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 何が起きたのか、わからなかった。膝立ちでイギーを庇うようにヴァニラ・アイスの前に陣取ったナマエが、武器にもならなそうなものを持っているのが、ぼんやりと見えた。それが気に入らなかったのだろう。構えていた右腕とそれが、ナマエからなくなり、夥しい出血に変わった。そのときわたしは、やめてくれと残った腕を伸ばしながら、ただ悲愴に叫んでいたのだと思う。思わず目をつぶり、絶望していた。もうどうすることもできないのだと。しかし目蓋を開いた先に、最悪の光景は、なかった。
 スパンッ、
 実に軽い音だった。何の音かも想像できぬほど、軽い音。先ほどまでナマエが殺されるところなど見たくなくて、ぐっと目をつぶっていたことを忘れるほどに、場に似つかわしくない音だった。目を開いた先の映像は、閉じる前となんら変わっていないように思えた。
 数瞬の間。そして。──ゴトリ、と。
 落ちたものは、ヴァニラの頭だった。切断された首からはホースから出る水のように勢いよく血が噴き出し、ナマエを頭の先から赤黒く染めていった。その血溜まりの中にヴァニラの身体どしゃりと沈む。事態をまるで理解できなかった。ナマエは呆然と目を見開いていたが、理解したようにぐっと手を握り締める。失ったはずの右手にはしっかりと刃物が握られていた。腕と刃を見つめながらゆっくりと目を細め、そして黙祷を捧げるように目蓋を閉じた。
 深い呼吸を繰り返し、目を開く。すくりと立ち上がる手には先ほどの刃物はなく、イギーが抱えられていた。倒れているわたしとホル・ホースの横まで来てしゃがみこむと、眉をきゅっと寄せる。彼女は──笑っていた。


「今、足の止血をします。ヴィトで運びますので、頑張ってください」


 真っ赤に染められた顔の中でただ二つだけ黒い瞳は、涙を溢れさせていなかった。それでも泣いているように、哀しみの色を呈していると、感じさせた。ナマエの横で彼女を守るように、ふわりと白く美しいものが浮かんでいる。マリア像に、よく似ていた。ただひたすらに白い。すっぽりとローブを纏ったようなそれは、唯一頭に赤い花を乗せていた。美しい、としか言い様のないスタンド。……ああ、きっとこれが、ナマエの本当の精神の形なのだ。そう、思った。
mae ato

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