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「ふふ、うふ、ふ、ふふふふふ、ふ、ふふ、……」


 ふるふるとナマエが身体を震わせながら笑っている。必死に笑いをこらえようとしているのか、怪我をしていない右手を口に持っていくもののどうにもこうにもおさまらないようで、ぎゅっと自分の身体を抱きしめている。異様な、光景だった。緊張感からおかしくなってしまったのではないかと思って、彼女が顔を上げてそれが違ったことを理解した。堪えられず作られた笑みは、わたしを嘲るような、見下すような笑みだったからだ。


「あー、ごめんなさい。レイズでしたっけ? はい、空条くんの魂ですね? 空条くん、いいかな〜?」

「……ああ、勝てるんだろ」

「うふふ、ありがと。じゃあそういうことで」


 小動物のような雰囲気さえ醸し出していたナマエは、途端に雰囲気を変えてしまっていた。そう、まるで狩る側。牙を研いだ肉食獣のようである。肘をつき、ふてぶてしい態度でわたしを見る。にっこり笑った様は、……わたしのようだった。考えるまでもなく、ナマエは愚か者ではなかったのだと理解する。しかしナマエの手札はわかっているのだ。ナマエが愚か者でないというのなら、その余裕はどこからきているのか。間違いなく、ナマエは配っていたのだ。正しく。ならば、ナマエが勝つ術はないはずだ。雰囲気が変わったくらいで気圧される必要はどこにもない。


「じゃあ次はー、わたしのレイズですね」

「ナマエ!? 何を言っているんだ!?」

「ん? どうしたんですか? レイズの権利は平等ですよ?」

「い、いや待て、今の状況で問題ないだろう? これ以上相手に何を要求すると言うんだ?」

「アヴドゥルさんこそ何を言ってるんですか。今、わたしは賭けられる状態ですよ。なら、上乗せする。当然でしょう?」


 アヴドゥルが驚いている。実に滑稽な様だ。そして話を聞くだけでわかった。ナマエは根っからのギャンブラーだ。しかも、頭のネジが数本はずれているタイプである。ナマエには自信がある。ギャンブラーとして、重要な素質だ。疑うのはもちろん大事だ。可能性を考慮して、けれど最後の最後、ここで行くと己の背中を押すのは、積み重ねてきた自信なのだ。自分の考えを正当であると押し切る自信が、ギャンブルには大切になってくる。神になど頼らない。己を信じればこそ……。だからこそ、わたしも自分の能力を信じる。ナマエの手札よりも、わたしの手札の方がよいと。


「レイズするのは勝手だが、もう賭ける人間がいないのではないか?」

「あっれぇ、ダービーさん、もしかして知らないんですか? 情報に疎い感じですか? 実はね、デーボってわたしのなんです。一筆書きますので万が一にでもわたしが負けるようなことがあれば、煮るなり焼くなり炙るなりお好きにどうぞ?」

「……驚いたな。きみはギャンブルのために人の命を勝手に使うのか?」

「こちらこそ驚きました。あなただって人の命を勝手に使ってるじゃないですか」


 ナマエが指をさした先にはチップになったジョセフたちが転がっている。すでに魂の権利はわたしが持っている、と宣言しようとして、デーボもナマエに握られているのは事実だと言うことを思い出した。


「……よろしい、ならば一筆もらおうか」


 だから安い挑発に乗ってやることにした。日本語で書かれた文字を目で追う。確かに一筆もらったが、ここまでする必要は、向こうにはないはずだ。わたしにプレッシャーを与えるためだろう。となればこれは、ブラフ? わたしに降りさせるために、わざとこうしている可能性がある。とすると、彼女も多少なりとも自信がない、そういうことでいいのだろうか。
 勝利は確定しているとは言え、思考を止めることはできない。何をしたいというのだろうか。もしくは、何かアクションを起こしている……? これから起こすつもりなら目線はナマエのカードから離せない。それでも唇は余裕ぶって言葉を紡ぐ。


「それで? 対価に何が欲しいと言うんだ。わたしの魂を賭けるとしても、別段死体などいらないだろう?」

「いや本当に死体とか要らないですね……。なので勝ったらこちらの言うことをなんでも言うことを一つだけ聞く権利をください。魂奪われて死ぬよりましなので、それくらい程度べつに構わないでしょう?」


 構わない、と頷くのとナマエがじゃあカードを開きましょうかと提案するのはほぼ同時だった。ナマエがカードに手を伸ばす。ただ捲ろうとしているだけだと、動きでわかった。あっさりしすぎている。何も起こそうとしていない。躊躇いなく、自分の勝利を確信している。もしわたしの勘が正しく、ナマエという少女がギャンブラーとしてわたしに程近い性質を持っているのならば。シャッフルしたあとのカード内容を理解しているはずだ。それなのに……?


「何故きみは、そこまで余裕でいられる?」


 素直な疑問が口を吐いて出た。己の行為とは信じがたいことだったが、事実、わたしはそのことを疑問に思っている。ナマエが理解できない。疑問ばかりが渦巻いている。わたしの疑問にナマエはすこしだけ驚いて見せて、それから笑った。まるで聖母みたいに穏やかなものだ。


「前提条件の違いではないですか。わたしはあなたが歴戦のギャンブラーであることをポルナレフとジョースターさんの戦いから知っていました。お気づきのように、わたしは何もできないずぶの素人以下であるふりをしました。ちょっとやりすぎ感はありましたけど……」

「……それで?」

「わかりませんか? あなたにイカサマをさせず、かと言って運否天賦に任せる気もなかった……あなたにディーラーの指名してもらうために画策していたんですよ」


 その言葉で全てが繋がった。そしてヒントをもらうまで気がつけなかった自分の不注意さを呪いたくなる。つまり、ナマエは初めから自分がディーラーをするまで勝負をする気などなかったのだ。──その理由は言うまでもなく彼女はイカサマを行えるからだろう。
 けれど自分から言い出せば警戒されてしまうかもしれない……だから彼女は無害な羊役に徹した。承太郎を矢面に立たせ、極力馬鹿を演じた。承太郎はナマエがこうした人物であることを理解していたからこその行動であったのだ。承太郎が気が付かずに黙っていたのなら、まずわたしの指を潰しにかかったことだろう。だがナマエの思惑通り、承太郎が色々とやってくれた。
 それからわたしの少年に対する印象には疑いの種を撒くのも忘れずに。気がついていたのか、それともただ想像しただけだったのかはわからないが、ナマエは視界に見える人物全てを疑っていたに違いない。となればナマエはなんらかの方法で少年にカードを落とさせ、その隙にカードを一枚処分した。そうすることで少年がわたしに味方するという状況を防いだのである。そして最後は……疑いも含め、潰そうとしてくるわたしを逆に潰しに来る。それだけの、話。


「けれどもそうですね、わたしはシャッフルが下手ですから、もしかしたら中身が見えてしまったかもしれませんねえ」


 わざとらしいため息と困ったような顔をするナマエを見ると、つい苦い表情になってしまう。嫌味な言葉と、それ以上に庇護欲をそそられるその顔に愛らしさを感じている自分にだ。それでも最後まで笑みは崩さなかった。大人の意地、と言ってもいい。


「悪魔のようだよ、きみは……ッ!」

「あはっ、よく言われます」


 獰猛な笑みを浮かべた彼女を素直に美しいと思えた。ナマエがカードをひっくり返そうと伸ばした手に、上からわたしの手を重ねる。驚く周り。スタープラチナが向けられる。そんなことはもう、どうでもよかった。首を振る。捲らなくてもいいという意思表示。


「降りる……わたしの負けだ」


 ナマエが本当に驚いていたような顔をしたから、もう、それだけでいいだろう。
mae ato

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