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 ちらりと腕時計を見れば、ジョセフが言っていた十分が経っていた。いつ何が来てもいいようにと構えていたわたしたちではあったが、お互いに顔を見合わせると、館の中に突入することになった。仲間がいるのに火なんてつけられるわけもない。一歩足を踏み出そうとしたとき、アヴドゥルがわたしたちを引き止めた。振り返り首を傾げると、彼は至極真面目な顔で言った。


「突入する前にひとつだけ言っておきたい。わたしは、もしこの館の中でお前たちが行方不明になったり、負傷しても助けないつもりでいる…イギー、おまえもだ」

「おれや犬は構わねえだろうが、ナマエにそりゃあないんじゃねーか?」

「いや、冷酷な発想だが我々はDIOを倒すためにこの旅をしてきた……自分たちの安全を第一に考えるのだ……ひとりを助けようとして全滅してしまうのは避けなければならない」


 だから、わたしのことも助けないと約束しろ。そう真剣そのものな表情で言い切ったなんともお人よしのアヴドゥルに、わたしはため息をつきながらも笑顔を作って頷いた。ホル・ホースも肩を竦めながらもひとつ首を縦に振った。三人で手を握りあう。必ず成功させるとばかりに。


「生きて出れたら、食事でもしましょうね。奢りますよ」

「なに、ナマエがか?」

「おいおい、そりゃあちょっと男の沽券に関わるぜ」

「ならわたしの手料理で」

「おー、そりゃ楽しみだな」

「期待しておくよ」


 死亡フラグになりかねない言葉だが、アヴドゥルの死亡フラグくらい、わたしが背負ってやる。イギーがおれにもな、とばかりに吠えてくる。もちろん、イギーだって死なせやしない。大丈夫。大丈夫だ。無理に作った笑顔のまま、館の中へ侵入していく。
 ケニーGを見つけたら、すぐさま警戒しなければならない。ホル・ホースもヴァニラとは面識があるのだろう、いつも以上の緊張感が見て取れた。呼吸がすこし速く、そして浅いように思える。しかしわたしには他人を気遣っている余裕などない。わたしも死ぬんじゃないかってくらいに心臓が早鐘を打っている。これからが山場になる。


「おい、どうするアヴドゥル」

「うむ。ジョースターさんは館に火を放てといったが……こんな遠大な迷路では、火を放つのはこっちが危険だ……それより、『魔術師の赤』!」


 アヴドゥルのマジシャンズレッドが作りだした、六つの方向を持つ立体的な十字架を二つあわせたような指針は、炎を燃やしながらユラユラと宙に浮いている。不思議そうな顔をしているホル・ホースとイギーに、アヴドゥルが生物探知機であることを説明する。半径15m以内のものならば、どれくらいのサイズのものかわかるらしい。使えそうでなかなか使う機会のないものだな、と思った。人がたくさんいる場所で戦うことも少なくなかったせいで、ようやくこれの出番、というわけだろう。


「ジョースターさんたちは地下に向かって連れ去られた…下へ向かおう… ! 早くも炎に反応だ。左前方に何かいる!」

「マジかよ……!」


 心臓が不可解な動きをし、奇妙なほどに服を冷たい汗が濡らし、内臓を直接擦られているかのような強烈な不快感を伴って、不安と緊張が高まっていくのがわかる。逃げ出してしまいたいような、怖気のする空気がわたしを包んでいるのだ。身体の震えが伝わり、呼吸さえ小刻みに震えている。イギーが鼻をひくひくとさせて匂いのする場所へ向かって、ザ・フールを発動させた。ケニーGと思われる男が、シンプルな悲鳴を上げて倒れる。幻覚があっさりと解け、周りはあからさまにほっとした空気になったが、わたしだけは逆に緊張が高まっていく。


「気を、抜かないでください」

「…、ああ、そうだな…… ?」


 顔に緊張感を取り戻したアヴドゥルの動きが、不意に止まった。手を壁についたまま、じっとそれを凝視している。そこに書いてある言葉はきっと、“このラクガキを見て うしろをふりむいた時おまえらは 死ぬ”。……来る。
 来る。
 来る。
 来る。来る。
 来る、来る、来る!!
 アヴドゥルがゆっくりと振り向いたその先に、奇妙に捩れた“それ”が見えた。瞬間的に息が、止まる。自分の身体がひどく震えていたことだけはわかった。


「ナマエッ!! ホル・ホースッ! イギーッ! 危ないッ!」


 突き飛ばすように伸ばされたアヴドゥルの腕をぐっと掴み、そのまま吹っ飛ぶように倒れこむ。ホル・ホースとイギーは、勢い良く突き飛ばされた。わたしは、床に転がりながらアヴドゥルの腕を持っていた。その先に胴体も足も、頭だって、ちゃんとついている。アヴドゥルは生きている。助けられたのだ。
 思わず涙腺が緩みそうになったが、わたしの引っ張っていた右腕の奥、左肩から下がないのに気が付いて、上げそうになった悲鳴をぐっと歯を食いしばることで防いだ。アヴドゥルが痛みに声で呻いている。どばどばと溢れる血は止まらない。


「ほう、よく避けたものだ」


 嫌な音を立てて、捻じ曲がったクリームが現れた。その口の中にはきっとヴァニラがいるのだろう。そしてその口を通じて、アヴドゥルの左腕は持っていかれた。カチカチと歯が鳴っている。それはわたしの歯からではなく、ホル・ホースからだったようだ。


「アヴドゥルの、左腕は……」

「知っているだろう、ホル・ホース……アヴドゥルの左腕は、こなみじんになったのだ」

「てめーの口は、暗黒空間になってるんだったな……?」

「ああ、そうだ……吹っ飛ばしてやったのだ。次は、おまえらだ……DIO様を倒そうなどと思い上がった考えは………正さねばならんからな……」


 そう言いながらもヴァニラはクリームの身体を再度ぐにゃりと捻じ曲げ、口の中に消えていこうとしていた。──来る、つぎの攻撃が。そう思ってからは早かった。ヴィトを発動させ、まずアヴドゥルの出血と痛覚を止めさせる。ホル・ホースが無我夢中にヴァニラを狙って撃ち続けた。舌打ちが聞こえる。どうやらやはり、致命傷には至らないようだ。


「アヴドゥルさん、走れますか!?」

「!? あ、ああ……これは、いったい……?」

「説明はあとです、いったん上に逃げますよ。左側はわたしがカバーします!」


 ホル・ホースとイギーにも上へ目指すように、目線と行動で促した。必死に走る。後ろで壁が壊れる音がした。本当なら出口から出たいところだったが、あれは入り口であって、出口などではない。二階への階段を駆け上がりながら、アヴドゥルが苦々しい口調でわたしを責める。


「どうしてわたしを助けた!? ナマエまで危険な目に遭っただろう?!」

「そんなことはお互い様です! アヴドゥルさんだってわたしたちを助けたくせに!」


 見殺しにできるわけもない。だってわたしたちはもう、とっくの疾うに仲間なのだから。
mae ato

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