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 自動車を壊してやると、やつらはちょこまかと屋根をつたい逃げ始めた。鼠狩りをしているようなとても面倒な気分が湧き上がってくるが、今日でジョースター家との因縁が切れるのだと思えば、遊んでやろうという気にもなろうというものだ。ようやく、ようやくだ。百年のときをかけて、ようやくジョースターの血族に打ち勝つことができる。これは悲願であり、宿願であった。前方では二匹の鼠があわただしく逃げ回っている。


「花京院とジョセフしかいない……なるほど、二手にわかれてはさみう打ち………背後からは承太郎とポルナレフ、ナマエが尾けて来ているというわけか……」


 フン、無駄なことを。そう鼻を鳴らし、屋根へと飛び乗った瞬間、エメラルド・スプラッシュがこちらに向かって飛んでくる。それを腕を使い簡単にかわす。芸のない攻撃だ、と笑ってやれば、カチリと背中で何かが触れた音がした。直後、背後からまたもエメラルド・スプラッシュがわたしを狙っていた。


「“法皇”の『結界』!」


 くだらないことをしおって。しかしかわせばかわすほどに次のものに当たり、またもエメラルド・スプラッシュが発射される。なかなかに鬱陶しいものだと舌打ちと同時に、足へ一発食らってしまう。このDIOともあろう者が……。
 屋根に着地すると、周りが全てハイエロファントの結界に囲まれていることに気がついた。このDIOであってもそう易々とは動けないように張られているのだろう。正面の鉄塔には花京院が立っている。


「触れれば発射される“法皇”の“結界”はッ! すでにおまえの周り半径20m! おまえの動きも『世界』の動きも手に取るように探知できるッ!」


 それは思い上がりに他ならない。このDIOに万が一にでも勝てるなどと、甚だおかしい考えだ。


「くらえッ! DIOッ! 半径20m、エメラルドスプラッシュを──ッ!」

「マヌケが……知るがいい……『世界』の真の能力は…まさに! 『世界を支配する』能力だと言うことを! ───『世界』!!」


 全てが静止した空間。このDIOにこそふさわしい能力。時の止まった世界で動けるものは、当然わたしの他には誰一人として存在していなかった。実に愉快だ。そして愚かしい。しかしこのDIOに能力を使わせたことをよく頑張ったとほめてやるべきか。それともやはりこの程度だとあざ笑ってやるのがいいだろうか。いや……どちらも花京院には、もう必要のないものだったな。にたりと口の端が上がっていくのがわかる。


「これが…『世界』だ。もっとも『時間の止まっている』おまえには、見えもせず感じもしないだろうがな…死ねィ! 花京院ッ!」


 ザ・ワールドは腕を振りかぶり、花京院の腹を貫くはずだった。肉が裂ける音が、感触がした。骨が砕ける音が、感触した。臓器が飛び散る音が、感触がした。しかしそれはどれも、花京院のものではなかった。


「ミョウジナマエ……ッ!?」

「あれ……こんな予定、なかったんだけどなあ……まずっちゃったなあ…」


 そう呟いた声はひどく湿っぽい。ナマエは花京院を庇うように飛び込んできたいた。本来ならば花京院を貫くはずだった腕は、ナマエを貫通し、その奥の花京院の腹の肉をすこしばかり抉っただけに留まった。混乱が脳内を襲った。どうしてこの女は、この『世界』の能力の中で、動けているのか。ナマエの能力は物体や能力を止めることではなかったのか……?! やつは、時まで止めると言うのか!?


「貴様……どうして動けるッ!」

「うえぐッ、う、ごか、ないで、くださいよ、刺さってるんですから……」

「答えろッ!」

「残念ですけど、その時間はありません、……殺させて、くださいね」


 ナマエが腹へ突き出たザ・ワールドの腕をがしりと掴んだ。途端、映像がまるでフラッシュバックしたかのように脳内に流れ込む。
 見知らぬ天井が映っている。鏡には幼児の姿が映っている。これは……女児だろうか? 一般的に言う愛らしい顔立ち。様々なものに興味を示している。すこし頑固そうな顔をした父親と腹の大きい母親、へにゃりと笑う娘。赤ん坊が産まれ嬉しそうに楽しそうに笑顔を振りまく子供。学校に行くようになり下の子供の世話をし、勉強をし友達と遊び、成長していく子供は時を経ていくうちに、怒り、泣き、そしてひどく嬉しそうに笑った。これは──ナマエ?
 意識がこちらに戻ってくる。一瞬たりとも時が進んではいない。


「な、ッ、なにを! 何をしたッ!」


 自分でも驚くような狼狽した声が出た。何が起きたのかわからずこちらを向かせたナマエの目も驚いているかのように大きく見開かれている。さきほどの笑みが頭の中で重なって見え、楽しそうに笑う声が幻聴として聞こえてくる。気分が悪い。気色が悪い! 掴まれていた腕を切り捨てるように払うと同時に『世界』の能力がきれた。ナマエと花京院の身体が勢いよく吹き飛んでいく。身体の内側が、ざわざわと蠢いているような気がし、それを振り払う。


「……気にせずともよい、ナマエはもう死ぬのだから…」


 まるで自分に言い聞かせるように呟いていたのだと、そのときのわたしはまるで気づこうともしなかった。
mae ato

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