一向に見ようとはしないポルナレフの瞳は、もしかすると怯えるように震えているのではないだろうか。


「ポルナレフ? だ、大丈夫? 何かあったんだね?」


 思わず駆け寄って、空いている手でポルナレフの震える手を掴む。どうしてかわたしが混乱していた。ポルナレフの心情が、感情が移ってきてしまったのかもしれない。声が上擦ってうまく喋れていない。少しでも落ち着かなければと奥歯を噛み締めても、なぜか息がしづらい気がした。
 ポルナレフがわたしを見る。青い目が、泣いてるんじゃないかと思うほど心細かった。震えた声が、悲痛に叫んでいるようだった。


「……、…いつ、か」


 お前らを殺しちまうかもしれない。
mae ato

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