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 ガチャリ、音が頭の真上で聞こえた。それはこの前の事件で向けられたアレが発する音に、よく似ている。背筋に冷たい何かが降りてくる。ガチャリ、ガチャ、ぱあん。
 ──思い出す。やめて。やめてやめて。こわいの。止まる。こわい。こわいこわい。ぱあん。いたい。こわい。いやだ。いやだ。止まる。うごく。やめて。やめて。やめてやめて。ばあん。弾ける。飛び散る。叫ぶ。いたい。こわいこわい。こわい。いたい。いたいこわい。いたい。いたいいたい。やめて。真っ赤。うずくまった。泣いてる。叫んでる。いたい。いたい。いたい。血。ぼたぼたぼた。びちゃびちゃびちゃ。血。叫べなくなった。びくびく。ふるふる。広がる。染みる。こびり付く。真っ赤。わたしは彼を見る。彼のわたしを見る目。いたい? あ。 あ、あああ。ああ、あ。ああ、ああああ、あ、あ、あ、あ、ああ。ああ。ああ、思い出したくない!









“元凶は、消そう?”


 ね、と空気に溶ける優しい声がした。頷きそうになる頭が突然冷水を浴びせられたように冷えた。その頭を叱咤することができて、ようやくわたしは平静を取り戻す。は、は、と腹が胸が上手く動けず喉の奥で息がしづらい。身体が震えて、汗が止まらない。涙腺が決壊してしまいそうだった。
 そんな状態であろうとも、見えていないにもかかわらずスローモーションのように、ヴィトが笑いもせずホル・ホースに襲いかかっているのがはっきりわかる。


「……ヴィト、だめ、」


 ピタリ。声を絞り出して言えば、ヴィトは首に絡み付かせようとしていた腕を止めて、きゅ、と唇を噛み締めた。ホル・ホースが驚いた顔をしている。ヴィトはホル・ホースを止めることもせずにわたしの膝に降りてきた。


“どうして”

「……ダメ、やめて、お願いだよ」

“どうして! ナマエ、傷を抉られた! あんなのはナマエの害になる! ナマエはいやな思いするんだよ! ナマエが苦しむなら、ナマエを傷付けるなら、アレは敵で、いらないものだ! いらない! 消してあげる! ナマエにはいらない!”


 そう言って泣きながらわたしにヴィトは抱きついてくる。縫いつけられた目蓋から溢れ出して来るのは、本当に涙なのだろうか。ヴィトの背中をとんとん、と叩きながら、泣きたいのはわたしも同じだった。でも泣いたって何も解決しないでしょう。気分が悪い、頭がぐらぐらする。忘れてたのに、忘れられそうだったのに、思い出してしまった。うそつき。忘れてなんかなかったくせに。うそつき。ヴィトも慰めるように震えるわたしの身体を抱き締めた。


「ごめん、なさ、い、」


 ごめんなさい、ごめんなさい。ヴィトを隠すように身体を丸めて、からからの喉を震わせながら謝り続ける。ごめんなさい、何度目かの声のあと、ゆっくりとわたしの頭が撫でられた。顔を上げることはできない。何も見たくない。何も聞きたくない。何も、何も……けれどそんなわたしの視界に、ホル・ホースが入って来た。わたしの汗を拭った彼は、優しい目をしていた。


「驚かせて悪かったな。そいつもだ。何、おれは女の子に攻撃したりなんかしねぇよ」


 に、と口端をあげて笑う彼は、嘘を吐いているようには見えない。ごめんなさい、と目を合わせてからもう一度謝る。ホル・ホースの笑顔が滲んだ。ぐりぐりと慰めるように頭を撫でて、それからホル・ホースはポルナレフの方を向いた。


「先に言っとくぜ。おれはホル・ホース。ポルナレフ、おめーらの敵さ。が、ナマエの敵になる気はねぇ」

「………どういう、ことだ」

「この子は戦いに向いちゃいねーのさ。だからDIO様に敵意を持ってるとは思えねーナマエ以外を排除させてもらおうってわけだ」


 緊迫した空気を、わたしは全く感じられずにいる。息がまたしづらくなって、頭の中がぐるぐる回って、ぐにゃぐにゃに歪んだ映像のわたしが、彼が、ヴィトが、笑う。弾けた腕を抱えてのたうち回る。喉が裂けるんじゃないかってくらいに叫び、血が飛び散る。その様を見下ろして、わたしは冷静に混乱し、何もぶれることなく、正常だった。わたし、……わたしは。


「『ごめんなさい」』

mae ato

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