140
 トイレに行ってくる、とホテルに一度帰ったナマエが、なかなか戻ってこなかった。近くだからと一人で行かせたのがいけなかったのか、と内心少し焦り始めているとナマエが普通に戻ってきた。しかも心なし嬉しそうに。手には缶ジュースが握られている。ポルナレフは帰ってきたナマエに気が付くと、のんきな声色で話し掛けた。


「遅えじゃねぇかよ〜、アヴドゥルたちもまだ来ねえしよ〜」

「ああ、ごめん。泥引っかけられた人にハンカチ貸したら、缶ジュース奢ってもらっちゃって」


 人を助けていたと言うのだから、ナマエらしい理由だと思う。缶ジュースに目を光らせたポルナレフに、ナマエはため息をついてから渡した。朝飯を食べる前で腹が減っているのはわかるが、だからと言ってナマエが貰ったものを飲んじまうのは駄目だろう、と冷たい目線だけ送っておる。しかしポルナレフがそれに気付くことはなかった。ナマエもそれを気にしたふうもなく紙を見つめていたが、しばらくするとその紙を折ってポケットにしまう。視線を上げておれが見ていたことに気が付いたので、何の気なしにその紙のことを聞くとからかう時のような、すこしばかり意地の悪い笑い方をしてきた。


「ん? 気になるのかな?」

「……性格悪ィ言い方をするんじゃねぇよ。目についたから聞いたんだ」


 するとナマエはイタズラを仕掛けているような意地の悪い笑みを消し去り、軽く謝ると至極楽しそうにニコリとした口角を上げる笑みに変えて笑った。


「その缶ジュースをくれた人の電話番号」


 この発言には、衝撃を受けた。それはポルナレフの耳にもしっかり届いていたらしく、水を得た魚のように張り切ってその泥をかけられたやつについて聞き出していた。イケメンだったのか、とか、どんなやつなんだよ、とか、ナンパされたのか、とかかなり根掘り葉掘りに。人のいいナマエも答える必要もないだろうに、それに答えていく。


「いや、その人実はとある道では知る人ぞ知る存在の人だったの。で、せっかく会えたんだし、旅が終わったらちょっと実験に付き合ってもらいたいなーって。思い切ってお願いしてみたら、いいよ、ってね!」

「ナンパしたのお前かよ」

「ナンパじゃないから。いやー、まさかこんなとこで会えるとはねえ、ラッキーだよ、ほんとに!」


 ナンパや恋だの愛だのという好きな話ではなかったことがわかると、ポルナレフはあからさまに興がそがれたとトーンダウンした声に変わる。しかしポルナレフはそれでもからかうことをやめなかった。ナマエは軽口でそれを返し、本当に嬉しいのだという空気を振り撒いて話している。なんとなく、この会話に入れずにおれが口を開くことを少しだけ躊躇っていると、じじいとアヴドゥルがようやく現れた。


「ジョースターさん遅ぇよ〜、待ちくたびれちまったぜ!」

「いや〜、すまんのう。さ、朝飯でも食いに行くか!」

「そうしましょう。たしかあの路地の奥にいい店があったと思いますよ」

「え、アヴドゥルさん、行ったことあるんですか?」

「ああ、何回かな。旅が結構趣味で、色々回ってるんだ」

「へえ、すごいですね!」


 いつも通りのわいわいとした纏まりのない会話をしながら、アヴドゥルが勧めた店へと皆で向かう。おれはナマエの先程まで笑顔に、喉の奥につっかえた違和感にも似た何かを抱いていた。ちらりとナマエを横目にその後ろを歩いていく。ナマエはアヴドゥルと話ながら楽しそうにしていて、おれに気が付くことはない。おれを見たイギーがなんだか鼻で笑ったような気がした。
mae ato

modoru top