02
 騒々しいバイクの音がしんと静まり返った住宅街の空気を壊した。眠気があるわけでもない、ぼうっとした頭でそれを考える。裕也のようなやつがここらへんを走ることなど滅多にないのに、なんて。どうでもいいことを脳から振り払う。頭から離れないのは、ナマエのことばかりだ。あの時のことが刻みついてる。
 ──おれは、怖かった。
 今まで出会ったどんなやつよりも、どんなものよりも、どんなことよりも、ナマエのスタンドに恐怖した。背筋が凍りついて、直視しているだけで腹の中にドライアイスを突っ込まれたみたいな気分になって、吐き気がして、震えが止まらなくなって、どうしようもなかった。ナマエを好きなはずなのに、その場にいたくないほど、おれは恐怖した。あからさまな反応だったのだと、冷静になった今ならわかる。取り繕うことさえしなかった。する余裕なんてありはしなかったから、あるいは……する気にもなれなかったから?
 手のひらを返すようなことをしたと、己を責めても謝りたくても、ナマエには会えない。謝ろうと集まったおれたちに突きつけられた現実は、──あいつは帰った。もういない。という言葉だけだ。連絡先を聞きたいと言ったおれたちに向けられたものは小さな呟き。──……帰れよ。苛立ちさえ含まれない露伴の疲れ切った顔を見たら、それ以上何も言えず。

 吐き気がした。自分の意思の脆弱さに。自分の行為の愚かさに。
 寒気がした。もう二度と、会えないのかと。

 いつまでもナマエはここに存在しているのだと思っていた。いや、思いすらしなかったのだ。いなくなるだなんてことを思わなかったのと同じように、いるということも思ったことはなかった。それが当たり前だったから。変わらなかった日常だったから。
 そんなウジウジとした気持ちだけが身体を蝕んで、このまま黴でも生えてしまいそうだ。女々しいだなんて言葉では表してはいけない気さえする。おれはなにもできないガキだったのだと、夜が来るたびに思い知らされる。
 不意に、家のチャイムが鳴った。なんのいたずらだとそれを無視した。こんな時間に尋ねてくるような知り合いはいないはずだ。しかしチャイムは一向に止む気配をみせず、鳴る。鳴る。鳴る。鳴く。やがてそれは、呼ばれているかのような錯覚を起こさせて、おれはのろのろと玄関を目指した。かちゃり、と鍵をはずした途端、勢いよく向こう側から扉が開いた。


「露、伴?」

「遅いッ!」


 外にいたのは露伴の奴だった。随分と焦った表情をしていて、家の前には露伴のバイクが止まっている。ああ、さっきのバイクは露伴のものだったのか、とぼんやり思った。おれは腕を掴まれてそのまま家から引きずり出された。スウェットにサンダルという格好のまま、バイクに乗れと急かされる。事を理解できないまま、おれはバイクにとりあえず跨った。
 そうして露伴の背を眼前に走り出してから、ようやくどうしてこうなったのかと自分でも驚けた。とてつもないスピードで走っているバイクの上では、話すこともままならなかったが、それでも舌を噛まないように口を開く。


「ろ、露伴、これ、どういう、」

「ナマエが死にそうなんだ」


 おれの言葉は最後までつむがれることはなかった。聞こえるか聞こえないか、そんな本当に小さな声だというのに、はっきりと耳に届いた。──ナマエ。ずっと頭を支配していた名前を聞いて、おれは動揺した。死にそうだという言葉も、思考をがんじがらめにして離さない。だけど、それでも、会えるのだと、焦がれていたナマエがいるのだと思うだけで心臓がキシキシと痛む。ナマエ。ナマエ。ナマエ。ナマエ! ……ああ、泣いてしまいそうだ。
mae ato

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