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 医者と話したあと、ジョセフは薬をもらってくると言って行ってしまった。病室に残されたのは、車椅子のわたしと花京院。入院するわけではないので居続けるのはまずいだろうと、花京院に車椅子を押してもらって病室を出た。病院なだけあって、消毒液の匂いがあちらこちらから漂ってくる。妙に鼻がつんとした。鼻をすこしぐずらせていると、花京院が覗き込んできた。心配そうな表情だ。


「ミョウジさん、体調はどうですか。どこが痛い、とかあります?」

「大丈夫です。痛み止めが効いてるみたいで、全然。歩けそうなくらいです」

「そうですか、良かった」


 わたしのことなのに嬉しそうに笑ってくれる花京院は、なんていい子なんだろうか。きい、と車椅子が止まって、花京院は待合室の椅子に座る。わたしは体重が重いからこんな音を立てたのか、と気が重くなっていたがその話題には触れられたくないので黙っていることにした。少しだけ沈黙が流れる。花京院がぽつりと口にした。妙に響く声だった。


「その、質問しても、いいですか?」

「はい? もちろん」


 わたしに聞きたいこと、なんだろうか。やっぱり胡散臭いって話? わたしもその自覚はある。話していることがすべて事実だとしても、この上なく怪しいし、私の身の上話の証明をするのであれば、それこそヘブンズ・ドアーでもない限り証明できないだろう。まあ、あれも自覚がないと本当の意味では確認できない可能性がある能力だけど……ジョセフの能力も似たようなものか。あれも嘘発見器的なところあるし。
 けれど花京院の話は、わたしの想像していた質問とは、少し違う質問だった。おおむね、方向性は似ていたかもしれないが。


「何故デーボを、助けようとしたんですか?」

「え? ……ああ、……死んでほしく、なかったんですよ」


 それ以上もそれ以下もない。目の前で知っている人間が死ぬのは、わたしじゃなくても嫌なはずだ。誰であろうが人間の死体など、見て気分の良いものではない。わたしの言葉に、どこか申し訳なさそうに聞いてきた花京院の表情が、慈しむようなとても暖かい目線に変わる。自分に向けられていると思うと、少しだけ居心地が悪かった。良心がちくちくと刺激されると言ってもいい。


「ミョウジさんは、優しいんですね」

「優しくなんかないです。彼の為に助けたわけじゃあなく、わたしの為ですから」


 まるで中二病とツンデレを混ぜて二で割ったかのような自分の台詞に、笑いを通り越して引いてしまう。これはひどい。どこの物語だ。
 それにしても花京院もジョセフも、わたしを綺麗なものと勘違いしているようだ。学生でしかないと言っても、わたしだってそれなりには生きている。現代日本社会にだって汚い部分はたくさんある。自慢できるようなことではないが、人並みかそれ以上には醜い内面をしていて、汚い感情だって、どうしようもなく最低な思いを持つことだってあるのに。


「そういうのを、優しいって言うんですよ」


 微笑まれて、正直困った。でも否定はしない。勘違いしてくれるなら勘違いしてもらった方が得だからだ。彼らはわたしが嫌なやつじゃない方が心穏やかでいられるし、わたしは敵だなんていうあらぬ疑いを受けずに済むのだから。まるで困っているように見えるであろう苦笑いでこの話を流し、今度はこちらから話しかけることにした。


「そういえば、その肝心のデーボさんは?」


 チャリオッツにやられてしまった彼の左目は治らなさそうだった。素人目に見た怪我はかなり酷いものに見えた。映画以外では見ないような、特殊メイクと言われたら納得してしまいそうなほどにひどい、そんな怪我だった。
 わたしの質問に花京院は少し声を落として、苦いものを顔に浮かべていた。


「命に別状はありません。ただ、左目はやはり……」

「そうですか……うん、そうですよね。それで彼は今どこに?」

「ひとまずは入院のようで、病室にいますよ。行きますか?」


 花京院が提案してくれたので、お願いをしてその病室に向かってもらうことにした。向かう途中でわたしたちはジョセフを待っていて、その間に雑談をしていた。ということは、置いてきてしまったということだ。……申し訳ないとは思ったが、デーボの方が気になるので余計なことは言わないでおくことにした。心の中でジョセフに謝っておくことにしよう。ごめんなさい、ジョセフ。
 エレベーターに乗り、着いた病室は個室ではあるものの一般的な、想像できる病室のようだった。ケガはひどそうに見えたが、少なくとも集中治療室とかそういう仰々しい雰囲気の場所ではない。ドアの外に護衛と言うか、監視と言うかのSPW財団の方はいるので、ある意味仰々しくはあったが。
 車椅子を押していた花京院が車椅子が動かぬように一度ロックをかけてから、ドアを開いた。今度はロックを外し、車椅子のわたしごと、病室へ入る。中にいたのは包帯を巻かれて眠っているデーボと、椅子に座ってデーボを見ていた承太郎だった。承太郎がこちらを向く。じろりとした目線に晒され、非常に気まずくなった。思わずたじろぐ。そんなわたしを気遣うように、そして承太郎の態度に呆れたように花京院はため息混じりに言った。


「承太郎、睨むのはやめなよ」

「……別に。睨んじゃいねえ」


 世間一般的にはそれを睨むと言うのかもしれないが、本人がそういっているので推定無罪。わたしは必殺“笑って誤魔化す”を実行するだけで、文句は言わない。というか、できれば承太郎とは目を合わしたくもない。びっくりするぐらいイケメンで、直視すると目がやられるような気がしたからだ。仗助で慣れていなかったら、気絶していたかもしれない。……それはさすがに大げさだが、それくらいとびぬけて顔がいいのである。
 花京院がデーボが寝ているベッドの横まで車椅子を押してくれた。包帯の白さがとても痛々しい。早く治ればいいと、手を握ってみる。傷まみれの腕は皮膚がひきつり、でこぼこしてしまっていた。自分に攻撃させて呪うとかドMにもほどがあると思います。
 麻酔のせいなのかぐっすり眠っている顔を見ていると、不意にある感情が湧いてきた。振り返って花京院を見る。椅子に座って承太郎と話していた花京院が少し不思議そうな表情でわざわざこちらに来てくれた。


「どうかしましたか?」

「サインペン、ありませんか?」

「へ?」

「マジックです、マジック」


 目をぱちくりとさせながらも自分の荷物の中から、マジックの定番マッキーを取り出した花京院がそれを渡してくれる。きゅぽん、と外れたキャップは実に良い音を出してくれた。この音が更に意欲をわかせるというものだ。


「何に、使うんですか?」


 にやぁ、と自分でも悪い笑顔になったのがよくわかった。くるり。ペン回しをしてみせてから、デーボの方を指差した。


「決まってるでしょう?」


 落書きですよ、落書き。
mae ato

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