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「その前に、お願いしたいことがあるんです」


 ナマエはわたしの雰囲気に乗せられることなく、緊張した笑みを作っている。どう見ても虚勢にしか見えないが、それでもナマエはこの空気に飲まれていないのだ。ジョセフ・ジョースターのように自分から勝負内容を提案しないところを見ても、油断しているふうには見えない。となれば気をつけなければならないのは、わたしの方のようだ。
 提案した側というのは、如何せん自分が仕掛けている立場であるせいか、相手が何かを仕掛けてきていると思い当たることができないものだ。一見有利に見えてもそうとは限らない。相手が対抗策を練った状態でこの場にいるかもしれないし、相手が途中で何かを思いつく可能性もある。それでも人間は自分が仕掛けている勝負なら勝てるはずだと思い込む生き物である。先ほどのジョセフ・ジョースターのように。
 一方、ナマエはいまだ冷静で、余裕さえ伺えるようだ。油断とはまた違う。ただの虚勢だとしてもこの歳の少女ならば十分賞賛に値する。さて……これを崩すのにはどうやら骨が折れそうだ。わたしは余裕を崩さず、笑んだまま声を発した。


「なんだい、お嬢さん」

「イカサマはなしで、お願いします」

「……驚いたね」


 目の前の少女が発した言葉に思わず本気で驚いてしまった。ポーカーフェイスも当然のように崩れるほどだ。先ほどイカサマについてさんざ話したあとだというのに、そんな甘っちょろいことを言い出すだなんて誰が思うのだろう。それでも彼女は本気で言っている。
 そして彼女の空気に飲まれない理由にたどり着いた。ナマエは賢くて余裕があるのではない。ナマエは愚かであるがゆえに、状況把握に対し鈍く、人の善性を信じている。だから仲間がやられていても血も出ていないこの状況が理解できていないのだろう。そう思うとすこしばかり落胆した、が、愚か者が潰れるところも嫌いではない。すこしだけ話に乗ってやることにした。


「なるほど、いいとも。イカサマはなしだ」


 ただしバレなければイカサマとは言わないが。そんな胸中を読み取ることもできないナマエは本当にほっとした表情を作って、息をひとつついた。おいおい、敵の言葉を本気にするとは、末恐ろしい純粋さだ。
 少々呆れ返ったのはわたしだけではなかったらしく、アヴドゥルが心配するようにナマエから見える位置に駆け寄って説得し始めた。


「ナマエ! この男の言うことを信頼しているのか!?」

「え? どうしてですか? まさか……宣言してくれたダービーさんを疑うんですか?」

「う、疑うんですか、ってナマエ……」


 驚きすぎて言葉もないとばかりに落ち込むアヴドゥルの背を、慰めるように承太郎が叩いた。お前からもなんとか言ってやってくれ。そんな目線を受けた承太郎は、わたしが想像していたようなナマエをたしなめる言葉を発しなかった。


「ナマエに何を言っても無駄だ」

「……空条くん、それはさすがに傷付くから、どうにかもうすこし柔らかい言い回しでお願いできない?」

「だがもうちっと厳しい条件をつけた方がいいな」

「え、空条くん無視? ちょっと?」


 まるで命を賭けたギャンブルをしているとは思えないほどの能天気なことを言うナマエをぎらりと承太郎が睨んで一蹴した。するとナマエは借りてきた猫のように大人しくなり、俯いて居心地が悪そうに目線を逸らした。承太郎は本当に冷静か、あるいは冷静なふりをしているだけだろうが、ナマエは本当に理解できておらず、こんな態度を取っているのだろう。負けたら次は自分が死ぬ可能性があるというのに。理解できないと言うのは、哀れだ。少々混乱がもたらされた思考に承太郎の声が乱入する。


「イカサマはおれが見張らせてもらう。仮にイカサマをした場合は、容赦なく指を折らせてもらうぜ」

「きみは随分と恐ろしいことを言うね……」

「ふん、しねえんだろ? なら気にせずやってくれ、ダービー」


 やはり気の抜けない相手は、承太郎のようだ。目の前で参加するナマエを警戒するよりもよっぽど有意義というものだ。いつも通りの笑みを貼り付けた顔でナマエを見た。ナマエは油断も恐怖も何を思うわけでもないような、ただまっすぐな瞳でわたしのことを見ていた。


「よかろう。ならば、コールを!」


 わたしの『魂』を賭けましょう。そうナマエはたしかに言った。
mae ato

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