負けだと宣言した瞬間、魂が解き放たれる感覚がした。そこに空しさも悲しさもない。あるのは不思議な爽快感と倦怠感、そして悔しさだった。自分は負けたのだと、はっきり理解する。スタンドなど関係なく、ただただ、彼女の実力の前に。一回り以上も下の少女に。笑えてしまいそうだった。ポルナレフやジョースターだけではなく、今まで集めた魂の全てが解き放たれ、躍起になって集めたものを無くして行くというのに。ただおそらく、これでいいのだろう。わたしがまた本当のギャンブラーとして再起するためには必要だった。
「……ん…? は…」
「う…う……う…」
「ジョースターさん、ポルナレフ! 大丈夫か!」
どうやら二人は目を覚ましたようだった。顔色はいまいち冴えないものだが、肉体には特別死に至るような損傷は受けていない。あと一時間もしたら色々問題もあっただろうが、たかだか三十分も経っていないのだから、当然といえば当然だ。さっきまで死に掛けていた二人にちらりと視線を向ける。威嚇してくるような煩わしい目線を無視し、口を開く。
「……しばらくは無理に動かない方がいい。まだしっかりと癒着ができていないだろうからな。疲労感もあるはずだ……三十分ほどはそこらの椅子に座っていろ」
「てめーがやったんだろうがッ!」
「やったからこそ、わかるのだよ。死にたくなかったら大人しく座っておくんだな、お坊ちゃん」
「てめー……っ」
「ポルナレフ! 静かにしておけ!」
アヴドゥルから一喝されてふらついたポルナレフは大人しく腰を下ろした。……実に単純な男だ。こいつが相手だったのなら何百人いても勝てるだろう。そんな下らない発想をして、自嘲的な笑みがこぼれた。無意味だ。わたしはこんな雑魚に勝ちたいわけではないし、何を言ったとしてもわたしはナマエに負けたのだ。当のナマエと承太郎は実に納得のいかない顔をしている。ナマエは困惑といってもいいだろうが。
「どうして、カードも見ずに?」
「どうしても何も……初めにきみを愚かなこどもだと評価したところか、わたしは負けていたのだよ。己の敗北は、しっかりと認める性質でね。そのカードを見るまでもない。仮にそのカードが予想通りのフルハウスだったとしても関係がない。わたしの愚かさと屈辱は、わたしだけのものだ」
無駄な虚栄を張るわたしは愚かだが、時としてそれは必要不可欠である。わたしがギャンブラーならばこそ、だ。ナマエは一つ息をつくと顔を上げて真剣な表情をしてみせる。はじめて見る、ナマエの表情だった。
「わたし、あそこまで言いましたが、結構、自信ありませんでした。あなたの目を騙しきれるか、自信が足りませんでした。だから次の人のために最低限あなたの指先の機能を損なわせ、行けるところまでは行こうと出来うる限りのことはしたつもりです。あなたがそうしたように、わたしも。運否天賦でどうにかしようだなんて甘えで、神頼みなんて愚の骨頂。意地汚く這いずり回って、思考を止めることなく疑い続け、騙し合い、読み合い、常に不安であり、そうして勝利をもぎ取ろうとする……それくらい、当然でしょう?」
「……ああ、そうだな」
「だからこそわたしは、あなたと裏のかきあいができたこと、本当に光栄に思います」
そうしてふわりと笑うナマエが、まっすぐで、困る。子ども相手に柄にもなく照れそうになって、そこは自慢のポーカーフェイスで誤魔化した。自分が思考を止めてしまったことや安全策に走り続けたことで彼女に負けたと考えているのに、そんなわたしに、彼女は光栄だと言ってくれている。全くもって、参ったと言わざるをえない。目元を隠しながら笑ってしまう。笑いが落ち着いた頃に、ナマエをまっすぐに見た。
「それで? きみはどんな手を作っていたんだい?」
「え……見ます?」
「おれにも見せてもらおうか、命を賭けた手札が、どんなんだったのか」
少々嫌がっているような開きたくないとばかりのナマエを無視して、承太郎と二人、ナマエの前に伏せられていたカードを捲ってしまう。エース、エース、エース、エース、そして、ジョーカー。……いわゆる、ファイブ・オブ・ア・カインド。これ以上強い手は存在しない。思わず、ぽかんとしてしまった。そして小さく噴き出す。とんでもないイカサマをしたものだ。
「きみがまさかパラス・アーテナーだとはね……」
「買い被りすぎです。でも、わたしがアテナなら、あなたはアレクサンドロスですね。うまく寝首を掻いた形になったわけですから」
例えにうまく返してくるとは思わず、わたしはまた笑いそうになった。ナマエは歳に見合わず博識のようだ。スートで一番高いのスペードのクイーンの絵柄に例えれば、キングの中で一番スートの低いクラブの絵柄で返される。ダビデ王になれなかったのだけが悲しいところか。カードを凝視していて何も言葉を発さなかった承太郎が、ぽつり、声をこぼした。
「えげつねえな……」
「ふふ、わたしは覚えたイカサマを調子に乗ってやり過ぎて、友達から『おまえとはもう二度とトランプやらない、この悪魔!』と言われた女だよ?」
「逆に可哀想だな、おまえ」
「それはそう! 悲しい話をするとね、結果的にわたしは泣いて許しを乞った。最終的には許してもらえたけど払った犠牲は大きかったね……」
そうしてふたりは下らない話を続ける。自分にもなんとなく覚えのあるような、それでいてないような、そんな不思議な感覚を味わった。さきほどまでここが戦場だったとはとても思えなかった。目をつむると、自分がこの中に混ざったかのように思えた。
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