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 丘の上にいた少年を連れてきたナマエは、さきほどよりも緊張が解けた様相であった。アヴドゥルはまるで親のようにハラハラと見守っているだけ。承太郎だけがわたしに注目し、ぴりぴりとしていた。結局のところ警戒すべきは空条承太郎だけなのである。スタープラチナの性能に加えて冷静かつ思慮深い性格であり、現在プレイヤーでない承太郎はイカサマを見つけることだけに集中していればいい。それがとてつもなく厄介だ。
 とは言え、承太郎もこれからイカサマが起きるとは思っていないだろう。普通、自分の選んだ少年がまさかこちらの人間だとは気付かないものなのだ。ここから視界に入る人間は全て、わたしの仕込んでいる人間である。──仮にバレたとしても容赦なく切り捨てるだけだが。
 少年がカードを手にしてシャッフルする。いつも通り丁寧で正確な腕をしている、と見ていたら、少年の手からカードがこぼれた。


「あっ」


 少年が声を発する。一枚、二枚。そしてバラバラと床に広がっていった。ナマエが驚いた様子で拾うのを手伝う。少年とナマエ、言葉が通じ合わないもの同士だと言うのに目をあわせて一つ笑みを浮かべた。──その様を眺めて脳内に浮かんだ言葉は、“裏切り”である。ナマエと少年が通じている。ナマエたちが話に言った際、承太郎を警戒するあまり向こうを気にしきれていなかった。そのとき仮に承太郎から何か連絡を受けていたアヴドゥルが仕掛けた可能性は? それともナマエが単独でそれを行ったか? いや、そうでなかったとして、裏切りなどそこになかったとして、今日、ただ彼の調子が悪いだけだったとしても、この少年はカードをばら撒いたのだ。──わたしの賭けを行う力量を有していない。不安要素がある以上、こいつに任せるのは得策ではない。
 ナマエとアヴドゥル、そして落とした張本人である少年がカードを拾い集めるまでにそう結論付けたわたしは、折られていない方の手を少年へと差し出した。少年は意味がわからないと言ったように首をかしげている。


「そのカード、細工がされていないか確認させてもらいたいのだが」

「……なんのつもりだ」

「承太郎、きみこそなんのつもりかね? イカサマが行われていないか確認できるのは、両者に存在する資格だろう」

「イカサマだと? さっき連れてきた少年がどうしておれたちのためにイカサマなんかするんだ」

「ふん、きみは存外甘いのだな。わたしに聞こえないところで話している……それだけで十分すぎる理由になる。わたしは話しておらず、きみたちとだけ話しているだろう? そしてさきほどカードをばら撒いた件……そのときのアイコンタクト……そんなものを見せられたらわたしとて疑わざるをえない」


 ふう、と子どもにでもわかるように丁寧に説明し、わざとらしいため息をつく。簡単に言えば、挑発しているのだ。事実ならば焦り、そうでなければカチンとくらいは来るだろう。普通ならばこんな安い挑発で怒るようなことはないが、わかりやすくアヴドゥルが激昂した。やはりこいつは何かできるようなタイプではない。遊びならば別であろうが、命を賭けて人を騙すことには向かない性質らしい。まっすぐと言えば聞こえはいいがただの馬鹿正直、ギャンブルには到底向かない。


「なんだと!? わたしに対してならともかく、少年やナマエに変な言いがかりはやめろ!」

「アヴドゥル、落ち着け」

「わたしたち、別にやましいことなんてしていないんですから……ダービーさんどうぞ、是非見てください」


 それに対してナマエのこの落ち着きようと言ったら、なんなのだろうか。冤罪にせよ、事実にせよ、すこしは焦りが見えてもいいと思うのだが。ただ本当にやましいことはなかったから、何も思っていないだけか? それならそれで、大層図太い神経を持っているだけ、ということになるが……。
 はじめにわたしの考えた愚か者、という形容は、あるいはフェイクなのかもしれない。少年からカードを受け取って、開く。指が折れようとも簡単に枚数を確認することはできた。五十二枚。普通のセットなら間違ってはいない。しかしこのカードにはジョーカーが含まれている。すなわち、言い当てるまでもなくこのカードは完璧ではない。


「一枚足りないね……」

「本当か?」

「疑っているのならきみも確認してみるといい」


 そう言って手渡そうとすると煙草をふかす承太郎は、一応と言ったふうに受け取り中身を確認した。わたしが渡そうとする時点で中身が足りないことなど理解してはいるのだろう。けれどだからと言って確認しないわけにもいかない。もしわたしがそんな承太郎の心情を見越して、全て揃っているにもかかわらず嘘をついているかもしれない。そう、だから承太郎は認めざるをえないのだ。自らが呼んだ少年がこれ以上この場でカードを配ることはできないと。
 承太郎は煙を吐き出しながらカードをこちらへ投げて寄越した。アヴドゥルとナマエが心配そうに承太郎を見ていた。


「たしかに一枚足りねえ……しかもジョーカーだ」

「そう。よもや見つからなかった、拾い忘れた……なんて言い訳が通用するとは思うまいね? 実際にカードは見つかっていない。それはわたしが先ほどのイカサマをただ配り間違えたと言っているようなものだ」

「……ッ!」

「もしわたしが気がつかなかったらと思うとぞっとするよ……そちらの不手際だ。わたしが次のディーラーを指名させてもらう」


 誰もそれを断ることはできなかった。承太郎の表情が苦い顔に変わる。不利であることには十分気がついているだろう。さてこの中で選ぶとして、一番自然な相手は誰か。カフェのマスターを選ぶのは自然だが、通じていると考えられる可能性もある。席の近いものもそれに倣い選ぶのに難儀する。となれば、承太郎たちに選ばせるのが得策だろう。だがそんなことをすれば中に通じているものがいると暴露しているようなものだ。……となれば、ここは見極めるために時間を割くか、あるいは、誰がどう見ても下手な女に頼むかだ。まっすぐに視線を向けてにこりと微笑む。


「ならばきみにお願いしようかな、ナマエ」


 その驚いた顔は本気か、それとも。
mae ato

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