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予想通り。尾白がやることを全て終えて、寝ようか雑誌を読もうか迷ったときに、その連絡がきた。名字からだった。【電話していい?】と、シンプルなメッセージが二人の仲を表していた。大きく丸を作っている適当なスタンプを送れば、すぐに電話はかかってきた。
「もしもし?こんばんは?」
「こんばんは。で、北のことやろ」
「うん……へんたいなんて、言っちゃった。大丈夫かな」
「大丈夫やで。気にしなや」
「ほんとう?」
尾白の言葉は気休めではなかった。本当に大丈夫だから、ただ事実を言ったまでだ。それだけ言い切れるほど尾白は北という人間を知っているし、分かっている。でも肝心の彼女は北という人間をそこまで知らなかった。だから、つい尾白の言葉を確かめてしまうのだ。彼女は確かにゆるい性格だが、それは別に軽いわけではなくて、気が緩みやすいという意味であって。普通に言葉を過ぎてしまったかもしれないと思ったら、気にするくらいには気が弱い方だった。
「本当やって。それより今日ちゃんと寝て、忘れものしへんようにしぃや」
「うん……今から確認するから、尾白くんも付き合って」
「しゃあないな」
穏やかな尾白の声にやっと彼女は機嫌を良くして、笑い声をあげた。すっかり気が逸れた彼女は北のことを忘れて、ぐっすり寝た。そして、翌日弁当を忘れた。
***
「尾白くん」
「んー?」
彼女はミニカレーを目の前にしてため息をついた。尾白は日替わり定食(大盛り)にせわしなく箸を動かしながら、彼女に相槌をうった。
「あのね、私前世はニワトリだったかもしれない」
尾白は彼女の言葉に、見事に吹き出しそうになった。食事中だという理性が尾白の口を無理やりにでも閉じさせた。大きく咳き込む尾白にも構わず、彼女は続ける。尾白は水を飲みながら、彼女の足を突いた。彼女はくすぐったいと尾白の足を突き返すことに夢中になっていて、後ろの存在に気付いていなかった。
「名字さん飯食べるときは落ち着いて食べるべきやで」
「……き、きたくん、でも」
「……」
「すみません」
トレーをもった北は不満気に口を開いた彼女を見下ろした。じーっと。彼女は早々に戦意喪失して、頭を項垂れた。その一連に尾白は笑いを押し殺していた。彼女は尾白を睨んで、尾白の足を突きたかったが、横に座り始める北に動揺してそれどころではなかった。ここに座るの?どうして?と半ばパニックのような状態の名字は落ち着きなく北と尾白の顔を交互に見た。まさか尾白くんが仕組んだのか!とでも言いたげな彼女の視線に尾白は首を横に振る。お昼を北と食べる約束をしていない。
落ち着かない名字の視線に気づいた北が口を開く。びくびく、と怯える名字に気遣う事もなく、いつも通りの無表情で。
「俺が座ったらあかんの?」
「あ、あかんくないです」
彼女がたどたどしく否定を示せば、北は何も言うことなく手を合わせた。無駄な動きもなく、綺麗な動作で食器を空にしていく北の横で押し込むように口に入れている友人を見て、尾白はそれとなく同情した。尾白はぽん、と手をベタにうって、彼女の名前を呼ぶ。彼女は心なしか下がっている視線を上げて、「なぁに?」と返した。
「さっきのニワトリって急になんやったの?」
「あ、ああ……それはね、昨日尾白くんにお話聞いてもらったから、安心して眠れたんだけど。安心し過ぎてお弁当忘れちゃったの」
「ああ!それで今日食堂やったんか」
「うん。授業の忘れ物はしなかったのに。一個ちゃんとすると、一個忘れるから。私前世ニワトリだったんじゃないかなって思って」
「なるほどなぁ。まあ、せやけどええんちゃう?授業の忘れもんするよりマシやろ」
「だよね。財布はちゃんと持ってきたから、お金も借りなくて済んだし」
彼女の悪い癖、すぐに気が逸れること。尾白との会話に夢中になって、隣に座っている北の存在を忘れていた。話し始めた最初は北くんがいるから、北くんのことを相談したのは伏せて話そうと覚えていたのに。ほわほわとした空気を一刀両断するように、北が口を開いた。
「当然やろ、財布持っとるのは。
いつ何が起こるか分からんし」
「は、はい……」
「そもそも弁当忘れたって弁当自分で作っとんの?」
「いいえ、親です」
「せっかく作ってくれてる親に申し訳ないやろ。あとな、授業の忘れものせぇへんのは普通やから。前世がニワトリやったかもしれへんとか関係ない。ええか、名字さん…………」
長々と説教されてしまって意気消沈している彼女に尾白はそっと抜け出して買っておいたプリンを差し出した。彼女は尾白を神様でも見るような目で、見て「ありがとうありがとう」と二回拝んだ。北が『また甘やかして』とじっと目で訴えって来たため、尾白は苦笑いをしながら北にもプリンを押し付けた。北は無表情だったが、渋々プリンを受け取って、食べ始める。
「せっかく飯食べとるんやから、楽しい方がええやろ」
「!」
「……せやな」
「せや。名字髪切るとか言うてやん。いつ切んの?」
「ん〜」
食事をするためにまとめられた髪を揺らしながら、彼女はプリンを頬張る。正直、尾白の出した話題は彼女が『お腹すいた』と同じくらいの関心しかなくて、そこまで本格的に切ろうとは思っていなかった。そんな尾白の言葉にピクリと、北の眉が動いたことに彼女も尾白も気付かなかった。じっと北に見られながら、彼女は首を捻りながら口を開く。どうやらかなりどうでもいいけれども、それなりに悩んでいるらしい。
「髪乾かすのも面倒だから切りたいんだけど、ショート冬になったら寒いかなぁ」
「せやなぁ。冬は寒いかもしれへんな」
「名字さん髪どれくらいか見てええ?」
「え、うん」
咄嗟に言われて彼女はつい頷いてしまった。北の言動は突拍子がないと勝手に彼女は思い始めていた。北は遠慮もなく彼女の髪の結び目に指をかけた。髪ゴムが緩んで、ぱさぱさと髪が広がった。『髪はきちんと乾かしなさい。風邪はあかん』は尾白が唯一何度も彼女に言う小言だった。そのおかげで、彼女は髪はそれなりに綺麗だった。それに髪を弄ることが好きな友達にも割と遊ばれたりするので、彼女自身も髪を触れられることに抵抗がなかった。ふわりと、と鼻を擽る甘いに匂いに北はぱちり、と瞬きを繰り返しながら、思わず彼女の髪に手を伸ばした。
指の間をするすると抜けて、柔らかい感触は北にとって新鮮だったらしく、何度も何度も指を通していた。その姿は新たな一人遊びを見つけた子どものようだった。彼女は彼女でされるがままで、北も北で彼女が何も言ってこないので好きにしていた。目の前の奇妙な光景に尾白だけ戸惑っていた。
「もったいない」
「え」
「名字さん髪こないに綺麗なのに切るのもったいないと思う」
「……そ、そうかな」
「うん」
たじろぐ彼女に気にすることなく、ほわほわとした笑顔で頷いた。彼女は初めて見る北の柔らかい表情に内心軽いパニックだった。頬が、首が熱かった。
北くんに褒められた!北くんが笑った!北くんの笑った顔!すごく!かわいい!
彼女は赤い顔を見られたくなくて、俯こうとしたが、それは出来なかった。北に肩を掴まれたからだ。髪をまとめずに前屈みになろうとするから、カレーに髪が入ってしまうところだったのだ。彼女は咄嗟に北に怒られる!と身構えたが、北は手首にはめていた髪ゴムに気付いて、「すまん」と口にした。彼女は急な北の謝罪に首を傾げる。
「俺が髪解いたから。結ぶわ。顔上げてくれへん?」
「え、え」
「痛くしぃひんし、結べれるから。大丈夫……あ、今更やけど、めっちゃ遠慮なく髪触ってしもうた」
「え、いいよ。全然!
北くんに触られるの気持ち良かったし、元々髪弄られたりするの好きなんだ」
元々彼女はよく笑ってよく話す女の子だった。至って普通の子だ。ただ北の前では萎縮してしまうし、自然と背筋が伸びる。マイナスイオンのような居心地のいいゆるさ、それが彼女の魅力だった。素直に頬を緩める彼女を初めて北は猫のように目を丸くした。互いに気付いてないが、互いに初めて笑顔を見たのだ。尾白は『変な場面に立ち会ってしまった』と思いながら、プリンを完食していた。
移動教室から教室に戻ろうとして尾白は不意に足を止めた。その廊下の窓から名字と一緒に過ごしている特等席のベンチが見えることに気付いた。それだけなら、尾白は立ち止まらなかったが、そのベンチに座っている組み合わせに思わず足を止めてしまったのだ。名字と北がベンチに座って話していた。ときどき北の手が彼女の髪に伸びて、彼女はにこにこと機嫌よさげに笑っている。
「意外とお似合いかもしれへんな」
そんな尾白の呟きを知らない二人は世間話をしていた。尾白がいなくても、このベンチでときどき昼寝したりしている彼女は急な来客の北を快く迎えた。すっかり彼女は北に気を許していた。相変わらず注意されることも、説教を受けることもあったが、小うるさい人だけではないと分かった今では素直に北の言う事を聞けている。実行しているかは別の話だと思ってることは北には内緒である。
「北くんどうしたの。あんまり気分優れない?」
「……どうして?」
「え?だって、いつもより顔が固く見えたから」
彼女の言葉に北は僅かに眉間に皺を寄せた。彼女は言っちゃいけないことを言ってしまっただろうかと、内心焦った。北は特に気にする素振りも見せずに、口を開いた。
「急遽挨拶することになったんや。今日」
「あいさつ?」
「あー……合宿前の合同練習なんやけど、その代表して挨拶みたいなのやんねん」
「へえ。すごいねえ」
「……もっとはよ言ってくれたらいいのに。それやったら、しゃんと準備出来たのに」
「北くん挨拶とか得意そうなのに」
「苦手やないけど、得意でもあらへん。こないなのは事前の準備が大事なんや」
彼女は北の言葉をかみ砕きながら、北の表情をじっと見つめた。その視線に気づいた北も、彼女を見つめ返した。よくよく見ると北くんは意外と可愛い顔つきをしている。北くんは表情が怖いだけか、と若干失礼なこを思っている彼女はやっと北の固い表情の理由が分かって、ぽん!とベタに手を打った。その仕草に北は尾白のことを思い出していた。
「北くん緊張してる?ってこと?」
「……ん」
「そうだよねえ。急に人前で挨拶とか緊張するよねえ」
「……」
彼女はバカにすることもなく、うんうんと勝手に共感しながら頷いた。その頷きに合わせて、彼女の髪がさらさらと揺れてふわりと甘い香りに北は顔を上げた。北の発言通り、彼女は髪を切っていなかった。むしろ北の発言が嬉しくて、以前よりも髪に気を遣うようになった。艶が出て、触り心地が良さそうな髪に北はまた思わず手を伸ばしていた。彼女はその手を受け入れて、気持ちよさそうに目を閉じた。しばらく北は指を差しては通すを繰り返した。何度も同じことをすることは落ち着く。彼女の髪はさらさらと抵抗することなく、北の指を受け入れた。
「……すまん。俺また」
「ううん、多少は落ち着いたかな?北くんちょっと表情柔らかくなってるよ」
「ほんま?」
「ほんま」
少しだけイントネーションが違う返しはとてもふわふわしていると北は思った。彼女はふわふわ、ぽわぽわしている。彼女の方こそ、緊張知らずのように見えると北は思った。
「名字さんの髪触ると落ち着くねん。なんやろう、不思議やな」
「北くんのお役に立てたなら何よりだよ。北くんには普段お世話になってるから」
「俺はお世話しているつもりないけど……名字さんがぼーっとし過ぎなだけやで」
「ふふ。気を付ける」
彼女は北の言葉に特に気にすることなく、笑って受け止めた。北は思った。彼女にどんな言葉を投げても、全部マシュマロになって返ってきそうだと。こんなに色んな意味でゆるく、ぽわぽわしている子と過ごすことなんてなかった。彼女の傍は居心地が良かった。彼女の傍じゃなくて、自分の腕の中で彼女が笑ったらいいと思った。
「北くん?」
「な、なに?」
「ううん、北くんの笑顔可愛いなって思って」
「え」
彼女の言葉に我に返って、自分の頬に手を当てると口角が上がっていた。無意識のうちに笑っていたらしい。何とも言えない恥ずかしさが込み上げてきた。手の甲で顔を隠すと彼女は眉を下げて、唇を尖らせた。
「あ、勿体ない」
「……見せものやないから」
「それもそうだね」
彼女はまたふわふわと笑った。北は彼女の笑顔から目を逸らして「あかん」と小さく呟いていた。
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