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 ナマエが壁のようになっていた能力を解除した。中から現れたナマエは、何かを抱えている。目を細めてみると、スタンドだった。見た目こそ以前よりおぞましいが、人間の根底に訴えかけるような恐怖を感じるようなことはない。ナマエに近寄りながら笑みを作った。


「怖くなくなったな、そいつ」

「あ、やっぱり怖かったんですね、ヴィトのこと」

「ヴィトって言うのか……さっきまでの姿はとてもじゃねーが同じ空間にいるだけで辛ェな。大の大人がガキみてぇにびーびー泣いちまうところだったぜ?」


 冗談を言って笑うとナマエも笑ってくれた。放置してきたらしい車椅子を持ってきて座るように促せば、ナマエは大人しく腰を下ろした。ふわふわと浮かんでいたヴィトが、おれを一瞥してから消えていく。どうやらナマエはもうおれを敵とは思っていないらしい。なんて甘ちゃん。もしおれがナイフを持っていて刺し殺そうとでもしたら、案外あっさり死んでしまうのではないだろうか。勿論そんなことをするつもりもなければ、そういう甘ちゃんなところも嫌いではなかった。ナマエが車椅子からおれを見上げてくる。相も変わらず困惑したような表情だった。


「……その、女のためだけに命を張るって言うのは、」

「言葉の通りだ。おれは今回の仕事はDIOたちから離れて、ナマエにつこうって腹さ」

「お気持ちは、嬉しいですけれど……そんなことを軽々しく言うのは、どうかと思います。J・ガイルにでも聞かれいてたら、報告されて殺されるかもしれないんですよ」


 真剣な顔をしておれに説教なんてしてくれるものだから、別にいい、とおどけたように言った。ナマエはと言うと、頭が痛いとばかりに額を押さえながら、馬鹿なんじゃないですか、と呟いた。先ほどまで対峙していたはずの男を気にかけるというお人好し馬鹿もおれの目の前にいることだし、そんなに珍しい馬鹿ではないと思う。……なんて、まあ、今回に限ってはおれもそのお人好しか。


「今は花京院とポルナレフの野郎を追ってるから、大丈夫だろうよ」

「………はあ」

「そうため息吐くなってぇの。おれァ、ナマエが嫌がってもお前につくぜ、もう決めちまったのさ」


 ナマエが眉をぐい、とこれ以上にないほど寄せてから、二度目のため息を、それはもう大きく吐いた。ぐりぐりとシワをほぐし、目をばっちりと合わせる。それから数十秒後、肩を落とした。その目はまるで子どもには思えないほどにまっすぐで強烈で、一瞬ばかり身を引いてしまいそうになる。


「わかりました。命をかけてくれるって言うのなら、わたしのために命をかけてもらおうじゃあありませんか」

「……お、決めてくれたか」

「ただし! DIOの方に戻っていただきます、密偵として」

「スパイ、ってかぁ?」


 ナマエは笑わずに頷く。その表情は、やはり子どものものではない。汚いことであるという自覚があり、尚且つそれでいいと断言するような躊躇いのない冷たいものだ。どうやら目の前の少女は甘いだけの子どもではなかったようだ。……それなら、それでいい。そうでなければいずれ、二度と戦わずに済むように連れ去ってしまいたくなるだろうから。
 おれの口がにんまりと弧を描く。チラリと後ろに倒れているアヴドゥルに目線をやった。出血量があまりに少ない。はっきりとは確認できないが、弾創が円形ではないように見える。やはり生きてる、だろうな。そして近くに倒れたナマエも、そんな知識がなかろうが呼吸音で生きていることには気づいているはずだろう。


「アヴドゥルが死んだって思わせるのか?」

「…………その通りです。何かとその方が都合が良さそうですから。まあ、その、ホル・ホースさんさえよければ、ですが」


 相手を気遣うな雰囲気とは裏腹に、出来ないようなら邪魔をするなとばかりの目線を感じる。おれはナマエに会ってから、どこかしらイカれちまったらしい。先ほどから口が笑うことをやめない。この短い間、楽しいばかりではなかったというのに、どうしてこうも唇は笑みを作っているのだろうか。


「まかせとけ」

「……なんで、わたしのためなんかに命を張るんですか?」


 それを一番知りたいのは、多分おれの方だ。守ってやりたくなったり、連れ去ってやりたくなったり、今までのおれに有り得ないかと言えばそうではないが、確率が低すぎる出来事だ。操られてるのではと馬鹿げたこと思ってしまうほど、何故かナマエを助けてやりたいだなんて。そんな気持ちをそのまま言葉にするのは躊躇われた。なにせ、改めて反芻すると、とてつもなく恥ずかしい感情ばかりだからだ。


「そうだなァ。将来が楽しみな女だから、じゃあダメか? 初期投資ってとこだな、ハハハッ」


 いかにも自分が言いそうなことを考え、冗談めかしてみれば、ナマエが子を心配する母親のような顔をしていた。一端の汚い大人から、純粋なガキ、そしてこうした慈愛に満ちたところまで色んな側面を持つ人間臭さってものに、おれは惹かれたのかも知れないと思った。人間でないDIOについた弊害だろうか?


「馬鹿ですね、ほんとに。……自分の身が危なくなったなら、いつでも裏切って良いんですからね」


 お前はおれの母ちゃんかってーの。
mae ato

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