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 ルクソールの街から、随分と長い時間がかかったことだけはわかる。列車に押し込められていて、脳内の時間感覚が麻痺してしまったかのようだった。それでも二日を超えて時間が経っていることはわかった。理由は簡単。日が昇って、沈んで、を二回繰り返したのは見たからである。肩の傷は未だに癒えないが、あらかたのことができるようにはなった。完全に治るまでには一、二ヶ月かかるらしい。列車に押し込められている間は襲われることもなく、わたしは身体を休めることができたし、サイコロを振ったりカードゲームをするなどして、気分もかなり旅行気分でリフレッシュできた。
 カイロにつくことが出来て、ほっとしているのか緊張しているのか。正直どっちかわからなかったけれど、口の端は上がっている。砂漠の見えるカフェで屋敷について尋ねるが、飲み物を頼んでも結局店員は知らないようだった。わたしはアヴドゥルさんに教えてもらった言葉で聞いて回るけれど誰も知らないようだった。


「いくぞ…聞き込みを続けよう」

「その建物なら………」


 知っていますよ、と声が掛かる。その声にジョセフたちは食いかかるように反応した。男の笑みに何かを怪しむ様子はみんなには見られない。それだけ必死ということなのだろう。こういうときほど冷静にならなくちゃあならないのに、いつものキャラクターはどこに行ったんだろう、なんて目線だけは送っておく。金で動かない男に痺れを切らして、ポルナレフが彼の口車に乗る。塀の上を歩く猫がどちらの肉を先に取るか?


「待って、待ってポルナレフ。落ち着いて。ギャンブルは賭けても大丈夫なところまでにしなきゃだめだよ。冗談でも魂なんてやめなって」

「こんなのキザなヤローのセリフだからだっての! おれは『魂』をかけるぜッ! それでいいんだろッ!?」


 ……ポルナレフは勢いよく、そんなふうに返事をしてしまった。知っていればぶん殴って終わりなこの戦いではあったが、知らせるのが結構難しい。ぱっと見全然怪しくはない男で、別に危害を加えようとしたわけでもない。せめてここが衆目の場でなければ、とりあえずぶん殴って終わらせるという方法もあったし、ハーミットパープルでちょちょいのちょいと言う方法もあったのだが、知らない状態で疑うのも、忠告してやめさせるのも難易度が高い。
 猫の方を邪魔した場合、下手したらズルをしたとわたしもポルナレフと一緒に持っていかれる可能性がある。負けたと認めてませんけど?が通用するのなら、負ける気はしないんだけど……。でもそれは賭けでも蛮勇でもなくて、ただ愚かで無謀なだけだ。
 ポルナレフが負ければ『魂』を取られると言う。猫は可愛らしい顔をして、まず男の選んだ方を取り、それからポルナレフの選んだ肉を口に銜えた。にんまりとした笑みをたたえた男は言う。


「さあ…約束でしたね。払っていただきましょうか!」

「えっ、払う!? 何を?」

「『魂』ですよ」


 魂を奪うスタンドであることを暴露したと同時に、ポルナレフの魂はオシリス神に魂をこねられ、コインに変えられてしまった。アヴドゥルがダービーに掴みかかるが、当然そんなことは無駄なのだ。残念ながらわたしたちはポルナレフを見捨てられないし、熱くなればなるだけギャンブルなんてものは勝てなくなる。まさに相手の思うつぼだ。


「賭けだと? その猫はお前の猫じゃあないか! イカサマのくせにッ!」

「イカサマ? いいですか? イカサマを見抜けなかったのは見抜けない人間の敗北なのです。わたしはね、賭けとは人間関係と同じ……だまし合いの関係と考えています。泣いた人間の敗北なのですよ」


 殺すなら殺してみろと余裕の態度は、仲間を見殺しに出来ないことくらいはお見通しなのだ。それにダービーを殺してしまっては結局情報を入手することができない。二重の保険をかけている。ダービーはかなり頭がいい人間なのだろう。既にここにいる人間全てに手を回している用意周到さも、ただの小心者と後ろ指をさされることもあるだろうが、わたしは彼が間違っているとは思わない。勝つために、負ける可能性を一つでも潰していくのは当然のことだ。彼は、正しい。実力があり、努力を怠らず、油断せず、圧倒的に、ただ勝つ。
 アヴドゥルは呻くようにして言葉を口にした。きさまはこのまま無事で帰ることはできない、と。その言葉に笑みを消し、ダービーは問いかけた。


「1984年9月22日夜11時15分。あなたは、何をしていたか憶えていますか?」


 唐突な言葉にアヴドゥルは顔をしかめ、歯を食いしばり、なんのことだと聞き返す。その顔から汗が滴り落ちていた。他のみなも同様にダービーを見つめたまま、緊張からか嫌な予感からか汗をかいていた。ちなみにわたしはまだ産まれていないので覚えているも覚えていないも何もない。それを言うと異世界人か未来人バレをしてしまうので何も言えない。アヴドゥルから解放されたダービーは本をぱさりと開き、指をさした。


「わたしは憶えている。カリフォルニアでその時刻、S・ムーアというアメリカ人が賭けをしていて、あなたの今のセリフと同じセリフをわたしに言ったのです」


 それがこの男です。指差されたページに埋まるチップを見れば、このダービーという男の異常さ、あるいは凄みが伝わってくる。周りの人間は悪魔みたいなやつだと思っているかもしれない。これはただのトロフィー、あるいはコレクションだ。自分が勝ったという、記録をつけるための記念品。ただの殺人鬼よりよほど害悪で、醜悪なのかもしれないが、少なくとも本人はそんなことを思っていないだろう。
 ダービーに飲まれるような空気を払拭したのはジョセフであり、生来の性格と立ち回りのうまさはやっぱり随一だ。ただ、怒らせたという勘違いがよくなかった。相手の演技なのかもしれない、とは思わなかったようだ。相手よりも自分の方が優位に立っている──そんな考えで、溺れて落ちてしまった。
 あまりの手際のよさ、頭の回転の速さに、惚れ惚れする、感心してしまう。知っているわたしでさえ、指摘できなほど、こちらからはわからなかった。もちろんわたしたちが動いていいのなら別なのだが、わたしがうろうろし始めたら怪しいし、正直わたしが動き始めたらべつの策を取りそうな気もする。知っているイカサマを知らないふりで対処して勝つのって難しい。
 ジョセフの魂も回収されてしまい、またもアヴドゥルが掴みかかった。店の男がわたしたちに騒ぎを起こすなら出て行けと怒鳴った。承太郎がイカサマに気付く。あと三人、ダービーが笑った。さて、そろそろ出番でもいいかな。


「なら、次はわたしです」

mae ato

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