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「……ッ、いッ、痛い……!」


 デーボが舌を噛みきるつもりなのだと気付いた瞬間、二歩ほど走った勢いのまま思わず彼の口に手を突っ込んでしまった。容赦なく下ろされた歯は、わたしの手の皮膚をぶっつりと噛みきった。そりゃあ、死ぬつもりだったんだろうから、躊躇うわけないだろうけど。……いやこれ痛いですわ!? 今まで経験したことのない、想像を遥かに超えた痛みだった。い、痛い……痛い……。デーボの口に手を入れたまま、痛みを必死に堪えてぷるぷるする。
 だから今は皆さんから向けられる驚愕の目線は、全然気にならない。ついでに走ったから足の裏も痛みを主張し始めた。じわりと血が足裏に滲んでいくのがわかる。手も足も、信じられないくらい痛む。息を止めて痛みをこらえていたわたしに、ポルナレフが慌てて近寄ってくる。


「ナマエちゃん!? な、なにやってんだッ!」

「て、手を突っ込みました……」

「そうじゃなくてッ! と、とりあえず汚ぇから出して!」


 うわあ、なんてお兄ちゃんらしいポルナレフ。しかし手を引き抜いたら、デーボは舌を噛みきってご臨終、なんてことになるかもしれない。わたしの手も痛めたことだし、それはどうしたって避けたい。……けれど、わたしが手を引き抜いてからもう一度それをやるのは、非常に格好悪いし間抜けに見える。今のところでやれなかったのが運の尽きというか、やったわたしが思うのもなんだけれどつくづくこの人は運が悪い。ゆっくりと目線を上げて合わせる。


「……えー……と、デーボ、さん。その、このあと同じように死のうとするのがいかに格好悪いかというのは、わかると思うので、その、手を抜きますが、死なないでくださいね」


 デーボが死ぬのに格好悪いもクソもないタイプだったら身も蓋もない話だが、まさかそんなやけくそはしないだろう。いや、しないでください。せっかく怪我をしたのだから、死なれたら空しいし、痛いの分かってるからもう一回は正直きついと思う。しないで! お願い!
 都合の良いお願いを内心でかましてから、襲いかかりそうなヴィトを逆の手で抑えつつ、わたしは手を引き抜いた。驚いてこれ以上にないほど見開いていた目を細め、デーボは困惑や憤怒が混ざった感情をぶつけるようにこちらを見詰めている。ひとまず死のうとしていなかったのでそれはよかったのだが、居心地があまりに悪いので誤魔化すように笑っておく。


「……あの、その……手なんか入れて、すみません。しかもばっちいし……」

「何故、止めた」

「なぜ、って。……自殺しようとしてる人がいたら、わたしは、止めますけど」


 というよりも、考えるよりも先に動いてしまっていたのだから理由など聞かれても困る。きっとわたしは彼の求める言葉を答えることはできないと思う。まあ、人が死ぬところを見たくはないので、それでとっさに動いてしまったんだとは、思う。死んでほしくない。死ぬところは見たくない。嫌に決まってる。
 乱れてきた息を整えるために深呼吸をして、今度はわたしから見詰めてみる。まっすぐに、視線は逸らさない。彼に残った一つの目は澱んでいるようだ。血に塗れる傷口の痛みは想像するだけでも恐ろしい。逸らされない視線に今度はデーボが居心地悪く感じる番だったようで、僅かに視線がずれた。その瞬間を、わたしは逃さない。


「じゃあ、逆にお聞かせください。なぜ、デーボさんは死ぬんですか?」


 わたしは痛みも感じないほどに冷静だ。デーボを追い詰めているのに冷や汗だらだらでは格好がつかない、とかそういう根性論ではなくて、既に感覚がぼんやりとしてきただけの話だった。押さえている傷口からはパジャマを真っ赤に染め上げるほどの血が出ている。単純に感覚の鈍麻。出血量が多くて、頭が冷えているのだ。
 かわって、デーボには余裕が見えない。わたしなんか目じゃないほどに結構な出血であるし、目だってとんでもないことになっている。本当ならば救急車を呼んでやるべきなのだろうが、今はさすがに無理だろう。言葉を発しないデーボに、わたしの方から畳み掛ける。


「DIO、という人に忠誠でも誓っているんですか?」

「……おれは殺し屋だ。金で雇われただけで、あんな野郎に忠誠なんか誓うわけがねぇ」

「なら、殺し屋なのに殺せなかったから、死ぬんですか?」

「…………そうだな」


 それがわたしの提示した中で一番ましな答えだったのか、はたまた単に自身の考えを答えるのが面倒だったのか、それはわからない。けれどわたしは、デーボの死のうとした理由がなんとなくわかるような気がした。多分、ただの意地で死のうとしたんだろうと思う。敵に情報を教えるくらいなら死んでやろう、というただの、意地。そんなもの、犬も食わないと言うのに。しかもその意地は、わけのわからない日本人の女にへし折られたというのだから、哀れを通り越していっそ喜劇かもしれない。ならもっと笑わせてやる。とびっきりの、喜劇だ。
 にっこりと、なるべく無邪気に見えるよう笑顔を作る。わたしは無邪気。無邪気。無垢、純粋。頭の中で言い聞かせる。きっと誰も気付かない。気づかせない。


「じゃあデーボさんの命、わたしにください」

mae ato

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