朝刊を配るだけの単調な作業に、本当にごくたまに嫌気が差すこともあるけれど。明け方の澄んだ空気を吸うとそんな気持ちは薄らぐよう。湿った梅雨空も重たい雪雲も、あたりが白む瞬間は手を止めたりしてその空気を吸い込むほどにすきだ。はー、と口から吐き出した白い息が上っていくように消えた上空を信号待ちのわずかな時間にそっと見つめた。だんだんと日の出が遅くなるのを感じて、静かに巡る季節が風になって顔に当たる。「っ・・・は、しゅん!」 小さなくしゃみをした冬の早朝。彼女は頭に入れた契約者の家々の道のりを新聞が詰まった原付で渡っている最中だった。 バイト先を後にした新聞配達員もとい冬子はコンビニに立ち寄ってから家に帰っていた。日によって違うが今日は商品入れ替え時間と重なったらしい。弁当が陳列された棚付近で従業員が品出し中だった。何にしようかと悩む素振りをするが冬子が買うものはいつも決まっていた。それを手に取るとそばで作業していた従業員が挨拶する。「おはようございます」ほぼ毎日訪れて同じものを買う冬子はいわば常連客。しかし顔なじみとして扱われるのを快く感じない冬子はぺこりと頭を下げるだけの挨拶を返した。さっさと会計を済ませてコンビニを足早に去る。 そこから5分ほど歩いたところ。その見た目もあってボロいと言われる築30余年の二階建てアパート一階奥の部屋を借りて冬子は住んでいる。 日差しがあまり届かなくて常に薄暗いがこの部屋を冬子はそこそこ気に入っていた。ユニットバス付きもさることながら前の住人がそのまま残したエアコンが付いていたから格安のわりに好物件だと満足していたのだ。あえて不満をあげるとしたら玄関ドアを開閉する度に音が鳴るところだがこの耳障りも過ごしていくうちに大分慣れてきていた。今日も音を鳴らして帰宅する。 鍵をかけてチェーンもつけてやっと部屋に上がる。巻いていたマフラーを適当に放って敷いたままの布団の上に腰を下ろした。テレビもテーブルも何もない部屋は越して間もないというわけではない。家具を必要としていない冬子は布団一式あればいいと何も置いていない。そんな殺伐とした部屋で袋から弁当を取り出す。入れてもらった割り箸を手に食事を始めた。 食べ終えるとお風呂に入りあとは眠るだけ。お昼ごろに起きて、日課のあることをして、時間が来ると働きに。そしてコンビニへ向かい家に帰る。冬子の1日はそうして過ぎた。 身支度を整えてマフラーを巻いた冬子は出かけた。向かう先は賑やかな大通りから少し外れた場所にひっそりとある一軒の御茶屋。 若い女の子が好むようなお洒落さとは無縁で質素な店はこの道一筋の男が作る昔ながらの味を売りにしていた。客足は増えることがないが職人気質な親父の味に惚れ込んだ客のおかげで何とか続いているそのお店には看板娘が働いた。 「いらっしゃいませ! また来てくださってありがとうございます!」 明るい声が店先で迎える。店の周りを掃いているところに出くわしたためか娘の両手は掃除道具を持っていた。 まぶしい笑顔にすこし目を細めてマフラーで隠した口でこの店のセットメニューを注文した。寒いだろうからと店内を案内されるが天気がいいという理由で店先の長椅子に腰掛ける。 娘が店の奥に行くときに見た店内に客は2人、しかも年老いた夫婦が店主と談笑していた。馴染み客だろう。ねじり鉢巻きが印象の大男が笑い飛ばす姿は物珍しさがあったから気心知れた人たちなのだろうと推測する。 その店内の様子に中に入らなくてよかったと口下手な冬子は胸をなでおろした。 冷たい風が時折り通り抜けていくが日当たりのいい店先はあまり寒さを感じない。雲の少ない青空の下は気分も晴れやかだった。こんな時間は久しいなと思っていると「今日はあたたかいですね」ひざ掛けを持って娘が現れた。緩んだ気が一瞬で張り詰めて背筋が伸びる。 「おまたせしました」 湯気がのぼる煎茶と串団子を冬子の横に置く。その動作を見つめながら今日こそはと意を決する冬子に彼女はニコリと笑いかける。どうぞごゆっくり。・・・よしっ。震える唇に乗せる言葉はいつか言おうとしていたものでそれを実行しようとした矢先、ある人物が顔を出したことで無となった。 「あっ銀さん!」 嬉々として呼んだ名前に冬子は苦虫を噛んだ顔をする。普段感情を表に出さない冬子でも苦手な相手ともなればそうでなくなるらしい。 このお店に足を運ぶ冬子と同じようにこの男――坂田銀時もこの店によく訪れていた。偏った嗜好の持ち主である彼は好物を目当てにその店を訪れているのだが冬子はそれを知らない。会えば話しかけてくる男のことなんか知りたくもないと苦手意識を抱いている時点で男のことを愛称以外何も知らなかった。 「よォやっぱいるなアンタ」 「銀さんいらっしゃい! 今日こそはツケ払ってね☆」 気さくに話しかけてくるところも苦手だが、先ほどより嬉しさを何割も強めた視線をこの男に向ける娘に、不安を覚えていた。パチンコで大負けやツケで支払っていると聞いたことのある男をだらしないとしか思えないゆえにどうしてそんな目で見るのだと不思議でならなかった。 どこがいいんだと本気で疑う冬子は湯呑みに手を伸ばす。・・・はぁおいしい。いつもより熱めだが飲みにくくはないお茶をゆっくり味わった。 当たり前のように隣に座る銀時はいつもの調子で注文した。まったくもうとかわいらしく笑う娘は店の中へ。 今日もあの子の様子を無事見れた。今日も元気そうでよかったとそんな安堵をこっそり抱く。物欲がまるでない冬子の同じことが繰り返される日々の中で唯一心が休まるこの時間。温かなお茶が喉を通って体にぬくもりが籠るように彼女は心にも同じ感覚を覚えていた。無理だと分かり切ってはいるけど、いつでもそばにいれたら、と。なんて冗談事を考えながら飲み干した。ほんのりとまだ温かさが残る空の湯飲みを両手で包みそれを膝の上に乗せると、気にせずにいた視線にいい加減うんざりしていた。度々ここで鉢合わせては何度も声をかけられて辟易するばかりだ。すぐに立ち去りたくなる。 今日も今日とて隣の存在が嫌でも感じることで居心地が悪いと思った。じっと凝視される気配を無視しながら団子を咀嚼する。「毎日ここ来て飽きたりしねーの?」「しない」と心の中で答えた。 「おまちどーさまです」 「おっ!きたきた!」 「大将があとで話があるそうよ、くすっ。・・・あら? もういいんですか?」 ごくんと団子を平らげた冬子は手持ちの財布から端数もきっちりと揃えたお金を取り出して席を立つ。「・・・ごちそうさまでした」口元にマフラーを引き伸ばして頭を下げるといつもの笑顔が返ってきて目を逸らした。向けた背中に「ありがとうございました! またいらしてくださいね」と溌剌とした声が追いかけてきてわずかに振り返り頷き答える。その時手を振る姿が見えてマフラーの裏で口角がほんのすこし動いた。 (・・・また時間をずらそう) あの男さえいなければもうちょっといれたのに。そして今度こそ、言えたのに。明日こそはと考えるが、邪魔されようがされまいが結局その決意はいつも儚いので今回も心の中で反省会と決意宣言を始める帰り道なっていた。 日が傾き影が伸びる道を進んでアパートに着く。部屋の鍵穴にキーホルダーなどの装飾品が付いていないカギを差し込んでロックを開けてドアノブを握った。開くと耳慣れた音が鳴った、けれど冬子の耳にはいつも聞く音色と何故だか違って聞こえてドアノブを握ったまま小首を傾げる。こんな音だったっけ? ドアを見つめて少し不思議がったが気のせいだと思うことにして中に入った。後ろで扉が音を立てて閉まり、履き物を脱いで上がったその直後。 カギを持つ手を何かに強く引っ張られ柔道の技をかけられたように背中は床に叩きつけられた。ダンっと重たく響く音とともに受け身の取れない体に広がる痛みで顔を顰める。掴まれた手が投げ捨てられるように床に転がると掌からカギがどこかに飛んでいく。(なんだ?)目の前の気配に目を凝らすと暗がりに浮かぶ鋭い刃物みたいなのが見えた。ぐっと何かで押し付けて首が圧迫される。そこで今の状況を薄らと把握し始めた。 「ここにいたアイツはどこに行った?」 抑揚のない冷たさを含んだ声が問い掛ける。ここにいた? アイツ? 何のことだかさっぱりわからない冬子はとりあえず知らない意思をわずかに首を振ることで伝えた。襲われているのか。やがて辿り着いた自分の置かれた状況をどこか冷静な感覚で思い知る。動揺するでもなく、震えるでもなく、固まるように目の前の人影を見上げる。そんな冬子の反応を黒い影も見つめた。 (なんだってこんなところに盗みに入ったのだろう) 相手を泥棒と判断した冬子の思考は何もない自室のことだった。料理を一切しないから食器や鍋などは置いていない。着る物も片手の指の数以下で限られている。家具も電話もない部屋の中の物すべてを質屋に出しても本当に二束三文の価値しかないだろう。お金は一応銀行に預けてはいるけれど一昨日家賃と光熱費、その他もろもろの請求でほとんどないはず。それでも通帳を渡せば帰ってくれるだろうか。 危機的状況にいてここまで落ち着いた思考を持っていられるのは冬子の特異な過去があってこそだが、それを知らない黒い影は冬子の首を押さえつけた腕の力を緩めていた。 (準備中の連載2本の更に前の話という設定があったりします) (オチは高杉だけど絡みが多いのは銀さん) (思いのほか長くなってしまった・・・) 16.10.17 18:16 gintama(bun) |