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「えーと、個人的な挨拶はまだでしたよね。ミョウジナマエです。お好きに呼んでください」


 そう言ってナマエが笑った。幼い顔が作り出すあどけない表情を見るとどうしても二十歳とは思えなかったが、年齢の話題に触れるのは危険なので心の中にのみとどめておくことにする。差し出された手を握ってわたしも笑顔を作っておく。


「モハメド・アヴドゥルだ。よろしく、ナマエ」

「こちらこそ宜しくお願いします、アヴドゥルさん」

「じゃあ病院に行こうか」

「はい!」


 彼女が二十歳だとわかれば車椅子に乗せる際も戸惑ってしまう。若い女性を持ち上げて車椅子に乗せた経験など、わたしにはないからだ。しかしナマエは、わたしに脇の下に手を入れてガバッと持ち上げちゃってください、などと言った。どうしてそういう発想になったのかわからないが、それでは胸に触れてしまうだろう。となれば、抱え上げるのが一番か。
 良いのだろうかと一瞬迷ったものの、逆に変に気を使うとわたしが意識していると勘違いされて、変態扱いされてしまうかもしれない。それだけは勘弁してもらいたかった。


「それじゃあ失礼するよ」

「はい、って、え?」

「さすがに脇をつかむのはどうかと思ったから、抱えさせてもらった。……ダメだったかな?」

「い、いえ。すみません、わたしこそ」

「いや、構わないよ。気を使ってくれたんだろう?」


 膝の裏と背中に腕を回して抱え上げ、彼女を車椅子に乗せた。すみませんと言うナマエのへにゃりとした笑みにどこか安堵を覚えた。男ばかりの旅もいいが、この先荒んだ気持ちになることもあるはずだ。彼女はそうしたとき、きっと我々の心の癒しになってくれるのではないかと思った。どことなく、小動物のイメージを抱くこともそれに起因しているだろう。
 他愛もない話をしながらホテルを出る。意識があるときに外を通っていない為か、ナマエはキョロキョロと周りを見渡して落ち着きがなかった。


「あ、アヴドゥルさん、あれなんですか?」

「あれは屋台の店だよ。日本にはあまりないが、こういう東南アジアの観光地には多い」

「へえ……わたし外国ってはじめてなんです」

「そうか。じゃあ一つ買ってみようか」

「ほんとですか!」


 やはりどことなく子どもっぽさを残すナマエに対し、思わずこちらも笑顔になる。屋台で売っていた椰子の実を一つ購入した。観光客向けの値段ではあったが、驚くほど高いというわけではないし、それで生計をたてているであろう彼らから値切る気は起きなかった。割られた椰子の実とストロー、スプーンを渡せば、恐る恐るそれを飲んだ。そしてわたしに振り返って一言。


「美味しいです!」

「そうか、それはよかった」


 嬉しそうなナマエを見ながら、病院へ入った。まずは昨日ナマエを診てくれた担当医のところに向かう。怪我の状態を診てもらうと、常人より異常に早いペースで回復しているらしく、あと三日もあれば抜糸できると医者は興奮気味に語った。もしかしたら能力がなんらかの影響を与えているのかもしれないと思ったが、ナマエは英語がわからないそうなのでただぼうっとわたしと医者が話しているのを見ていただけで何かを考えている素振りはない。
 話を終えて部屋を出る。しっかりと頭を下げてお礼を言っていたナマエに好感を抱きながら、車椅子をゆっくり押した。


「それじゃあデーボのところへ向かおうか」

「はーい」


 まるで、娘を持ったような気分だ。まだ結婚してもいないのに、おかしな話ではある。ナマエの車椅子を押して、デーボの病室へ向かう。入る前にノックをして、返事を確認してからドアを開いた。ナマエを中にいれると、デーボが呆気にとられたような表情をして、こちらを見ていた。


「やあ」


 ナマエが朗らかに随分と気安い口調で挨拶をすると、デーボの顔面がひきつったのがわかった。サイドテーブルにあったティッシュの箱を掴むと、的確にナマエの顔へと投げてくる。ばしん、とティッシュが顔に当たってから、彼女の膝の上に落ちた。デーボは怒りの余り口元がひきつり、いっそ笑っているかのように見える。


「ナマエ、てめぇよくも油性で描きやがったなあ……ッ!? おかげでお前への恨みのパワーは満タンだ!」

「……い、ったぁ……! 日に二回も顔面に食らうとは……何を、するの! 痛いじゃん!」


 つい先日まで敵でしかなかったふたりの、子どものようなやり取りに思わず笑顔になってしまう。ナマエが中身の話をしていたが、ナマエも十分、子どもっぽいところがあるようだ。
mae ato

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